第22話 皇女からの手紙


「……存じ上げませんでしたわ。まさか、あなたがここの領主になったなんて」

 アデウスを伴って、ユレニアは孤児院の裏庭を歩いていた。

 野菜と果物を作る菜園で農作業をするシスターたちと少年少女たちの姿を見ながら、アデウスは唇を綻ばせる。

「聖女様にご助力いただいたお陰で、皇帝陛下から恩恵を賜ることができました。皇女殿下からも後押ししていただいたようでして」

「……おめでとうございます。辺境伯と言えば、重要な場所を守るお役目ですもの。名誉あることですわ」

「ありがとうございます。私も古巣の辺境騎士団に戻ることができて、とてもうれしく思っています……そして、あなたとこうして再会できたことも」

 ユレニアは彼の言葉に、歩みを止めた。

 振り向いてアデウスに微笑みを向けるが、それは晴れやかな表情とは程遠いものだった。

 彼の言葉を、勘違いしてはいけない。

 アデウスはユレニアとは住む世界が違う人だから。

 辺境伯になったということは、都でいえば侯爵に匹敵する地位を得たということ。

 すなわち、実質的にこの場所を治めていようと、戦時中でなければ都に寵姫滞在することも可能なのだ。

 皇女がアデウスを辺境伯に推したのは、自分の配偶者として彼がこの地位を得ることを望んだということに他ならない。

(そう……アデウス様は、皇女様の婚約者になったんですもの。恋心は捨てなければならないわ)

 ユレニアは、感情を押し殺しながら言葉を紡いだ。

「わたくしも、再会できてうれしいですわ。アデウス様のご活躍を、間近で見聞きできるのですもの。それに、アデウス様は皇女様の婚約者になられましたし……これ以上の誉れはございませんわ」

 彼女の発言に、アデウスは首を傾げた。

「……婚約者? いったい何のことですか?」

「……えっ……建国祭で、皇女様は婚約者を発表されたのでは?」

「それはそうですが……そこでなぜ、私の名前が出てくるのです? 皇女殿下には、ロベルシュタイン公爵という恋人がいらっしゃいます」

 その返事に、ユレニアの頭の中は混乱した。

 いったい、これはどういうことだろう?

 ルドヴィカはアデウスに対する報奨として、皇配の地位を授ける予定だと言っていたはず。それなのに、恋人のロベルシュタイン公爵と婚約したなんて……。

「……それでは、公爵が皇女様の婚約者になられたのですか? 本当に?」

「当然でございます。逆に公爵閣下以外の誰が、皇女殿下と釣り合うとおっしゃるのです?」

「わたくしは……アデウス様が高位貴族になられて、皇女様とご結婚するとばかり……」

 頬を赤らめるユレニアに、アデウスは呆気にとられた様子だ。

「ああ……もしかして、皇女殿下にからかわれたのでは?」

「からかわれた?」

「あの方は、可愛らしいご令嬢を見るといじめたくなる性分のようでして……それゆえ、色々と誤解を生むことが多いのです。悪気があるわけではないと思いますが、ご迷惑をかけたのだとしたら、この私が代わりに謝りましょう」

 それを聞いて、少しは事態が掴めてきた。

 ルドヴィカの噂は様々あれど、基本的には悪評が多かった。

 悪い噂の出所は皇妃だったと判明したものの、まったく根も葉もないわけではない。

 アデウスが言うように、純真無垢なユレニアを見てからかいたくなったという気持ちもあったのかもしれない。

「実は聖女様にお渡しするように、と皇女殿下の手紙を預かっております。もしかしたら、これを読んでいただければ、事情はわかっていただけるかもしれません」

 そう言いながら、アデウスは懐から赤薔薇の封印がされた封筒を取り出した。

「これを皇女様がわたくしに……?」

「ええ。今週、聖女様がこちらにいらっしゃると教皇猊下に伺って、持ってきたのですよ」

「ありがとうございます。こんなお役目までアデウス様にさせてしまって……今、中身を確認いたしますわ」

 封を切って、ユレニアは文を読み始めた。


『親愛なるユレニア嬢

 ごきげんよう、聖女様。教皇庁にお戻りになられてしばらく経ちますが、いかがお過ごしでしょうか?

 今日、お手紙を差し上げたのはお詫びをするためです。

 この文はアデウスに手渡したから、彼が辺境伯になったのはもうご存じですよね?

 かねてから、わたくしは彼がアーレンヴェルク領の領主になるのを望んでおりました。

 視察で辺境騎士団での彼の活躍ぶりを聞いた時から、子がいない辺境伯の跡継ぎに推すつもりでいたわ。

 でもね、辺境伯という役目は大事なものよ。

 戦争が起きれば最前線に立たねばならないから、わたくしへの忠誠を誓ってくれる者を就けたかったの。だから、しばらくは近衛として身近に置いて観察したけれど、期待していた以上の働きを見せてくれたわ。

 だから、ずっと国境沿いを守らねばならないアデウスを、わたくしが配偶者に選ぶなんてあり得ないわ。それに、わたくしは意外とウィルフリードのことを愛しているのよ?

 じゃあ、なぜあなたに嘘をついたかって?

 そんなの、決まっているじゃない!

 聖女様があまりにも清楚で可憐だから、いじめたくなっちゃったのよ。

 でも、今はとても反省しているの。あなたにはずいぶん世話になったんですもの。

 そのお詫びに、読心術が使えるわたくしがとっておきの情報を教えて差し上げるわ。

 アデウスはあなたのことを愛しているわよ……あなたが思うより、何百倍も!

 あなたへの報奨……それはアデウスよ。

 彼と結婚するのに支障にならないよう、聖女様に準男爵位を叙爵するよう教皇猊下が手続きを進めているわ。

 身分なんてどうでもいいと思っているかもしれないけれど、今後いつ役に立つかわからないから、ありがたく受け取ってちょうだいね。

 では、アデウスと末永くお幸せに!

 ルドヴィカ・フォン・シュトレーベル』


 手紙を読み終わったユレニアは、心の中の靄が晴れた気がした。

 やはり、アデウスの言う通りだった。

 ルドヴィカはユレニアをからかったのだ。それについては、怒りさえも起こらない。

 なぜなら、それ以外に重要なことを皇女は教えてくれたから……。

(アデウス様は、私のことを……?)

 そう思うだけで、胸が甘く疼いた。

 愛してはいけない人だ、と封じ込めていた想いが溢れ出しそうになる。

 目を瞬かせてアデウスに視線を移すと、澄んだ青い瞳は柔らかく彼女を包み込んでいた。



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