ひとりぼっちになった王女が辿り着いた先は、隣国の✕✕との溺愛婚でした

鬼ヶ咲あちたん

1話 小さな王女と夜の道

 ガラガラガラガラッ!




 月のない夜にも関わらず、石畳の上を駆ける馬車は、さらに速度をあげた。


 いつもより揺れる車内では、10歳になったばかりのクラーラが、父である国王に抱き締められている。


 


「お父さま、これからどこに行くの?」




 しかし国王はそれに返事をせず、苦しそうに眉根を歪めると、クラーラの美しい銀髪に髭の生えた頬をひたりと寄せた。


 そのせいで、この急な外出は大人の世界の難しい事情が絡んでいるのだと、クラーラにも分かった。




 クラーラの母は、側妃コリーンだ。


 正妃から生まれた子ではないため、国王と会うにも多くの手順や制限があり、こうして寝ていたところを起こされて、城から連れ出されるなど通常ではあり得ない。




(馬車がすごく急いでるのが分かる。そして石畳があるから、ここはまだ城下町の中だわ)




 緊迫した中でも、クラーラは自分に分かる範囲で、現状を理解しようと努めた。


 まだ未成年のクラーラが、住処の離宮から出ることはあまりない。


 先月、大好きだった母が亡くなって、その葬儀に参列した際、クラーラは初めて王城の外を知ったくらいだ。




(あのときは悲しくて、周りを見る余裕もなかった。そして今は――)




 暗闇のカーテンの向こうで、町の人々はひっそりと眠っている。


 車輪のたてる大きな音も、その静寂に吸い込まれていった。


 クラーラが不安げに窓の外を見ていると、国王がついに重たい口を開く。




「これからクラーラは、お父さまと離れて暮らすことになる」


「どうして? お母さまともお別れしたばかりなのに……寂しいわ」


 


 母を亡くした哀しみは、まだ癒えていない。


 クラーラはぎゅうと国王の腕にしがみついた。


 年老いた国王は、慈しみをこめた青い瞳でクラーラを見つめる。


 その虹彩の中には、珍しい橙色の星が光っていた。


 潤み始めたクラーラの青い瞳の中にも同じものがあり、暗闇でしか現れないこの星が、王族の血が流れている証だった。




「お前を護るためなんだよ。どうか聞き分けておくれ」


 


 国王は腕の中の小さな存在を、正妃ダイアナから死守しなくてはならない。


 


(コリーンの遺体を解剖した方がいいと言う、医師の勧めに従ってよかった。おかげで死因は急な病ではなく、毒だったと判明したのだから)




 当時、まもなく40歳になろうかという国王が、20歳のうら若きコリーンを側妃として迎えた折から、ダイアナの狂気は始まった。


 すでに王太子となる息子を生み、ダイアナの地位は確固たるものであったが、元々嫉妬深い気質だったのだろう、あからさまにコリーンへの悪意を剝き出しにしたのだ。


 


(儂がうかつだった。遠い国から嫁いできてくれたコリーンを、ただ側に置くだけでよかったのに、年甲斐もなく恋に落ちてしまったばかりに……)




 コリーンが国王の子を孕んだと知ったダイアナの怒りは、凄まじかった。


 それから10年の間、国王はコリーンを離宮に匿い、ダイアナが近付けないように画策する。


 生まれた娘のクラーラと一緒に、コリーンには穏やかな一生を送って欲しいと願っていたのだが、ダイアナの妄執のほうが勝った。




(コリーン、護ってやれなくてすまなかった。せめてクラーラだけは、ダイアナの手が伸びる前に――)




 怨恨の塊となったダイアナが、幼いからと言ってクラーラを見逃すはずがない。


 コリーンの死から一か月、国王はクラーラを隠す先を探した。


 そしてようやく見つけた場所へ、今まさに向かっているのだ。




(まさか目と鼻の先の、城下町へ身を潜めているとは思うまい。囮として用意した、地方の別荘をしらみつぶしに捜すはずだ)




 ダイアナがコリーンに手を下した証拠は、今も見つからない。


 つまり元凶をどうにかするのは難しい。


 それならばクラーラが成人するまで秘匿し、国外にでも嫁がせて逃がしてやるしかない。




(あと8年、なんとかダイアナの目を誤魔化さなくては――)




 国王はぎりっと奥歯を噛みしめた。




 ◇◆◇◆




 とある敷地の前で、御者が馬を止める。


 クラーラは国王の手を借りて降車し、真っ暗な地面へ恐る恐る足を着けた。


 すると奥にあるこじんまりとした建物の扉が開いて、クラーラたちのいる辺りまで漏れた灯りが届く。


 逆光を背に立っているのは、国王と同じくらいの高齢の女性だった。


 


「無事に抜け出せたようですね。安心しました、陛下」


「儂が迎えに来るまで……どうか護ってやってくれ」




 国王に背を押され、クラーラは慌ててスカートをつまんで挨拶をする。


 それまで、女性の頬の横で揺れる短い髪に、目が釘付けになっていたのだ。


 クラーラが知る中で、肩につかない長さで髪を切りそろえている女性はいない。


 なぜならば、この国での女性の長い髪は、そのまま美の象徴であるからだ。




「こんばんは、クラーラ。私はドリス、この修道院で院長をしているわ」


 


 ドリスは国王の乳姉弟なのだそうだ。


 国王は腰を落としてクラーラと視線を合わせると、一言一言、噛みしめるように告げる。




「今日からここが、クラーラの生活の場だ。ドリスの言うことをよく聞いて、いい子で待っているんだよ。必ず、お父さまが迎えに来るから、それまで絶対に、城へ戻ろうと思ってはいけない」


「っ……!」




 クラーラは下唇を噛む。


 あふれかけた涙を、急いで瞬きで払った。




「お利口にしているから、早く迎えに来てね」




 クラーラは国王の首にしがみつき、スンと洟をすすった。


 髭がジョリジョリするから嫌と、いつもはしない頬ずりをして、クラーラは国王から体を離す。


 しばしの間、同じ橙色の星が瞬く青い瞳を見合わせ、そして父娘は別れた。




「おやすみ、クラーラ。いい夢を見るんだよ」




 クラーラも国王も、それがこの世で交わす最後の言葉になるとは、思っていなかった。




 ◇◆◇◆




 ――5年後の冬、国王が急逝する。


 院長のドリスと一緒に、城下町を歩いていたクラーラは、広場の中央に張り出された速報でそれを知った。




「お父さま……そんな、どうして?」




 立ちすくみ震える15歳のクラーラは、見習いシスターに扮していた。


 長かった髪を顎のラインで切り揃え、質素な灰色のワンピースに身を包むだけで、元の高貴な身分とはかけ離れる。


 母譲りの銀髪を短くするのは、思い出と決別するようで抵抗があったが、変装を奨めるドリスにクラーラは従った。


 身なりを変えるのは、クラーラが城を出なくてはならなかった件と、関係があると思ったからだ。


 しかし、必ず迎えに来ると約束した国王は、あの夜から一度も会いに来ることなく、クラーラを残してこの世を去ってしまう。


 


「お母さまもお父さまも、いなくなってしまった」




 直接ドリスに尋ねたわけではないが、この齢になるとクラーラにも、なんとなく背景が見えていた。


 元気だった側妃コリーンの突然の死。


 そして夜の暗さに紛れて、国王に連れ出されたクラーラ。


 


(きっと良くないことが、王城で起きていたんだ。それから逃すために、お父さまは私を修道院へ――)




 だから寂しくても、じっと待ち続けられた。


 いつかは家族の元へ帰れると、思っていたから。


 


(お父さまが亡くなって、私と血の繋がりがあるのは、年の離れたお兄さまだけになった。でも、お兄さまは正妃さまの息子……)




 クラーラは、ぶるりと身震いをする。


 いつだったか、用事があって離宮から出たコリーンが、美しかった長い髪を残ばらに切られて帰ってきた日があった。


 平素は冷静な侍女たちだったが、そのときばかりは感情が昂り、幼いクラーラの前で失言をしてしまう。




「いくら正妃さまでも、こんな仕打ちはあんまりです!」




 コリーンがすぐにたしなめたものの、聞いてしまったクラーラにとって、正妃ダイアナは恐ろしい存在となった。


 それ以来、兄との関係がぎくしゃくしてしまい、疎遠な状態のまま今に至る。




(もう誰も頼れない……これからは、自分で考えて自分で動かないといけないんだ)




 夜道を駆けて修道院へきた日から、クラーラの運命は大きく変わった。


 心細さに、ぎゅうと自身を両腕で抱き締める。


 すると――。




「クラーラ、冷えてきたわね。早く帰りましょう」




 背後からドリスに声をかけられた。


 クラーラと同じく、訃報に接したドリスの顔も青ざめている。


 しかし、庇護を失い狼狽えているクラーラと違い、ドリスはしっかりと前を向いていた。


 その気丈さは、クラーラに勇気を与える。




(私も院長先生のように、芯の強さを身につけたい)




 クラーラは決意する。


 そして顔を上げると、ドリスにお願いした。




「院長先生、帰ったら私に、スープの作り方を教えてください」




 その宣言は、王女の身分を捨てるのと同意だった。


 ドリスにもクラーラの覚悟が伝わったのだろう。




「今日からは、あなたをちゃんとした見習いシスターとして扱いましょうね」




 恰好だけでなく、中身ごと変わる。


 それは国王の娘として生まれ、王女として育ったクラーラにとって、容易ならざる道であった。

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