第35話「冷や汗騎士の下心」

 ジャルネット村から少し迂回した場所に、その建物はあった。

 布や小さな柱で継ぎ接ぎするように増築した避難所。表では炊き出し、内部では老人を中心に生活している。

 遠くに親戚がいる場合は移住できたのだが、天涯孤独や一族郎党が代々住んでいたとなるとそうはいかない。

 

 瘴気の噴出は五年前。若い者の多くは出稼ぎで別の場所へ旅立った。

 家族を養う必要がある男達も遠くへ赴き、妻や子供達も多くがそれについていく形となっている。

 浄化が成功しても五年の間で荒れ果てた土地を戻すのに、あまりにも人手が足りない状況だ。

 

 未来が潰えた村。

 それが若侍女エリの家が守り続けたものの正体だった。

 

 浄化遠征が多くを動員する理由の大半が、荷運びである。

 支援物資の輸送、人手の即時投入。医療集団による民衆の健康管理など、やるべきことは山のように積もっている。

 聖女が馬車を降りるよりも前に、避難所に向けて多くの者が動き出した。

 

 騎士も例外ではない。村の自警団長に声をかけ、巡回路の確認や魔物襲撃の報告などを確認。

 瘴気の拡散図と地図を照らし合わせ、実力ある騎士達の小隊を編成した後は討伐を主目的とした視察を始める。

 浄化遠征隊長のハナヤは次々と指示を出しており、当分は暇が訪れないだろう。

 

 人型スライムの視界では、聖女へ向けられる糸が大幅に減少したのが確認できた。

 その報告を受けてすぐ、魔導騎士は冷や汗騎士へ声をかける。避難所の中へ颯爽と入った若侍女をふらふらと追いかけていたので、気を引き締めるための注意も兼ねてである。

 聖女も不安そうな表情で若侍女と一緒に避難所の中へ入り、重要なお仕事前に疲れるといけないからと追い返されていた。

 

「ヒィヤ・アーセデル。所属を告げよ」

「王宮騎士団第十隊所属であります!って、なんですか急に?」

 

 いきなり上司のように圧をかけてきたが、魔導騎士はそもそも所属する騎士団が違う相手である。

 魔導騎士団の第二隊長といえば、その騎士団では三本指に入る実力だ。しかし歴史も規模も圧倒的に王宮騎士団が上であり、年齢も三歳くらいしか違わない。

 十九歳の冷や汗騎士は十五歳で入団。ほどほど普通の実力で王宮内部の警護職に着任し、運よく聖女の護衛騎士という立場になっただけだ。

 

 少し色気づいたせいで金髪を流行に合わせてオールバックにしているが、数本ほど額にかかっている雑さが目立つ。

 翡翠色の瞳とタレ目のせいで童顔さが際立っており、実年齢よりも若く見える。学生と間違われてもおかしくないだろう。

 王宮騎士団を示す赤の騎士服も魅力増加の意図で着崩しているが、確実に上層部からの評価は急降下間違いなしだ。

 

「ハナヤ殿と付き合いは?」

「ちょ、取次ぎとかは無理ですよ!?話したこともないですし……」

 

 魔導騎士には第二王子への伝言などで恩義はある。

 それのおかげで評価は向上した上、聖女や若侍女の好感度も上昇した。

 若干心苦しい時もあるが、受けられた恩恵の大きさを考えれば黙っているが吉なのだ。代わりに魔導騎士には逆らえなくなったが。

 

「……緊急時、ハナヤ殿と聖女様ならばどちらを優先する?」

「もちろん聖女様です!というか、ハナヤ隊長ならば自力でなんとかしますって!」

 

 なはは、と気軽に笑うヒィヤ。その背筋に冷や汗が流れた。

 魔導騎士の赤い瞳が全く笑っていない。真剣そのもので、視線だけで体が三枚下ろしにされそうな気配。

 笑い声が途絶えた冷や汗騎士の耳に、底冷えする低音が響く。

 

「真面目に答えろ」

 

 王宮騎士団は貴族の次男はまだしも、三男坊くらいから憧れの職場である。

 それでいて貴族であれば入団制限は大幅に緩和され、普通に働いているだけで高収入や貴重な機会が与えられる環境である。

 冷や汗騎士もアーセデル家の四男坊で、下流貴族ながらも成金のおかげで保っているような家庭から生まれた。

 

 貴族の誇りは特になく、駆け上がる好機は絶対に喰らいつく卑しさが自慢。

 そんな実家の信条が好きではなかった。もっと気楽に力を抜いて生きていこうと思ったのが、九歳で婚約破棄を言い渡された瞬間である。

 十歳の少女に「貴方の家って残飯を漁る犬みたい」と、婚約破棄の中でも最悪なフラれ方をしているのだ。

 

 ヒィヤが悪いのではなく、ただなんとなく好きではないからの言い草。

 その少女は中流貴族の将来有望長男と婚約を果たし、数年前に結婚している。今度の春頃には子供が産まれるとか。

 それ以来女性のことがなんとなく苦手だった冷や汗騎士は浮いた話がなく、そのため聖女の護衛騎士に選ばれたわけである。

 

 たまたまだった。

 大泣きする聖女の腫らした目を冷やすための布地を頼んだ相手。

 若侍女のエリと出会って、目の前が明るくなったのである。

 

 凛としながらも穏やかな優しさを持った少女。十五歳という若さだが、聖女よりも断然大人に見えた。

 冷や汗騎士が話しかければ、静かに耳を傾けてくれる。面白いことがあれば、花の蕾が開くように微笑んでくれる。

 聖女の専属となった彼女を見つめている内に、今回の遠征や内情を知り始めた。

 

 時折見せる寂しそうな表情は、痛いくらいに胸を締めつける。

 祈るように聖女の世話を甲斐甲斐しくこなしているのを眺めていると、助けられないかと思う。

 聖女と年頃の少女らしい話をしている時、冷や汗騎士には見せたことがないような無邪気な晴れやかさを知ることができて嬉しかった。

 

「聖女様を守るのが、俺の仕事です」

 

 忠義ではなく下心からの言葉。

 しかし恋を前にしてしまったら、どんな無謀も立ち向かうしかない。

 いつか真心――愛になればかっこいいのかもしれないが、まだ遠い道のりである。

 

「よし。十人くらい聖女様のために戦う仲間を集めてこい」

「はい!?」

 

 聖女への忠誠を確かめるだけだと思っていた冷や汗騎士は、髪型が崩れるほどの汗が頭の頂点から流れるのを感じ取った。

 聖女の評判はまちまちで、ハナヤを慕う騎士は多い。

 話の流れから魔導騎士の意図は、憧れの隊長よりも異世界の少女のために戦える騎士を集めろという、無茶難題である。

 

「俺、人望が」

「魔導騎士団第二隊長の推薦による評価向上は欲しくないか?」

「誠心誠意を込めて頑張りまっす!」

 

 実家の卑しい信条が身に染みているヒィヤは、好奇を逃すことができなかった。

 あわよくば若侍女の好感度も上がってほしいと思いつつ、慌ててハナヤから一線引いている騎士達へと声をかけにいくのだった。

 

 夜になると騎士達の鎧が擦れる音が、木枯らしに混じって避難所へわずかに届く。

 寝所の準備を進める若侍女の動きを眺めながら、聖女は羨ましそうに呟く。

 

「シーツ整えるの上手いね」

「ありがとうございます。少しでも寝心地が良くなるよう心がけております」

 

 昼間。避難所の手伝いをしようとした。

 炊き出しに近づいては、火傷や切り傷を負ったら大変と言われた。老人達の話し相手になろうとしたら、疲れが出て浄化に障りがあってはいけないと柔らかく拒絶。

 せめて物資を運びたかったのだが、神子にそんな仕事はさせられないと軽い注意までされる始末。

 

「……あのね、元の世界で大きな地震があったの」

 

 独り言のように口に出すが、若侍女は手を止めて向き合ってくれた。

 

「大きな揺れでね、本棚の本とか全部落ちたんだけど……遠いから家族は全員無事だったんだ」

 

 家具も揺れたが倒れることはなく、棚から落ちた食器が数点犠牲になった。

 電気は通っており、地震直後は水道も無事だった。母親が大慌てで水をまとめて買ってきてくれたので、生活に困るような危機には陥っていない。

 テレビから延々と流れるのは、もっと大きく揺れた震源地。近いはずなのに、途方もなく遠くなった場所。

 

 生活全てが滅茶苦茶で、命が失われた数が日を追うごとに増えていく。

 寒くて、つらくて、同い年の小学生の男の子が笑わない場所。泣きながら行方不明者を探す声は、喉の奥が震えて目頭が熱くなる。

 世界が断層で割れたかのように、地続きなのに遠いと感じる光景。

 

「なにかしたい、してあげたいと思うのに……何もできない自分が立ち尽くしてるの」

 

 小学生だった。募金を集めることだってできたのに、目の前の脅威に呆然として動けなかった。

 そして時間が経過することで日常が戻ってきて、無力だった幼い記憶だけが頭の隅っこでずっとうずくまっている。

 

「エリみたいに動ける人間になりたいなって、ずっと思ってる」

「聖女様……」

 

 若侍女は大地震を経験したことがない。この世界では滅多に起こらないものだ。

 それよりも瘴気の噴出が身近にある。生活空間だった場所が、恐ろしい土地へと一瞬に変化してしまう。

 想像で補えるのはそこまでだ。しかし聖女が避難所で途方に暮れながらも歩き続けていた理由に触れる。

 

「聖女様には浄化の力があります」

「……」

「それは炊き出しよりも、遥かに素晴らしい仕事となります」

「……炊き出しを続ける方がすごいもん」

 

 ぽつりと落とされた不安の声。成功させなくてはいけないと決めたのに。

 広い大地を覆い尽くす瘴気。まるで広大な湖を前にしたような、海と間違うような規模に心が挫けかけている。

 弱気になっても意味がないとわかっているが、成功できる自信がない。

 

「それでも聖女様のお仕事は浄化です」

「……」

「私にはできないことを、貴方が成し遂げるのです」

 

 優しい厳しさだった。

 本当は可能ならば自分がしたいと思っているけれど、歯痒いくらいに役目が違う。

 だからこそ負荷になったとしても、二人目の神子へ強く言い聞かせる。

 

 役目を果たしてほしい、と。

 

「飴、多めにもらってもいい」

「ええ、もちろん」

 

 手の平に乗る五つの飴玉。蜂蜜からできた甘くて美味しいお菓子。

 ジャルネット村の養蜂家が作ったものだと、道中で教えてもらったもの。

 今は生産中止になってしまった、貴重な飴玉を五つも与えてくれる。

 

「ごめん、弱気になった!」

「それで立ち直れるならば、いくらでも」

「自己嫌悪しそうだから、あんまりしたくないかも!でも聞いてくれてありがとう!」

 

 両手で紙に包まれた飴玉を大事に握りしめる。

 ジャルネット村に到着した聖女の中で、今までと違う意志が少しずつ芽生え始めていた。

 それは覚悟を固めるのに大事な要素であることを、聖女はまだ自覚していない。

 

 到着一日目の夜は静かに終わっていく。

 各自の想いによって広がる縁の糸が、ぼんやりと空を見上げる人型スライムの視界に映っている。

 浄化遠征成功のために大事なことが、少しずつ紡がれていた。

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