惚れ薬の効果と分かっていても、相手を好きになるの、良いよね
スファーレに渡された惚れ薬を一息に飲んだシリル。
「どう、かしら、お兄様?」
自分が座っていた椅子に戻ったスファーレは、おずおずと答える。
その瞬間、シリルは自身の心臓がドクン、と大きく跳ねるのを感じた。
(……やばい……なんだ、今の声? ……スファーレ様の声、こんないい声だったのか……)
薬を飲んだシリルの顔が見る見るうちに紅潮し、スファーレの言葉に耳を赤くした。
(それに……スファーレ様……こんなに可愛かったっけ……。あの美しい瞳、きれいな柔肌、そして細くて折れそうな肩……やばい……抱き締めたい……)
それが自分が飲んだ惚れ薬の効果であることは分かっている。だが、それでもシリルにとってスファーレはたった今自身にとってもっとも愛すべき相手となった。
「スファーレ……様……」
「お兄様?」
シリルはスファーレの前に2~3歩踏み出すと、そこで膝を折った。
(なんで『さっきまでの俺』は……スファーレ様を妹と思ってたんだ? ……いや、『今の俺』が異常な状態なのは頭では分かってる。けど……ていうか俺、幸せすぎるだろ……。こんなに可愛くて魅力的な方と婚約する? 今日? 信じられない……)
頭の中がスファーレに対する思慕の念で爆発しそうなほど混乱していたシリル。
だが、それでも何とか冷静に努めようと、手を前に差し出す。
「スファーレ様……。惚れ薬の効果は……本当にすごいですね……」
「え? じゃあ、お兄様……」
「ええ。……あなたとの婚約、喜んでお受けさせてください……お手を頂いてよろしいですか?」
「……ありがとう、それと……ごめんなさい」
今度の涙は嬉し涙か、或いは罪悪感がその涙を流させているのか、それはスファーレ自身にも分からないのだろう。
スファーレはその手を出すと、シリルはそれに口づけをした。
「やるう、シリル!」
横から囃し立てるように笑うセドナを無視し、しばらく口を付けた後、そっとその手を放すシリル。
「その……スファーレ様……今の私は、惚れ薬であなたを好きになっているんですよね?」
「……そのはずですわ? ……お兄様が私を愛してくれるその感情は、偽物……それでも、私は良いと思いましたもの……」
口づけをされた手を大事そうに胸元に持っていきながら、スファーレは少し悲しそうにつぶやいた。だが、シリルはほほ笑みながら立ち上がる。
「そうかもしれません……。ですが……これも惚れ薬の力かもしれませんが……今、あなたの手を取れて、あなたのその暖かい手に触れることが出来ることが、こんなに幸せだって今思っています……この気持ちが偽物なのは、悲しいですが……」
「そう、なのね……」
そしてシリルは、ポケットに入れていたハンカチでスファーレの涙を拭う。
「そして、今の私も……惚れ薬を飲む前の『過去の私』も……。笑顔のスファーレ様が大好きです。あなたがこれからも笑顔でいられるように、私はこれから一生尽くします」
「お兄様……。小さいころからいつも、私が泣いていた時には拭いてくださいましたわね。……それが私にはとても嬉しかったのですわ?」
「それと……」
少し呼吸を置いて、シリルは頭を下げた。
「……惚れ薬まで使わせて、申し訳ありません……。私がこんなものに頼らなくとも、あなたを愛することが出来たら、ここまで苦しめなくてもよかったのですが……」
「そんな! ……お兄様は私を蔑んでるのではなくって?」
「そんなわけありません。私をここまで想ってくれたこと、ほんとに嬉しかったのは確かです。……それに、このことは惚れ薬の力でそう『思い込まわされている』わけじゃありません」
「なんでそう分かるのですか?」
「知ってて黙ってやがったセドナには、いまだにむかっ腹が止まんないからですよ」
そう横目でニヤリと笑ったシリルを見て、泣き笑いの表情だったスファーレも、ようやくクスクスと笑い出した。
「あ、酷いなシリル! あたしはみんなの幸せを考えてやったんだから!」
「へいへい。ま、ある意味では感謝してるよ、セドナ。……お前のおかげで、スファーレと両想いになれたんだからな」
通常とは逆ベクトルで「両想いになれた」と言う表現をするシリルに、スファーレはまた少し笑みを浮かべた。
(そうか、惚れ薬はスファーレ様にしか効かないんだな。顔を見ただけでドキドキする、声を聴いただけで嬉しくなる、昔の思い出を思い出しただけで胸が暖かくなる……そんな気持ちがセドナにはわかないみたいだな……)
シリルは『自分が、自分の意思で惚れ薬を飲み、スファーレを好きになった』と言うことを自覚している。
その為、自分の感情が『惚れ薬の力で生まれたもの』なのか『自身の本心から発されたもの』なのかを区別しながら、そう考えていた。
「フフフ、お兄様ったら……。ところで一つお願いがありますの?」
「なんでしょうか?」
「もう、お兄様と私は婚約したのですから……。もうスファーレ『様』はやめて? 昔みたいに、スファーレって呼んでくださいませんか?」
「え? ……はい。分かりました。……スファーレと呼ばせていただきます」
「ありがとう、お兄様。それと、もう一つ。その……」
そこまで言って、少しだけ逡巡するようにスファーレはもじもじした後、意を決したように答える。
「少しだけでいいんですの。……ギュッとしてくれませんか?」
「……え?」
二つ目の提案に、思わずシリルは驚きの声を上げた。
「嫌ですの?」
「い、いえ! ……そうではなく、その……。この惚れ薬、あまりに強力すぎるんです……!今こうして話してるだけでも、もう頭が沸騰しそうなんですが……この状態で抱きしめたら、その……」
そう言いながらシリルはどぎまぎするように答えていると、セドナが後ろから二人の背中に手を回した。
「ああ、もう、じれったいな! ほら、ギュッとしちゃいなよ!」
「うわ!」
「きゃあ!」
そうして、二人は体をぴったりとくっつけあった。
(やばいやばいやばい! なんだこれ! スファーレ、良い匂いする! 体が柔らかい! 暖かくて、すごい気持ちいい!)
その瞬間、シリルの頭ははじけ飛びそうなまでに混乱しながら、スファーレのことを力の限りに抱き締めていた。
「お、お兄様……力、強いです……けど、もっと強くしてください……!」
その声と吐息がシリルの首に当たり、シリルの動悸がますます強くなってきた。
「もっと……もっと強く抱きしめてください、お兄様……」
(やばい、もう限界! 頭壊れるだろ、これ!)
そう思ったシリルは、ぐい、とスファーレの体を押しのけた。
はあはあと荒い息をしながら、シリルはしばらく呼吸を整えようと、椅子に座りこんだ。
そのまま押し倒されると思ったのだろうが、逆に体を引きはがされたことに意外そうな表情をスファーレは見せた。
「……お兄様……凄い鼓動が伝わってきましたわ? もう私、驚きましたわ……」
「え、ええ。……これ以上抱き合っていたら、頭がおかしくなりそうでしたよ……」
「フフフ。その想いが偽物なのは分かっていますが……それでも、嬉しいですわ? ……結婚したら、毎日ずっと、こうやって生きていきましょう?」
よく見るとスファーレも少し息が荒くなっている。自身のあまりに大きな心音にかき消されていたが、スファーレ自身もかなり心臓が高鳴っていたのだろう。
シリルはその様子を見て、笑顔を見せて答えた。
「ええ。……一生、ともに生きていきましょう、スファーレ」
それから二人は縁談の場に戻り、婚約することを伝えた。
そのことを聴いたラルフは大喜びで二人の話を耳にした。当然惚れ薬の話も聴いたが、
「そうか、惚れ薬を使ったのか! ……シリル、すまなかったな。娘のわがままに付き合わせて」
という程度のものであった。
ラルフも種族はエルフであり、人間の持つ『ヒューマニズム』を生来的に有していない。
無論、人間であった前妻とのやり取りで『ヒューマニズム』に関して、知識として知ってはいるのだろうが、本質的には理解することはない。
そのこともあるのだろう、『女性が意中の男性に惚れ薬を使う』という行為に対してはさほど抵抗がなかった。
そして婚約の証代わりとして簡単な証文をやり取りした後、一行は帰途に就いた。
「あ、帰ってきたのか、バカシリル?」
「け、うっせーよ、バカドワーフ。……ん、ザントはどうしたんだ?」
使用人であるドワーフやインキュバスは、ザントと共にダンスパーティに行っていたと聞いていた。
だが、楽しそうに歌を歌いながら酒をたしなむインキュバスとは対照的に、ザントはこの世の終わりのような顔を見せていた。
「あれ、ザント、どうしたの?」
「あ、セドナさん……」
ザントはやけ食いとばかりに、パーティの残り物と思しき鳥肉を口いっぱいにほおばりながら、答えてきた。
「セドナさん、前屋敷に来てダンスパーティに誘ってくれた子、覚えてる?」
「え? あ、うん。あのエルフの子だよね? 勿論覚えているよ?」
「俺はあの子のこと気になっていて……それで、今回のダンスパーティで仲良くなれたらいいなって思ってたんだよ……」
「うんうん、それで?」
「けど、『私は彼氏がいるからゴメン』って言われたんだよ……」
「あ……!」
そこまで聴いて、シリルは思わず叫んだ。
「ああ、そうか。シリル君は知っているのだね」
そう、隣にいた使用人のインキュバスが笑いかけた。ちなみに彼は以前、屋敷で新曲を披露していた。
シリルは同情するように、ザントを見つめた。
「ザント……。お前、運がないな……」
「え、どういうこと、シリルさん?」
「その、だな……」
少し悩んだ後、シリルはインキュバスの肩を叩きながら、答える。
「あのエルフの少女って、実はこいつと付き合ってるんだよ」
「え、そうだったの?」
そのことには気づいていなかったのか、セドナが驚いたように答える。
インキュバスは、得意げな表情で笑みを浮かべて答える。
「そうなのだよ。そもそもあの少女はこの私の歌にあこがれていたようでね。その話をして、文通をする仲になっていたのだよ。……そしていつしか惹かれ合い、愛し合うようになった、と言うわけなのさ」
「そういうことなんだよな。……先に言っておくべきだったか、ザント?」
「いや……」
そしてザントはうめくようにつぶやいた。
「なんで、俺が可愛いと思った子はみんな、彼氏がいるんだよ……。一人ぐらい俺にだって分けてくれても良いじゃないかよ……!」
そう言って、器に入っていた茶を一息に飲み干した。
「うーん……。ザントも頑張ってるのはあたしも知ってるよ。それに、挑戦したことをあたしは偉いと思うな」
「挑戦、ですか? けど俺はパーティの場で、何もうまく話せまなかったし……」
「前のザントだったら、参加自体できなかったでしょ? 出ただけでも頑張ったって! ほら、おいでよザント?」
「え? ……うわ!」
そう言うと、セドナはザントの頭を自身の胸に押し付け、頭をゆっくりと撫でた。
「よしよし……ザント、お疲れ様?」
「セドナさん……」
セドナの体はロボットだが、女性型であるため胸はあり、また体温も人間のそれと大差ない仕組みになっている。
そして、そもそもが『奉仕』を目的として作られたロボットなので、スキンシップは基本的に誰に対しても例外なく抵抗がない。
ザントは、そのセドナの暖かな感触に身をゆだねながら、ゆっくりと目を閉じた。
「……そうだ、ザント。今度は自分の屋敷でダンスパーティとか主催したら?」
「え?」
「いつも周りに出し抜かれるんだったら、自分から今度は出し抜いてやるつもりでさ! まだチャンスはあるでしょ?」
「うーん……」
ザントはコミュニケーションが苦手で、自分からそのような集まりを主催したことは無い。
だが、その発言に一緒に居た領主ラルフも笑って答えた。
「そうだ、私も手伝っても構わんぞ? 屋敷のホールは使ってくれても構わないし、必要なら酒も少しなら出そうじゃないか」
「……そ、そうですか……。あの……それなら、セドナさんは来てくれないか?」
「え、あたし? だから、あたしはダメなんだよ。踊りとか、そう言うの全然できないからね」
そう言ってセドナは少し申し訳なさそうに答えるが、ザントは食い下がってきた。
「けど、それならセドナさんが楽しめるように談話とかできる場所を作るから! だから出てくれないか? 一人じゃ不安だし……」
そのザントの必死な様子に、セドナは少し考えた後答えた。
「えっと……。まあ、それなら出るよ。いろんな人とおしゃべりしたいからね。あと、今度こそザントに彼女が出来るように、あたしの知り合いもたっくさん呼んであげるね?」
「え? ……あ、ああ……」
本来喜ぶべき言動のはずが、一瞬だけ戸惑う様子を見て、シリルは少し訝しげに眉をひそめた。
(ん? ひょっとしてザント……。セドナのことが好きなのか? ……まさかな。あいつは、ロボットだぞ?)
だが、それについて言及する必要はないと思い、セドナは黙っておくことにした。
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