微糖 少女と檜と藤波辰爾

@Talkstand_bungeibu

第1話

サインポールは朝は9時から夜は17時半まで休む事なく回り続けている。

ちなみに解説すると、サインポールとは床屋さんの前でくるくる回っている赤と青のあれだ。

であるからして俺も床屋だ。

赤色と青色の由来をご存知だろうか?

赤は動脈、青は静脈。かつて床屋は外科医と兼ねていたことからつけられた…と言われているが血液が静脈と動脈に分けられている事が分かったのは17世紀で、赤青に分けられた看板は12世紀から存在したことから、現在ではこの説は誤りとされている。

だがある意味で床屋は医者とも言えるんじゃないだろうか。

例えばあなたは恋する乙女。髪を切りに行ったとき、頭の左側はスキン、頭の右側はパーマをかけられたとしたら、あなたのどこか一部分は死んだと言っても過言じゃないだろう。

だが、大抵の場合そんなことにはならない。

大抵の場合、しがない床屋だ。

いつもと同じ日々が続いていく。

サインポールの赤と青と白のように。


はちのけ村。

俺の暮らす中国地方の一つの、その片隅にある村だ。

幾度かの市町村合併の機会をすり抜け、学校二つ分の人口でやっとこやっとこ経済を回している。

市役所としてもUターンや都心からの移住を進めているが、なかなかそううまくもいかない。

ひとつが環境。

村の最大の資本が農協。病院は町医者が一人。かなりのよぼよぼでどっちが病人だかわからないと陰口をたたかれている。

県で最も大きい窓屋町へは電車がないからバスで1時間。本数は8本。土日はなし。

そしてこの村の唯一の美容室が、俺が営むfoglia nuovaだ。

…ださい。一応、イタリア語で「若葉」を意味し、この緑の景色と、開拓されていない場所から新しい旅立ちを意味してつけたのだが、日本家屋を改装した店舗には不釣り合いだし、平均年齢50歳のじいさま達にはフォガノバだのと呼ばれるし、今から改名するのも気恥ずかしい。

とにかく俺はこの店でじいさまに髭剃ってくれと言われ、美容師だからできませんと言い、じゃあ美容師じゃなく個人のおまえとしてやってくれと言われ、決まりなんでできないですと言い、おいなんでゴルゴ13は置いてないんだといわれ、愛犬の散歩帰りのばあさんたちに立ち寄られてソファを使われ、小さい村で文句を言うと文字通りの村八分にされると無言の圧力をかけられ、ペコペコしながら茶をいれたりしていた。


ところで俺は春が嫌いだ。



夏休みに比べて春休みなんてものはほんの10日くらいだろうか。

どれだけ前髪が重たくできるかとニ校の怖い先輩にどれだけ会わないでいられるかとエアジョーダンにしか興味のいかなかった俺に与えられた10日間の束の間の自由は、同時に高校中退という称号も与えた。


磨りガラスのように見えない未来像とともに俺を襲ったものが、檜だった。


はちのけ村で主要となっているものが、第一次産業である林業だ。

潜在的にbgmとしてチェーンソーの音を聞かされている。

その中でも日本全体の60%を占めている主要なものが、檜である。

そしてご存知の通り檜は4月になると愛のメッセージを伝えようと、花粉を空中に散霧する。

何を隠そう俺は檜アレルギーだったのだ。



店内を流れるラジオが夕方のワイド番組に変わり、窓から夕陽が降り注いだ。

今日何度目かの掃除も終わり、しなびた内装のにやたらと清潔感が漂う店内を見渡す。

大きく伸びをする。今日も売り上げなしか。

これじゃ街中の大きい店へ引っ越すのもままならないだろう。

ふと出入り口に目をやると、少女が立っているのに気づいた。

10代ではあるだろうその少女はスクスクと店内へ入り込み、こちらの方を見やった。

いらっしゃい、と俺に言わせる隙も与えず近づいてきた。

少女は俺にスマホの一画面を見せた。

「これにすりゃいいの?」

少女は頷いた。唯一といっていい意思表示だった。


少女の差し出したスマホの画面に映っていたのは、「利発的十二指腸」のボーカル、ひぐなみうだった。

利発的十二指腸は、オルタナポップというジャンルの第一人者であり、インディーズでありながらかなり大きいハコも経験している。

そのオリジナリティのある音楽性の要素として、回帰的翻訳作詞術というものがある。

これは誰もが知っているJPOPを一旦英語にし、それをAIを用いて翻訳する。そこからインスピレーションを得てひぐなみう自身が作詞するというものだった。

ある種盗用ともいえるこの作詞術に、元ネタとなったアーティスト達の多くは「模倣無くしてオリジナルはない」と寛容的だったが、そのファンの一部はかなり過激なアンチも多い。しかし芸術家の多くが最初は否定されたという事からも明らかなように、利発的十二指腸には根強いファン達がサポートし、それに応えるように、昨年からミニアルバム「はぐらかし」「十六夜」今年は「真坂様」とリリースを続け、五都市ツアー「真坂様ツアー」を行う予定だ。

利発的十二指腸の作曲・編曲の担当はギター・藤田道直だ。重く暗いギターの音色は激しいが時に切なさを感じさせる。その音像と歌詞は相反するものが同時に存在する異様さを生み出す。

そんなひぐなみうの髪型は、青と黒のツートーンである。


「学生?校則とか違反しないの?」少女を椅子に座らせていう。

「あとこういうのって事前に予約してもらった方がありがたいんだけどね」

少女はまっすぐ目の前の鏡を見つめて微動だにしなかった。

だめだこりゃ。要望通りにするまで動かない気だ。

「完全に同じものにはならないよ?」


少女はつやっつやのキューティクルでいいトリートメントを使ってるな、という事がすぐにわかった。

シャンプーしながらドライヤーで乾かしていく。

かゆいとこあったらいってねと常套句を言ったがそれ以外にも何一つ言葉を発さなかった。

少女は文字通り歩くワケアリと言った感じだろう。

二桁に届くか届かないかのはちのけ村では誰もが顔見知りだ。村人の中にいない彼女がわざわざここまで足を伸ばすと言う事はなにがしかの理由があるはずだ。

知りたい。知りたい。


知的好奇心と普段はマシンガントークのじいさんばあさんとの相手をしていることもあり、俺は気まずさを感じていた。

「とりあえずカットしていくよー」

これではヘアスタイリングにも影響が出る。帰ってこない事は承知で、俺は話し始めた。


お客さんの髪綺麗だねー。

いや正直色つけるのもったいないぐらいだわ。

こんなのうちの妹とかだったら泣いて羨ましがるよ。

今ここ離れて隣町に住んで会計士になってんだけどさ、めっちゃ天パなんだよ。

だからたまにきて矯正してくんだけどね。

まぁでも、一々人の髪型とかに色々いうのも余計なお世話だよな。

見た目で判断するなっていうけどさ、やっぱりどんな人間かっていうのが表に出てくるんだろうね。

それを評価するかはともかくとしてさ。

いややっぱ髪を扱う仕事してると色々考えるんだよね。

周りの美容師でそんな奴いないから孤独なんだけどさ。

よくホラー映画とかでも髪ってでてくるじゃん。

友達の部屋に行ったら、床に髪の毛が落ちている。友達は短髪で、彼女かと思ったら、彼女は茶髪だが、その髪の毛は長い黒髪ってね。

こわがらせたか。ごめんな。

これからもわかるように、髪っていうのはその人のパーソナルが出る。

ホラー映画をもう一個例に出すと、日本代表貞子と伽耶子のツートップも長髪だけど、あれなんなんだろうな。

多分、髪って普通に生活したら切ったり整えたりっていうのがあるんだろうけどその生活から逸脱した感じが人ならざるもの、って感じを出すんだろうな。

ならざるものだってさ。はははは。

はい、じゃあとりあえずカットはこれで終わりね。こんな感じでいい?

…答えなしか。

じゃあ一旦流していきますねー。熱かったらいってくださーい。

・・・。

・・・。

ほいっと。

じゃあ髪の色だけど、さっき見せてもらったやつに今ある中で一番近いのがこの色になります。写真こんな感じね。

で、さっきのだと派手すぎるからもっと黒に近い方がいいのかなと思うんだけど…。

わかりましたよ。

じゃあできるだけ近いさっきので、髪の根っこの方は自毛で、だんだんグラデーションではっきりさせていく感じにしますね。

少々お待ちを〜。


じゃあ塗っていきますね。

・・・。

さっき何の話だっけ。そうそう、貞子貞子。

あと、あれ学校で習った?羅生門。婆さんが死人の髪からかつらを作るっていうやつ。ウィッグ。ウィッグ。

あれ結構かっこいい話でね。社会がどんどん悪くなっていくにつれて主人公の下人が雨宿りしてるんだけどさ、文中にもあるんだけど、雨宿りが終わってもどうするという当てもないんだよ。で、下人が上に行ったらさっきの老婆がようは人の道に外れた事をしてるんだけど、でもその死体の女もろくな女じゃないわけ。で、そうしないと生きていけないからって言うのをみて下人は老婆から追い剥ぎをするんだよ。

なんというかさ、芥川龍之介がなんでこんな小説書いたか知らないけど、でもなんかこう、いいよね。


はい、じゃあラップ巻いていきますね。

染みたら言ってくださいね。体質とかあるんで。

・・・言わなそうだね。

何の話だっけ。

えーと。まぁいいや。

そーいや、最近髪型でうんぬんかんぬんしてる事件多いね。

この時代でいうかねって思うけどなぁ。

清潔感ある髪型にして成績が良くなりゃいいけどそうじゃないわけじゃない?

っつーか、あんなおーごとにする必要あるか?とか思うけどね。

内申に響こうがさ、その髪型したいんならすればいいしさ、その価値観の方が先生の評価よりも必要な気がするしさ、それがいやなら七三にして七三の人のする仕事すりゃいーんだよ。七三を悪く言いたくはないけどさ。

そういう意味じゃ男のロン毛とかも歴史的に見たら反発のアイコンなんだろうね。

スクエアな人たちがキリッとした短髪にしてるのと対照的、っていう意味じゃある種大人になる事を拒否する行為なのかもね。

・・はい、よし。じゃあこのままおいとけばいいとして。

ドリンクどうする?

水か麦茶だけど。

両方おいとくわ。


ところでね。

ロン毛は反抗的、つまりレボリューション、古い価値観への対抗意識と結びついていたわけだけど。

髪を切る事で生じた革命もあるわけだよ。

飛龍革命。

藤波辰爾は当時ヘビー級に転身したものの、現在の格闘技にも繋がるUWFや四天王プロレス等他団体に客を取られる状況にあった。そんな中いつまでもメインを張り続ける猪木。

舞台裏で猪木に詰め寄る藤波。逆に不甲斐なさを一喝する猪木。

藤浪は徐に救急箱を手に取り、ハサミを手にした。

すわ凶器攻撃か。後輩たちが身構える中、藤浪は。

自分の髪を切り始めた。

猪木も若干引く中、そんな中で髪を切り、自らの決意を示して見せた。

ファンからは今なおネタにされているその行為だ。

藤浪自身もなぜ髪を切ったかは分からない。らしい。

だが強大な壁に向かっていくときの気持ちはそういうものなのかもしんない。

自分自身もなぜそんな事をしたのかが分からない行為に及び、結果も割と中途半端。後にそれがネタ化されていく。

まぁそういうもんだから。

あんたもね、衝動的に生きてみなさいよっつってね。

ラップ剥がしていきますね。


赤と青の回転は止まり、俺はソファで少し眠って目を覚まして、物件情報サイトへ目をやった。

ここもいいがいずれ大きい店を持つには…まだまだ先になるらしい。

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