第2話
玄関の扉を開くと視界に映ったのは僕の妹のユリナと、男一人と女一人だった。男の髪は綿菓子のような白色だった。前髪も後ろ髪も特筆するような長さではななかった。特筆することはむしろその男の顔の方だろう。スマート系というよりはどちらかというとワイルド系というか、ガサツなタイプのイケメンだった。我が強そうな空気感を放っていた。
女の髪はオーロラのように神秘的な青紫だった。髪はショートなのでぜひ長くしたものも見てみたいと思わせるものだった。顔はどこか柔らかい優しさを感じさせるものだった。見方によればどこか奥手な印象も受けるものだった。身長は低めで、美しいというよりは可愛いという印象を強く受けた。
僕は二人を分析しながら思った。この二人の男女は見る限りタイプが違うような気がした。誰が見てもそのような印象を受けるだろう。二人のイメージを動物で言い合わらすならば男が虎、女が兎だろう。好戦的な虎、臆病な兎を誰しもが想像するはずだ。
「ロア、おせーぞ」と白髪の男が言った。「ユリナもそうだったが、お前ら二人揃って寝坊かよ。ユリナに至っては想像できるけど、ロア、お前が寝坊とは珍しいこともあるもんだな」
白髪の男に怒っている様子はなくどちらかといえば楽しそうだった。
「ま、このためにいつも早めに家出てるわけだからな。ゆっくり行ったところで間に合うだろ」
「ごめん」と僕は一応謝っておいた。準備が遅くなった事実は変らないと思ったからだ。すると兎のように臆病そうだと思った女の子が返答してくれた。
「謝らないでいいよ。誰だって寝坊するときだってあるし」
やんわりと笑いながら許してくれる女の子はまさに天使の如くだと僕は思った。とてもモてるタイプではないが一部からは票を集めてそうだと僕は思った。僕らは自然な流れで歩き始めた。当然学校の場所は分からないので僕は隣と歩くスピードを遅らせた。最終的に学校についているという算段だった。
「あ、俺わかったかも。お前らが遅れてきた理由」と白髪の男が言った。「さてはロアとユリナ、お前ら夜遅くまで遊んでたな。いや、いちゃついてたな」
何を言い出すんだこのイケメンはと突っ込みたくなるのをなんとか抑えた。代わりに何を言い出すんだこのイケメンはと心の中でツッコんだ。朝食を食べている時もそうだったが一体全体この設定はなんなのだろうか。どうしてそんなに癖の強い設定があるのだろうか。僕には全く分からなかった。代わりに別のことがわかった。この二人はおそらく僕のことを結構大切に思ってくれていることだ。会話をしているときの表情や仕草が僕にそう思わせた。なにより、僕自身がこの二人に嫌悪感を抱いていなかった。僕が自分自身に驚愕しているとぱちぱちぱちぱちと線香花火のように弾ける音が聞こえてきた。
「正解正解ぱちぱちぱち!」とユリナが楽しそうに言った。
一体何が正解なのだろうか。まさか本当に僕とユリナはいちゃついていたのだろうか。その想像通りなのだろうが僕にはやましい記憶が欠片もないので僕は困った。
「へっ、やっぱり正解か」とネオンがやってやったぜと言わんばかりに笑った。
「ネオンくん、そんな粋がるようなことじゃないよ。それくらい私にも分かってたよ」
「噓つけ。だったらツユが先に応えろよ」
男の名はネオンで、女の名がツユというようだった。ネオンが得意げにしていて、ツユは辟易とした態度から少しの悔しさのような感情を滲ませているように見えた。やめてほしいと僕は思った。僕はただただ残念な気持ちになった。
「まあまあ、二人とも正解ってことでいいじゃん」とユリナが言った。
状況を把握しようとする脳みそは一度機能を遮断してはくれないだろうかと僕は思った。思っていると、ユリナの心配そうな顔が僕に向いた。
「お兄ちゃん、静かだけど大丈夫? 体調が悪いなら元気になる魔法かけてあげるから言ってね」
頭が痛くなってきたとはいえシスコン設定に馴染むと決めたばかりの僕はユリナの頭にぽんと手を置いた。
「平気だよ。心配してくれてありがとう」
「どういたしまして」と言い、ユリナは上目遣いで笑った。「大好きだよお兄ちゃん」
まるで芸を見せたあとにご褒美をもらって喜ぶ犬のようだった。僕はその笑みに見惚れてしまった。ユリナに好意がないとはいえ可愛いことに変わりはなかった。シスコン設定もなく普通の妹だったのなら僕は気兼ねなくその頭を撫でていただろうと僕は思った。
「お前らもう結婚しちまえよ……といいたいところが、なんか違和感があるような」と言い、ネオンが難しそうな表情を浮かべた。
「実は私も思ってたの」とツユも同意した。
「違和感?」と僕は訊いた。その違和感の理由は察していた。
おそらく過去の僕と今の僕の性質が少しずれているとかそんなところだろう。
「えっとね、いつもはなんていうか……ううん、ごめん。とにかく今日はちょっとへん」
「そうなんだよ。今日のロアはなんか可笑しいっていうかなあ。別にいつもと雰囲気とかはそのまんまなんだけどなんか変なんだよな」
「うん、そう。なんか変なんだよね。上手く言葉にできないんだけど……なんか変なんだよ。感覚的におかしいって思っても……どう伝えたらいいんだろ」
変だということはよくわかった。今の僕が変なことも二人が知る僕が変なこともよく分かった。だがそんなことを言われたところでどうしようもないと僕は思った。僕は二人が知る僕を知らない。僕に何を求めているのかも知らない。僕の魂がこの夢に存在し始めた瞬間から二人が知る僕はいなくなってしまった。これはもう確信だった。
「お兄ちゃんが変なのはいつものことでしょ」とユリナが言った。
僕が変だということは痛いほどわかった。だか変といえばこの世界だろうとも思った。この世界はあと半年後に滅びるというのに皆が当然のように学校に向かっている。皆が必然であるかのように世界が滅びることを根拠もなく受け入れている。この状況は異常という他ないだろう。確かに僕のシスコン度合いは重症みたいだがそんなことよりももっと身を入れて話さなければならないことがあるだろう。世界が滅びることを口に出すのは暗黙のルールということでダメなのかもしれないと僕は思った。
「僕はいつもどんな風に変なの?」と、この世界についての思考を深めながら僕は訊いた。
「だから言葉にできないんだよ。ほんとになぁ、なんていったらいいのかわからない。人間はバカみたいな感動とかバカみたいな悲しみとかは言葉で表現できないっていうけど、今の俺の状態は間違いなくそれと同じだ」
「可笑しいのは僕のほうだけ? ユリナは可笑しくないの?」
「ユリナはまあ多分普通だ」とネオンは歯切れを悪くして言った。
「多分?」
「お前が可笑しすぎてユリナがいつも通りかどうかわからないだろ」
異常性を言葉にできないにも拘わらず、異常性があることだけが確かというのもおかしな話だがきっとそういうことなのだろう。要するに判断基準である僕がイカれているためにユリナに正常な判断を下せないということだろう。つまりユリナはいつも可笑しいのだろうと僕は思った。
僕らは学校に到着した。話をしていると着いていた。大きな門が目の前にあってその向こうには壮大な校舎が立っている。緑の芝の上に堂々と乗っかっている。アメリカンな感じが強くて日本の学校という感じがしなかった。無論ここは夢の中で日本ではないのだが僕はそう思った。
僕らは校舎に入った。僕は蘇ってきそうな恐怖が溢れるのを蓋で押さえつけるが如く考えないようにして歩いた。蘇ってくるのは具体的にはいじめられた頃の記憶だった。僕はこの夢に来る一か月前にいじめにあった。高校に入学してすぐのことだ。僕は卑屈な奴だった。自分に全く自信のない奴だった。その雰囲気が周りの人間は気に入らないらしかった。ゆえに僕はいじめられた。そして一か月間引きこもった。この夢の中に来る前の僕は精神を病んでいた。何もできるきがしなければやる気だっておきなかった。僕は高校受験で県内で一番賢い高校に受かり入学した。吐きそうになるくらい勉強した。嘘だ、吐きそうになるくらいではなく吐きながら勉強した。とにかく一生懸命努力をすれば何かが変わるような気がしていた。だが努力をして目標を叶えても周りの輩からの弊害が僕を貶めた。僕が頑張って練り上げた人生のレールはあっさりと破壊された。血反吐が固まって出来上がったレールはあとかたもなく消し飛んだ。また血反吐をげえげえだして作れるはずもなく僕は家に引きこもり始めた。学校はやめなかった。両親は簡単にやめてもいいなどと言うが僕の出した結果が如何なるほどの努力の結晶なのかを知らないからそう言えるのだろう。なにより僕自身が自分の成果を跡形もなくぶち壊したくなかった。希望の目を完全に摘みたくなかった。まだチャンスがあると信じたかった。ゆえに不登校であるが学校を辞めるかどうかは保留にしていた。
両肩についてくるように延々と立ち並んでいる住居に沿いながら僕らは歩き続けた。何度か曲がり角はあったがほとんど真っすぐだった。方向音痴の僕でもその道のりは非常に覚えやすいものだった。
思考を巡らせながら、ときに、友達の会話に相槌を打っていると僕の体は門の前にあった。
美しく湾曲した堅ろうな門はシャチホコを思わせた。お洒落な雰囲気を潜り抜けて先をいくと、縫うように一直線にコンクリートの道ができている。その両側をまるでレッドカーペットを歩く偉い人が通るのを片足を立て頭を下げ見守る人の如く背の低い緑色の芝がある。まだまだぐるりと周囲に視線を巡らせてみれば色んなものがあった。誰だか分からないが妙にクオリティの高い仏像や、緑と調和して瑞々しさが色濃く出た噴水があった。
辺りから色んな声が耳に入ってきた。一つ一つの声に宿された感情も違っていればそもそも大きさだって違っていることに僕はぞっとした。僕の体の中に風船があって針を付きたてられたことに急に気付いたかのような怖気が走った。人間の個としての恐ろしさ、団体になったときの盲目ゆえの恐ろしさが呼び起こされるのが実感できた。僕は負の感情の津波を押し留めることができなかった。止まれと止まれと必死に叫ぶ僕を呪いの色をした波はすり抜けていくようで自分の情けなさが浮き彫りになった気がした。僕は足を止めた。
「ロア? どうかしたか?」
楽しそうな会話の世界から一番最初に抜けたネオンが気掛かりそうな顔を僕に向けた。それにつられるようにしてユリナとツユハの顔も僕へと向いた。僕は条件反射であるかのように「平気だよ」と答えていた。下手くそな笑顔を作っているのが自覚できた。そんな僕を三人は神妙な面持ちで見ていた。その気まずい時間はすぐに終わってくれた。お菓子に群がるありみたいに集った三人くらいの女子グループが近づいてきた。ネオンにつられてきたのだろうと僕は思った。ネオンが男前なやつだからそう思った。だが僕の思惑は外れてしまった。彼女らは僕とツユハにおはようと軽い口調で挨拶した。僕はたじろぎながらもおはよーと挨拶を返した。ツユハもおはよーと挨拶を返した。挨拶を返しながら不思議に思った。もしかすれば違和感を感じる僕の方が鋭敏になっているのかもしれなかった。ユリナにはどうして挨拶しないのだろう。僕は疑問に思った。
次に場の空気がきっちりと僕の心の機微を察知したかのように状況が動いた。ユリナが屈託のないような笑みを咲かせて挨拶をした。僕の予想通りなことに無視だった。悲しそうにするでもなくユリナはもう一度挨拶しようとしたらしかった、口が半開きなりかけたのを見て僕はそれを察した。唇の隙間からユリナが声を出すことはなかった。それよりも早く、あるいはそれを遮るように、女子たちの関心はネオンへと向かった。僕はそれを見ながら思った。僕もツユもネオンに手を届かせるための、心証をよくするための踏み台だったのだと。僕の目の前にいる女子達はきっとそういう奴らなのだと。
女子達は、朝何食べかとか今回のテストがヤバいなどの取り留めのない話をして校舎の中へと消えていった。
「嬉しくないことはない。だが面倒だな。俺はあいつらみたいな奴らを生理的に受け付けないんだよ」と困ったように笑いながらネオンは言った。
「どうして?」
「いつも似たようなこと言ってんだろ」
「忘れたんだよ」とぎくりとしながら僕は答えた。「ごめん。それで、どういうところが受け付けないんだい?」
「お前らを見下してるのも腹立つがな。それ以上に無理なことあるのな。あいつら、機械みたいじゃないか? 俺には自分の気持を持ってるように思えないんだよ。まるで誰かに従い動く盲目な生物。人間じゃない何かだよ奴らは」
「そうかもしれないね」
「ちゃんと俺が言ったこと理解して答えてるか?」
「それはもう」
校舎の前で立ち止まっていた僕らは中に入った。ロイヤルなんて単語があるが、僕が最初に思う浮かべたのがそれだった。校舎は真っ白だった。新しく建て替えられた新築の校舎でもこうはならない。そもそもこの建物を建てるのに扱われた素材から違っているのだろう。そうだとするならばこの校舎の年季は関係ないだろう。材質の問題になってくる。使われていないから綺麗というより、この学校であるからこそ綺麗であるというような理屈を抜きにした美しさだった。驚愕しながら僕は三人の背中を追っていった。僕はちらりとユリナを見た。好奇心の塊みたいな顔をしているユリナは楽しそうだった。先程の出来事を忘れたかのように、あるいは気にしていないかのように振舞っているようだった。
生徒の数は三十人だった。全校生はこのクラスの生徒だけで三十人だけだった。不気味だなと僕は思った。教室内のあらゆる情報を処理しているとすぐに授業は始まった。大学のような空間の取り方になっていて高校生の僕には馴染みのないものだった。えさを順につけた釣り竿の用のような感じで生徒は長机に座っていた。長机は横三列となっていた。
座っている生徒は皆熱心にノートを取っている。前で教師が説明していることをかたかたメモしている音が教室中に響いている。教師は女性だった。髪の色が燃え盛るような赤色だった。顔はどこか鋭さを感じさせるもので授業中にゲームをしていても、大きくて、鋭い声で指摘されて回収されそうだと僕は思った。自分の直感を信じるわけではないが、ノートを取るふりに徹した。周りに溶け込むのだと本能が叫んでいる気がした。
「ユリナさん起きなさい!」と教師は声を張り上げた。
どうやら僕の直感は正しかったみたいだった。直感は型に嵌るパズルのピースと同じくらいぴったりだった。ただし、流石に僕の妹が指摘の対象とまでは思っていなかった。
皆が後ろを振り返った。草木が風に揺られて同じ方向に流されるのと似ていた。僕も後ろを振り返った。僕の妹は寝ていた。曲げた腕を机に張り付けひし形を作り、上に出来ている掌の二段重ねに頭を乗っけて眠っていた。ユリナが先程みんなに挨拶をしてシカトされていたのはこういったっことが影響しているのだろう。薄々だが僕はそれを感じ取った。現に、今もクラスの人間の視線はユリナへと向いていた。どれも攻撃的な視線だった。中には興味なさそうな生徒もいるが、七割くらいはユリナを注視していた。授業を止めるなと思っているのだろう。
「ユリナさん!」と教師がまた声を張り上げた。
ユリナはもぞもぞと芋虫みたいに動いた。んんっと唸り声か寝言かを上げて体を起こした。眼をこすり眠たそうにしていた。注目の的になっているというのにふわ~と大きな欠伸をして、ぱちぱちと目を瞬かせ、薄く開かれた眼が教師へと向いた。しばらく教師とユリナの視線が交錯した。痺れを切らしたのか、教師はそれ以上何も言わず授業の続きを開始した。どの魔法が最速で発動できるのかや、雷属性には何属性の魔法が有効なのかを話し出した。仕事に入った瞬間学校で習ったことが役に立たなくなるのはこんな気分なのだろう。無知はただただ不安で、社会の歯車になる前もこんな気分なのだろうと思った。
一時間が経過してついに授業が終わった。終わってくれた。説教された後にユリナがもう一度寝たのか僕は知らない。だが、他の人が愚痴るのを聞いて僕は知った。ユリナが一時間ずっと爆睡していたことを知った。彼女が授業中ずっと寝ているくせして筆記テストで満点ばかり取ることも同様に知った。
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