「自分の意思で」惚れ薬を飲むの、良いよね

「…………」


目の前に置かれた『惚れ薬』を見ながら、シリルは逡巡していた。


(どちらにせよ、カルギス領の未来を考えると、スファーレ様との結婚は避けられないだろう……だが、これを飲んだら俺は……どうなるんだ?)


妹として大事に思っていたスファーレを『女として』愛することが出来る。

そういえば聞こえはいいが、惚れ薬に頼って得られる愛は『本当の愛』ではない。

そんなことはとっくの昔に、本人ですら分かっているだろう。それでもいいから、愛してほしい、というスファーレの気持ちはシリルにも痛いほど理解できた。


(けど……。『自分の意思で』惚れ薬を飲まないといけない、なんて状況は想像もしなかったな……)


そもそも、シリルが知る大抵の戯曲では『惚れ薬』は本人に同意を取らずに飲ませるケースが殆どであった。

その為自身に本気で飲ませたいのであればこっそりと飲ませればいいのに、スファーレはあえてシリル自身に選択の余地を与えている。


これはスファーレにとっての最後の良心なのだろう。



だが、自身の価値観そのものが変化するような『洗脳薬』など、自分の意思で飲めと言われてもためらうのは当然だろう。

……それによって得られる恩恵が、どれほど自分にとって大きくとも。


「……スファーレ様? 一つ提案が……」


そう、おずおずとシリルは尋ねた。


「提案、ですか?」

「ええ、私は今でこそスファーレ様を妹としてしか見れませんが……。女性として愛せるように努力しますし、あなたを幸せにするつもりです。ですので……」

「許しませんわ」


だが、最後まで言うまでもなくスファーレは首を振る。


「この縁談、引き受けるのであれば、薬を飲むことは、絶対ですわ。それは譲れませんの」


もとより『縁談を断る』と言う選択肢自体、シリルには事実上存在しない。そのことを踏まえた上でスファーレはそう言っていることはシリルにも理解できた。


「なぜ、そうまで惚れ薬を飲んでほしいのですか?」


スファーレはその質問に、指を3本立てて、冷静に答える。


「理由は3つ。一つは、我々人間の寿命が短いからですわ。……あなたが私を女として愛せるのに何年かかるか分かりまして?」

「えっと、それは……」


言いよどむシリルに、スファーレははっきり答えた。


「そんな時間を待つなんて、私にはできませんわ? ……それに、一番若い今の私をあなたが女として愛せないのなら……これからも、愛してもらえないのではなくって?」

「そんなことは……」

「ないかどうかは私が決めますわ? 私は一刻も早くお兄様と『夫婦』になりたいのです」

「……あのさ、シリル。人間は寿命が短いからさ。……少しでも長く『夫婦の時間』を過ごすことは、そんなに悪いことじゃないと思うけどな」


この世界の常識を学習しているセドナも、横からそう援護射撃を加えた。


シリルたちの世界は主な種族がエルフである。

その為人間は、相対的に『短命』であることを強く意識させられ、それを劣等感に持つことが多い。


そのこともあるのか、現実世界の人間に比べるとかなり『若いこと』を第一に考えるため、生き急ぐ傾向がある。

スファーレもその一人なのだろう、『とにかく一刻も早く夫婦になりたい』と言う意識がありありと感じ取れた。


「理由の2つ目は……時にお兄様、まだミレイユ様のことを想っていますわよね?」

「う……」


図星を付かれたシリルは少し複雑そうな表情を見せた。


「でしょう? それにほかにも、新しい女があなたの周りに現れないとも限りませんわ? けど、お兄様には私だけを見ていて欲しいんですの。その為なら私は、悪魔にだって魂を売りますわ?」

「…………」


ニコニコと笑いながら答えるスファーレを見て、シリルは恐ろしいものを感じ、何も言葉を発せなかった。


「そして最後の理由、これが一番大きいのですが……」


そしてスファーレは少し黙り込み、そして覚悟を決めるような表情で答えた。



「その前に、お兄様が私にしようとしていた質問……当てましょうか? ……『なぜ、グリゴア領で自分の悪評がやたらと流れているのか』……ですわよね?」



「……ええ……」

シリルは先日サキュバスの少女からされた発言、そしてミレイユに振られた時に言われたことがずっと気になっていた。

なぜ、ミレイユや彼女は自身のことをこんなに嫌っていたのか。それは、幼少期からスファーレに様々なひどいことをしてきたからだ、と何度も言われていた。


以前話した時にはうやむやにされたが、改めてその発言の真意を問いただそうと思っていた。

だが、スファーレはその質問を行うまでもなく、はっきりと答えた。




「もう、分かっているのではなくって? お兄様の悪評をミレイユたちに流したのは、私ですわ」



やはり、とは思ったが、スファーレが冷たい笑顔を見せながらそう答えるのを見て、シリルは少し悲しく、そして恐ろしくも感じた。


「……なんでそんなことを……?」

「フフフ、決まっているでしょう? ……あなたを好きになる女がいないようにするために、ですわ?」

「……好きになる、女ですか……」

「ええ。あと、これもいずれ分かることだから言いますわ。……プロテインの輸入規制を行ったのも私の差し金です。……フフフ……あなたに何が何でも、この縁談を受けてもらうためにね?」

「……黙っててゴメン、シリル。スファーレの言ってることは本当だよ。私も相談に乗っていたから」

「なんだって?」


セドナが申し訳なさそうにつぶやくのを見て、シリルは驚嘆の声を上げる。


「フフフ。セドナには口止めをしてもらいましたからね?」


シリルは顔を青ざめた。

自身のためにそこまですることへのスファーレに対する恐ろしさもさることながら、淡々と笑みを浮かべてそう答えるスファーレへの恐怖を感じたためだ。



……だが、シリルには、そのスファーレの言葉が少しずつ震えていくのを感じ取っていた。


「そして極めつけにね? あの嫌な女……いえ、聖女ミレイユの親友を演じていたのは、この惚れ薬をもらうためだけじゃないのですよ?」

「どういう……ことだ……?」

「彼女の作った薬を横流しして、義父母を操るための資金を稼ぐためでしたのよ」

「横流し、だと……?」


スファーレはミレイユを『お姉さま』と慕うふりをしながら近づき、さらに容姿に優れた少女を『貧乏だけど優しい、薄幸の美少女』のふりをさせて派遣し、うまく同情を引く演技をさせることで薬を安価で購入させてきた。


これは、すべて『聖女の奇跡』の付与が与えられた薬を横流しすることで資金を稼ぎ、借金に苦しむ義父母をコントロールするためであった。


(スファーレとミレイユ様の友情は偽物? そして、グリゴア領に居た奴もミレイユ様を嫌っていたし……じゃあ、ミレイユ様の友達って……今は誰がいるんだ……)


そこまで聴いて、シリルはミレイユのことが一瞬頭によぎったが、今は他人のことにまで気を回す状況ではなかった。

そしてスファーレはにっこりと笑いながら答えた。だが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいることが分かった。


「フフフ……分かったでしょう、お兄様? 私、こんなにろくでもない女ですのよ? ……お兄様を自分のものにするためなら、お兄様をどんなに不幸にしてもかまわない。嫌いな女に親友のふりをしてすり寄って、薬を横流しして、縁談のためにカルギス領民への迷惑も辞さない。そして……」

「スファーレ……」


シリルは、徐々に笑顔が崩れていくスファーレを見て、気が付いた。

スファーレが先ほどまで見せていた冷たい笑顔は、すべて自身の本心を隠すための演技であったと。


「今ここで、惚れ薬を使って無理やりあなたを自分のものにしようとしている。……こんな、酷い女を愛してくれるの? 出来るわけないでしょう!?」


そう叫ぶスファーレはいつの間にか、泣いていた。

ポロポロと流れ落ちる涙は罪悪感から来るものか、自己嫌悪から来るものか、それとも『愛されたい』と思うゆえの懇願か、或いはそれらが入り混じったものなのかは、シリルにはわからなかった。


スファーレはシリルに近づくと、その胸倉をつかみ上げるように力任せに握りしめた。


「……お兄様。きっと今、私のこと、今嫌いになったでしょう? ねえ、そうでしょう!? だから、薬が必要だったのですわ! こんな私でも愛してもらうために!」

「…………」


そして、涙を拭こうともせずに自身を見つめるスファーレに対し、シリルは答えることが出来なかった。


たしかに、スファーレのしたことは褒められたこととは到底言えない。

親友のふりをして騙し、義父母を金で操り、グリゴア領の法律を私物化し、あまつさえ惚れ薬を目の前に置き、飲むことを強要する。


(スファーレ様……)


だが、それと同時に、そうまでして自身を求める彼女が、悲しいくらいに愛おしく思えたからでもある。


その涙をふき取り、そのまま抱き締めることも出来る。……だが、彼女が今求めているのは、そういう『兄』としての対応ではないことは分かっていた。


「だから、これはお願いじゃなくて命令ですわ。……その惚れ薬を飲みなさい、お兄様……」

「もう分かったでしょ? スファーレが可哀そうだよ。……だから早く飲んでよ、シリル?」


セドナからもそう言われ、シリルは惚れ薬を手に取った。


(これを飲んだら、俺は……スファーレ様を女として愛せることになるのか……)


さらに、一瞬ミレイユの姿が頭に浮かんだ。以前失恋はされたが、それでもなお、彼女が頭からは離れることが無かったためだ。


(当然……ミレイユ様への思いも消えるんだろうな……)


だがその瞬間、シリルの脳裏に、以前ミレイユから言われた言葉が響いた。





「そもそも私、自分が不幸になってまで相手を幸せにする人生なんて、まっぴらごめんだから」




その言葉を受けたことがまるで昨日のことのように、シリルには思えた。


(確かにあの言葉……理解はできるけど……それでも、俺は納得できなかったな……俺は……どんなに自分が不幸でも、相手が幸せならそれでいい……そう思ったっけ……)


その思考にはミレイユに振られたことに対する反発心もあるのだろう。

そして、シリルは惚れ薬のふたを開けて、覚悟を決めた表情で頷いた。


「分かりました、飲ませていただきます」

「お兄様……こんな選択をさせて、ごめんなさい、ごめんなさい……」


やろうと思えばスファーレは、セドナに羽交い絞めにさせ無理やり飲ませることも出来た。

また、ここで「ありがとう」と言わず「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口にし、涙を流している。

そんなスファーレを見て、彼女の心の中に良心が残っていることを感じたシリルは、少しだけ安堵した。


「ですが、スファーレ様。……これを飲む前に一つだけ言わせてください」

「何かしら? ……私を蔑む言葉なら、いくらでも受け止めますわ? それだけのことをしたのですから……」


だが、シリルは首を振ってほほ笑んだ。


「そんなわけないですよ、スファーレ様。……これほどまであなたに想っていただけたこと、とても幸せに思います」

「え? ……ですが……」

「いいんです。……ですので、どうか……この選択を悔やまないでください……」

「お兄様……ありがとう……ございます……」


最後の方は言葉にならなかったが、スファーレは泣き笑いの表情でそう答えた。


「それとセドナ……」

「なになに、シリル?」


セドナは褒められると思ったのだろう、ニコニコ笑って尋ねたが、シリルは子どものように笑って、


「勝手なことしやがって、このクソったれロボ」


とだけ答えた。



「あ、酷い! あたしはシリルやスファーレ、ラルフ様やみんなのために奉仕してきたのに、その言い方なんて!」

「フン。……けどま、お前のそう言うところは好きなんだけどな。……それじゃ、飲むか……」



そう言うと、シリルは一息に惚れ薬を飲みほした。

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