世界の果ての獲物たち

タカハシU太

【第1話】追われる獲物

 おびえながら、森の中を足早に進んでいた時だ。後方で音が聞こえ、レオははっと足を止めた。静かに振り返ると、遠くから不気味な呼吸音がかすかに響いてくる。かなり迫ってきているようだ。

 レオは一目散に駆け出した。背後の獣も追ってくる気配がする。

 視界が開けた。その瞬間、レオは一気に崖下の斜面を転がり落ちていった。


 からくも追っ手を撒いたようだ。

 レオは廃墟と化した工場跡に、足を引きずりながら踏み入れた。先ほどの落下で怪我をしたみたいだが、痛みはない。

 がらんとした室内は瓦礫やガラクタで荒れ果てていた。汚れたマットレス、食器や衣類、ごくわずかな生活必需品が床に散らばっている。最近まで、誰かがここで暮らしていたのだろうか?

 台の上に写真立てが置いてあった。ほっそりした金髪の若者がさわやかな笑顔で写っている。

 写真立ての前にあったペンダントを、レオは手に取ってみた。写真の中で若者が首から下げているものと同じだ。

 表から足音がして、レオは急いで物陰に隠れた。


 紙袋を提げて現れたのは、薄汚い格好をした黒髪の壮年だった。服の上からでも、かなりの筋肉質であることが分かる。

 男は写真立てを眺め、それから室内を見回した。レオの隠れている物陰のほうへ視線を向けると、近づいてきた。

 そこにレオはいなかった。

「……!」

 男の喉元に、フォークが突きつけられた。真後ろにレオが立っていたのだ。

 男はふっと苦笑した。

「……殺せよ」

 渋めの低音を漏らした。

「さっさとやれったら!」

 レオは男を突き飛ばして、後ずさりした。だが、足首の感覚がなかったので、よろけてひざまずいた。

「怪我をしているのか?」

「平気だよ。痛みはない」

 レオは足首を手で隠すようにしながら平然と答えた。

「そうか。余計なおせっかいだったな」

 男はマットレスに腰を下ろし、紙袋を漁った。アルコールの瓶を手にすると、さっそくラッパ飲みする。

「町にはもう誰もいないけど、食いもん飲みもんなら、まだ残っている」

 あちこちに、缶詰やパウチパックのゴミが無造作に転がっていた。

「……なぜ、こんなところにいるの? 危険じゃない?」

「逃げる理由がない……いや、生きる理由がないからかな」

 酔っているのか、男は自虐的に答えた。

「……あれは誰?」

 レオは写真立てを見た。

「……家族みたいなもんだ」

「弟? 全然似てないね。今、どこにいるの?」

「天国か……それとも地獄かな」

 レオは男の横顔を見返した。

「珍しくないだろ。こんなご時世だ。そう、煉獄といってもいい」

「モスキーラにやられたの?」

 血を吸うバケモノに付けられた名前。しょせん、虫けらのような扱いだ。

「噛まれただけじゃ死なない。体が侵食されていくだけだろ?」

「じゃあ、イェーガーにハンティングされた?」

 狩人たちに狙われたのか。いや、人間は狙わないはずだ。

「自ら命を絶ったんだ」

 写真の中の若者は、弾けるような笑顔だった。

「俺の身代わりにバケモンに噛まれて、人間の意識がなくなる前に。俺を襲いたくないからって」

 レオはよろよろと歩き、窓のそばへ来て、外の様子を窺った。

「お前、どこへ行くつもりだったんだ?」

 答えられるわけがない。レオ自身にも分からないのだから。

「足が治るまで、いてもいいぞ」

「どうして、そこまでしてくれるの?」

「気まぐれ……かな」

「ねえ……モスキーラが憎い?」

 男は相変わらず飲み続けるだけで、返事はなかった。それでもレオは淡々と話し続けた。

「人間とモスキーラの違いって、何なのかな? 見た目は同じ……行動も感情もほとんど変わらないのに……」

 男の手からアルコールの瓶が落ち、転がった。酔い潰れて、眠りこけている。

「でも、永遠の命がある……か」

 レオはやってきて、男をマットレスに寝かせてやろうと、そっと体を横にしてあげた。立ち上がろうとして気づいた。

 男は寝息を立てながらも、レオの手を握りしめていた。


          (続く)

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