第18話 愛の告白!?1
今夜は皇宮での催し事もないため、ユレニアは皇女宮で晩餐をとった。
明日になればディズレー枢機卿が都に到着し、午後にはこの宮で交換の儀式をすることになっている。
(……これが、この宮でとる最後の晩餐になるのね……)
ため息を漏らしながら、ユレニアは淡々と食事を済ませる。
ルドヴィカが賛美していたように、皇女宮の料理人の腕前は最高だった。その貴重さを実感して、ユレニアは供される肉料理やそれに合わせた葡萄酒を楽しんだ。
辺境に戻ったら、皇宮で当たり前に出されるような白い柔らかなパンや、見た目の美しさや凝ったソースで作り上げた料理の数々は拝むことすらむずかしくなる。
教皇庁では、その頂点に立つ教皇さえも贅沢を好まない。
貧しい教徒たちと同じ生活をすることこそ、高い精神性と神聖力を保つ秘訣なのだと神官たちに事あるごとに説教している。
(聖職者が清貧の暮らしをするのは、当然だと思うわ。だって、信者の人たちの寄付で生活しているんだから)
自分がいるべき場所の常識と皇宮での常識はかけ離れているから、長くこの場所にいるべきではない、とユレニアは思っていた。
それゆえ、ディズレー枢機卿に体を元に戻してもらったら、すぐに辺境に戻るつもりでいた。
枢機卿とグラストン大神官は、この都で聖職者たちとの会合があるため、一週間ほどここに滞在すると聞いている。
しかし、ユレニアはそんなに長いこと都に留まりたいとは思わない。
都には治癒力が優れた神官が何人かいると聞くから、聖女に戻ったとしてもユレニアの手助けは不要だろう。
彼女の助けを必要とする人々は、教皇庁に集まってきている。
ユレニアが眠りについたとき、彼女が一日でも早く覚めるように、と信徒たちが教皇領を目指して巡礼してきたらしい。
ルドヴィカが目を覚ましてからは、毎日のように人々が押し寄せ、治癒をするだけで一日があっという間に過ぎ去ったと聞く。
そんなに彼女を待つ人々がいるのであれば、聖女としては急いで帰らねばならないだろう。
食後の紅茶を飲んでいると、侍女が食堂に入ってきてユレニアに告げた。
「皇女殿下、ゲーリング卿が参りました。お会いになられますか?」
その名を聞いて、胸がドキッと高鳴った。
何の用があるのかはわからないが、こちらも別れを告げる必要がある。
「ああ……そうね。ゲーリング卿には、庭園を散歩したいので付き合ってくれるように言ってくれるかしら?」
「かしこまりました」
侍女が下がると、ユレニアは深呼吸をして胸を落ち着かせてから席を立った。
宴がない夜の庭園は、穏やかな静けさに満ちている。
所々に衛兵の姿があるものの、松明はパーティーの夜よりも少なく、時に騒がしいほどに思える貴族たちのおしゃべりも聞こえてこない。
建国祭を前にして各国から使節団が続々と到着しているが、今夜は皇帝との晩餐会は予定されていない。皇帝がいる宮殿さえも、闇に紛れ込むほどに明かりが落とされていた。
こうも皇宮での催しが少なくなったのは、皇妃アデライードが体調不良を原因に皇妃宮に蟄居しているからだろう。
アデライードは、建国祭の前に南の離宮へ行く準備をしている最中だ。
侍女から聞いたところ、
すっかり、火が消えたように落ち着いた庭園は、いつしかパーティーの夜に見上げた空と同じように月の光が降り注ぎ、無数の星が瞬いている。
――時が経つのは早いもの。
同じようにアデウスにエスコートをされていても、あの時はここまで彼との別離を間近には感じていなかった。
(できるなら、パーティーの日に戻りたいわ)
心底、ユレニアはそう思う。
アデウスに想い人がいると聞いて衝撃を受けたのも、あの夜だった。
しかし、まだ彼との関係がすぐに途切れるわけではないから、ここまで沈鬱な気分にならずに済んだと思う。
しかも、あの時はルドヴィカがここまで大きな影をもたらしてくるとは思いもしなかった。
アデウスが皇配候補の筆頭になるなんて、誰が予想するだろう?
「夜遅くにお伺いして、申し訳ございませんでした」
「いえ……」
いつもよりも、二人の間の言葉数は少ない。
これまでは、ユレニアは皇女の演技をするために彼の助言が必要だったし、アデウスのほうもアデライードの悪事を暴くのに、彼女に助力を求めねばならなかった。
しかし、今はもう互いを利用する必然性はない。
明日になれば、本物のルドヴィカがこの体に戻ってくる。
アデウスは社会的な地位と名誉を受け取り、ユレニアは辺境に戻って聖女としての役割を果たす日々を過ごす。
そして、一生互いに会うことはなくなる……。
『そこまでアデウスのことを想っているのなら、彼に気持ちを伝えてはどうかしら?』
昼間に言われた皇女の言葉が、脳裏に蘇ってくる。
(でも……私は、何も持っていないもの……)
自分の想いを吐露するのは、もしかしたら簡単かもしれない。
たとえ、その返事が芳しくないものだとしても、ユレニアは明日になったら辺境に去っていく身である。
だからこそ、ずっと顔を合わせねばならない時期よりは、気軽に想いを口にすることもできたかもしれない。
ただ今日、本物のルドヴィカに会ってから自信が失われた。
自分の無価値さを思い知ったユレニアは、アデウスに告白などしてもいいものかと思い悩んでしまっている。
無言のままのユレニアに、アデウスが問いかける。
「……先ほど、大神官様に会いました。明日、儀式をされるそうですね」
「その通りですわ」
「よかったです! ずっとこのままでいらっしゃるのは、聖女様にとってもご負担だったでしょう? あなたのような心清らかな方には、この宮廷は似合わないと思います」
そう言われて、ユレニアは複雑な心情になった。
アデウスは彼女の状況を思って、言ってくれているというのに……今のユレニアは、すべてを否定的に捉えてしまう。
(あぁ……こんな私に好かれたとしても、アデウス様が喜ぶわけがないわ)
沈鬱な気分が、彼女の心を覆い尽くした。
穏やかな檸檬色をした月を見上げながら、ここが暗くてよかったとつくづく思った。
思いがけない自分の卑屈さと、アデウスとの別離を考えて、知らぬ間に目尻に涙が溢れてしまっていた。
それと悟られないように、ユレニアはそっと指先でこぼれてしまいそうな涙を拭く。
彼女は思った。すべての想いを封じ込めて一生を過ごそう。傷病人を治癒することに全力を尽くそう、と――。
己に与えられた役割を懸命に果たしていれば、神の恩恵があるはずだ。
そうすれば、ルドヴィカの配偶者にアデウスが選ばれたというニュースが辺境まで聞こえてきても、心が揺さぶられないはずである。
沈黙を守ったまま、松明の火で照らされた噴水に辿り着く。
アデウスはその前のベンチに、持っていたハンカチを敷いてくれた。
「聖女様、少しここで休みましょう。この前庭では、噴水の辺りがお好きだと以前伺いましたし」
「ありがとう、覚えていてくれたのですね」
他愛のないことでも、冷たくなっていた胸がほんのりと温まる。
そういう小さな優しさを度々見せるアデウスだからこそ、あきらめねばならない想いを捨てられないのだ。
(いっそのこと、私のことなんて嫌ってくれればいいのに……)
そう思ってはいるものの、ユレニアはアデウスにとって部下の命を助けた恩人である。
ふつうの女性に対する以上に、配慮を見せてくれるのは当然のことだ。
その優しさを感じると、どうしても心のどこかで期待をしてしまう自分がいて、ユレニアは困惑してしまう。
彼女がベンチに腰を下ろすと、アデウスも少し距離を置いて隣に座った。
微風が木々を揺らす音や虫の音しか聞こえてこない中、ユレニアはぼんやりと月の光を反射する噴水の水面を見つめる。
(……なにか、話題はないかしら……あまり黙っていても、申し訳ないわよね)
また、もだもだと悩み始めるユレニアだったが、先に沈黙を破ったのはアデウスのほうだった。
「……あの、聖女様……聞いていただきたいことがあるのですが」
「えっ……?」
いつになく真剣な表情のアデウスを見て、ユレニアの心臓の鼓動は跳ね上がった。
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