第34話 未来の話

「リリー。私は姿こそ違いましたが貴方とずっと一緒でした」


「──そうじゃなくて」



 かけて欲しい言葉はそんなことではない。



「謝らなければいけないことが山のようにあります。ですがそんな時間は残されてはいないのです。私がこれからすることは人間の方々によくしてもらった恩をあだで返すようなことです。それにあなたを巻き込みたくないんです」



 あの時と一緒なのだ。体の震えも私を説得する声も様子も。ご主人様は陥没穴へ行く前と同じように私と目線を合わせて訴えかける。



「今度は絶対に離れませんよ。私は分かったのです、ご主人様がいない世界では私は幸せになど、なれ──」


「君に選択肢はないよエリン。いくら考えても無駄だ。その可愛い従者と地上で一緒に暮らすなんてこともう君にはできない。ここで暮らすって? そんなことが出来たらこんなことにはなっていないというのは君が一番わかっていることだろう」


「私の従者が一生懸命に話をしているというのに。邪魔するとは良い度胸ですね。あなたから消してもいいですよ」


「分をわきまえた方がいいぞ。魔法の詠唱中に他の魔法を使うことができないのは常識だろう。今君はその大切な従者すら守ることができないんだよ」



「試してみましょうか」



 ご主人様はしゃがんだまま右手を海の魔女の方へ向ける。すると手から黒い煙が出てきて魔女の方へ飛んでいった。それに過剰に反応した魔女はすぐさま横に転ぶように避ける。顔からは大量の汗が吹き出しているようだった。



「おい! 化け物かよ、二つの魔法を同時に行使することなんてできるわけが。それより君はそんな危険な魔法を仲間に向けるのか」


「分割思考の一環ですよ。二つの魔法を同時に行使するなど造作もありません。わかったら口を出さないでください。次は当てますよ」



 分からない言葉の渋滞に置いていかれていると、ご主人様は私の顔を覗き込んで「リリー、よく聞いてください」と念を押すように話し始めた。



「私もあなたとの暮らしを手放すなんて愚かなことを考えたことはありません。今でも私の目的はあの家へリリーと帰ることです。ほら、森の木々たち。枯れ果ててしまって大変だったでしょう。彼らの手入れもしてあげなければいけませんね。そうだ! リリーのキノコシチュー食べたいですね。キノコといえばエリンギ。そろそろあなたにも食べてもらわなくてはいけませんね」



 ご主人様は唐突に未来を語り出した。今ここでぶつけたい気持ちは沢山あった。だが、口から出た言葉は森の魔女の従者としての言葉であった。



「──わかりました。では美味しくいただくとします」



 私は掴んでいたシャツの裾を離して立ち上がる。ご主人様が未来を話したのだ。その瞬間からこうするしかなかった。



「聞き分けの良い子で助かります」



 立ち上がったご主人様は虚空から杖を取り出すとそれを地面に突き立てて、ごにゃごにゃとなにかを呟き始めると、周りの草木が一斉に揺れ始める。


 生い茂っていた草木が突然に枯れ始めた。今から大きな魔法が使われるのだということが分かる。暖かな風がなくなり、ひと時の静寂が訪れた。


 ご主人様が振り上げた杖から、一筋の光が放たれた。その光は決して途切れることなく上へ上へ突き抜けるように進んでいく。私がこれまで見てきた魔法のどれよりも静かで地味で穏やかな魔法であった。眩い光を発しているわけでも、凄まじい空気の揺れを感じるわけでもない。この場所の天井へ弱い光が到達したが、まだまだ光線は続く。見えているわけではないがそう確信する。


 ご主人様の眼は虚ろであった。光の方に顔を上げているので、恐らくその先を見ているのであろう。何を見ているのだろうか。この人の目が自分以外の何かに向けられていると思うと胸がざわつく。ご主人様と離れるまで、自分がこんなにも嫉妬深い性格であるとは知らなかった。


 光の道はふわりと消える。魔法の行使者は全身が液体になったみたいに力なく膝から崩れ落ちた。



「ご主人様!」



 私は側に飛んでいき体を支えようとする。近づくと腕を思いっきり引っ張られて私は体勢を崩し地面に倒れ込んだ。気が付くと身体の上にはご主人様がいた。私の背中に回ってきた腕と細い体によって覆いかぶさるように抱きしめられたのだ。かつてないほど込められた力は強かった。まるで何かの衝撃に備えているような。



「申し訳ないです。魔力も体力も、素寒貧なので、これぐらいしかしてあ──」



 暖かな声を遮るようにして襲ってきたのはとてつもない質量の何かであった。

 上からなのか下からなのか横からなのか。はたまた全ての方向からなのか。判別する余裕はなかった。身体が襲い掛かる圧力に悲鳴を上げているのが分かる。私は痛みに対して体を丸めては声をあげる。



「エリンお疲れ様だ。所で随分と苦しそうじゃないか」



 場違いな声が聞こえる。身体を襲う苦痛よりも不快な音である。



「先程の威勢の良い君が恋しいよ。分割思考がなんだって? 魔力切れを起こしてしまっては今度こそ本当に大切な従者すら守れないね」


 海の魔女は私たちに近づくとご主人様の脇腹を足で小突いた。ご主人様は声も出さずピクりとも動かなかった。ドスリと鈍い音で蹴りが繰り出されている。圧力などどうでもよくなるほどに許せない。身体を動かして今すぐにでも止めたいが、抱きしめられる力はより一層強くなる。



「君って意外と悪趣味なんだね。もう目的は果たされたんだ。そんなことしている暇はないはずだよ」



 飄々と塔の魔女が姿を現した。



「これは私とそいつの問題だ。口を挟むのならお前から片付けてもいい」



 塔の魔女はやれやれと両手を上げて降参のポーズをとる。



「とはいえ、痛めつけるのは趣味じゃない。お前がやったことをそのまま返してやろう。それでおあいこだ」



 海の魔女はそう吐き捨てると何歩か私たちから距離を取ると息を吸い込んだ。



「ラァァァアアア…………!!!」



 強烈な音と共に声の塊がこちらへ向かってくる。



「リリー、ごめんなさい」



 力ない声でご主人様は私に謝罪する。ご主人様を助けたい。その気持ちだけで陥没穴へ飛び込んだ。その結末が最愛の人と一緒に天へ召されることなのか。そんな結末は認めたくなかった。無力な私に何かできることがあるか。何もなかった。ただ、ここまで来られただけでも軌跡だったのかもしれない。もう一度ご主人様に会うことができた。それだけで嬉しい気がした。


 私はご主人様の身体に腕を回して力を込める。



「大好きです。お母さん」



 あの時言えなかったことが自然と口にできた。



「リリー、私もです」



 私たちは音波を受け入れた。

















「リリー。諦めるのにはちと遅すぎるんじゃないかぁ!」



 体が青白く発光したと思ったら、私たちの目の前に音波を蹴り飛ばす男の姿があった。それは相棒の狼の姿だ。



「本当にしぶといね」



 海の魔女は唇を噛んだ。ちょうどその時に体を襲う圧力が無くなった。



「ほら、約束通りこれで終わりだよ」



 塔の魔女が睨み合う狼と魔女の間に仲介するように入る。



「それで、エリンはもうこちらに付く気はないの? 私たちにはここで君をみすみす逃がす理由はないのだよ」



 立ち上がろうとするご主人様を支えながら私は体を起こす。



「本当に信用できない人たちですね。私も逃がしてもらえるとは思っていませんよ」



 ご主人様はルガティに向かって懐から出したカードを投げつけると杖を握りなおした。



「何を……する気ですか」



 不安に駆られた私は力いっぱいご主人様の袖を握る。



「リリーいいですか。もうテクスチャはありません。帰還用のカードを使用できるはずです。それを使ってルガーと、皆さんと帰ってください」


「嫌です。一緒じゃなきゃ──」


「ラァァァアアア…………!!!」



 私の叫びを余所に向こうからは音波が飛んでくる。



「キノコシチューです。レシピは覚えてますね」



 穏やかな笑みを向けられる。



「ほらリリー!」



 ルガティに引き離される。

 耳鳴りがする。世界が遅くなったみたいである。ご主人様に音波が向かっていく様子がガラクタの二つの石に映し出される。笑顔を向けるご主人様にどんな顔を返したらよいかわからない。きっと涙で顔はグズグズである。こんな顔で……



「にぃー」



 口角だけを上げた。私のことを見届けたご主人様から黒いケムリが噴き出した。みるみるうちに広がってすぐに姿は見えなくなる。その中に音波は突っ込んだ。



「ご主──」



 名前を呼ぼうとすると、ポケットが光り出した。走るルガティの脇に抱えられながらポケットに手を入れて取り出した。光の正体は陥没穴に入る前に兵士から貰った魔法アイテムであった。これでご主人様は帰れと言ったのだ。



「リリー、カード使って帰るぞ」


「ちょっと待ってください。隊長とエマさんたちが」


「おーい、リリーちゃん!」



 一度ルガティを止めると、遠くから声が掛けられた。見知った声である。



「エマさん!」



 声のを見ると、意識を取り戻した人の群れと隊長がいた。



「私たちもカードを使うから! リリーちゃんも使って!」



 彼女たちはカードを掲げると光に包まれて空へと昇っていった。私とルガティも続くように帰還する。


 

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