男で女の毎日です

ミツル

第1話田宮俊哉

「おはよう」


ロッカーで同僚とお喋りするのが俊哉の一日の始まりである。6畳程度の狭いロッカールームは俊哉にとって唯一心を許せる場所でもある。今日もお喋りに花が咲く。このロッカールームには性自認が女性専用のロッカールームだ。同僚は4人居る。一番お喋りなのは加奈子だ。


「良い男居ないかな」


また始まった、と俊哉は思った。加奈子は骨格が男らしいがそれを除けばほとんど女性だ。対して俊哉は線も細く、レディースの服も難なく着こなせる。


「俊哉、貴女片思いの男も居るでしょ」


「居ないよ」


俊哉はいつも通りの返事をした。俊哉の黒髪のロングヘアーは美容師も褒めるほどの

美しい黒髪だ。もちろん、お金も掛けている。軽くブラシを通して整えた。


「加奈子も早く彼氏作れば良いじゃない」


そうは言ってもなかなかできないんだよ、と加奈子はパンプスを履く。さ、仕事仕事とロッカールームを出て行った。俊哉もゆっくりしていられない。始業時刻が迫っていた。


俊哉の所属する部署は総務部と営業が隣同士で総務部に所属していても営業の業務に携わる部員も居る。


「それでは朝礼を始めます」


総務部の朝礼が始まった。いつも通りの変わらない定型の朝礼。俊哉は高坂先輩を探した。すぐに見つけた。そりゃそうだ、身長が195センチもある大柄な男だ。立っているだけでもここに居ますと自己主張しているようなものだ。姿勢良く立っている。


「高坂先輩、おはようございます」


「オウ田宮、おはよう」


いつも通りの挨拶でも俊哉は嬉しい。女性陣からは複雑な感情を持たれるし、男性陣からは奇異な目で見られる。ほとんど女性の俊哉でもそうなのだ。その中でも高坂先輩は俊哉を色眼鏡で見ずに接してくれる貴重な存在だ。俊哉は自分のデスクに入る。

昨日やり残した仕事の続きだ。仕事をこなしつつ、俊哉は高坂の言葉を頭の中で反芻はんすうしている。


「田宮、お前は世の中の女よりずっと女らしい」


高坂先輩は何気なく言ったんだろうけど俊哉にはずっと心の中に残っている。高坂先輩は私を女性として認めている。泣きだすのをこらえて自分の席に戻ったのは、ありがとうございますと素直に言えなかった自分が恥ずかしかったからだ。その言葉は俊哉にとって最高の賛辞さんじだった。


俊哉が性転換手術を受けたのは二十歳だった。それまではずっと日影を歩いているような日々だった。無理して男のお洒落をした。中性的で女性のような俊哉はもちろん

男女交際などした事が無い。当時はトランスジェンダーと言う観念はまだまだ社会に浸透していなく、俊哉も同じく隠して生きて来た。手術に踏み切ったのは費用が貯まったのと成人したからだった。辛い術後を乗り越えて俊哉は役所へ性転換変更の手続きをした。これで晴れて女性になったのだ。しかしホルモン注射は欠かせなかった。次第に丸みを持つ自分の肉体に自信を持ったものだった。


一日はあっという間に過ぎ去って、定時を迎えた。俊哉はあまり残業はしたくなかったが、ある方面を見ていた。高坂先輩はまだ帰っていない。頭一つ分パーテーションから出ているので仕事をしているのがまるわかりだ。俊哉が高坂先輩が席を立つのを見計らって自分も退社する。帰り際の会話が俊哉の楽しみだった。


「高坂先輩、帰りですか」


「おう、田宮。まあキリの良い所で帰る事にしたよ」


エレベーターホールでの会話が俊哉の唯一の楽しみだった。


「先輩、私に言ってくれた言葉覚えていてくれていますか」


「ああ、忘れちゃいないよ。お前は女だと言った事だな」


俊哉は勇気を振り絞って言った。


「先輩、良かったら今度の休日、お茶しませんか」


「おう、良いぞ。春だしな」


デートだ!デート、デート。俊哉は心がおどった。


ロッカールームには誰も居なかった。もう帰ってしまったのだろう、俊哉は手早く着替えて退社した。休日がこんなに楽しみなのはいつぶりだろうか。仕事の疲れは吹き飛んで、足取りも軽かった。



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