第10話 神聖力の検査1

 国王の謁見室は、皇宮のエントランスホールや舞踏会が開かれる大広間の豪奢さと相反して、無駄な装飾は極力省かれていた。

 吹き抜けの天窓から入ってくる太陽の光に、照らし出されるのは大理石の床の上に敷かれる藍色の絨毯。東方の意匠を取り入れた花模様の繊細な美しさだけが、この部屋に静かな華やぎを醸し出す。

 分刻みに時間を決めて執務を行う皇帝の気性を表すように、社交の場とは一線を画した厳かな空間に入った瞬間、ユレニアにそこにいる人々の視線が突き刺さってきた。

(あぁ……これで、もうおしまいかもしれないわ……)

 彼女はルドヴィカの瞳の色に合わせた深緑のドレスに身を包み、暗い色の髪を結い上げている。

 控えめな装いをしているのは、これから待ち受ける運命が分かっているから。自分の立場を知っているからだ。

 ユレニアは緑色の瞳に絶望を滲ませていた。

 神聖力の違和を察した神官に咎められ、皇女ルドヴィカの偽者として捕らえられることになる。最悪の場合は、皇族に成り代わった罪で処刑されるかもしれない。

(でも、私の意志でこうなったわけじゃないわ)

 その不条理を思うと、泣きそうになる。

 彼女が無罪だと知るのは、アデウスしかいない。

 不安そうな表情で後ろに控える彼を振り返ると、アデウスはユレニアを勇気づけるように微笑んでくれた。

(アデウス様がついていてくれるんだもの。何とかなるかもしれない……とにかく、皇女様のふりをしないと……!)

 怯んでしまう気持ちを奮い立たせ、ユレニアは高座へと一歩一歩進んでいく。

 高座の下に居並ぶのは、皇妃アデライードと皇帝付きの近衛兵たちだった。

 皇帝に呼ばれた者の従者や衛兵は、後方で待機するしきたりになっている。

 それは皇女であっても例外ではない。そのため、アデウスとグントラム少尉は部屋の後方に並んで事の成り行きを見守っている。

「ヴェルグ帝国の輝く太陽であられる皇帝陛下、皇女ルドヴィカがご挨拶をいたします」

 ドレスの裾を摘んで挨拶をする娘に、玉座に座っている皇帝が鷹揚に頷きながら声をかけた。

「ご足労であった、皇女よ。顔を上げよ」

「はい、陛下」

 顔を上げると、皇帝は申し訳なさそうな表情をする。

「この度の神聖力検査だが、前例のないことで驚いたであろう?」

「いえ……前の検査から四年も経っておりますから、陛下がわたくしの能力を今一度確かめたい気持ちは、十分に理解しておりますわ」

「けっして、疑っているわけではない。皇女の異能は、傍系を含めて皇族の血筋が流れる者たちの中でも群を抜いておるからな。しかし、わしはそう思っていても、皆がそう感じているかどうかは別の話で……なぁ、皇妃よ」

 助けを求めるように、皇帝は皇妃アデライードに目配せをした。

 落ち着いたデザインのクリーム色のドレスを身にまとった皇妃は、皇帝から発言を求められると可憐な美貌に柔らかな笑みを浮かべた。

「陛下がおっしゃる通りでございますわ。もちろん、これまでに行った三回の神聖力検査が基本であるとはいえ、皇女殿下も晴れやかな気持ちで建国祭に臨みたいでしょう。念には念を入れて、廷臣たちの疑いの余地がないようにするのが最善の策ではございませんこと?」

 それを聞いて、ユレニアはようやく気づいた。

 ユレニアがルドヴィカではないと疑っているのは、皇帝ではない……皇妃アデライードのほうである、と。

 この場で何かしらユレニアにとって不利な証拠が出れば、皇妃にとっては追い風になる。

 彼女の息子であるマルク皇子も、皇帝の血を引くため強い神聖力を持っている。

 他の貴族子弟と同じようにアカデミーに通わせているのは、アカデミーには多くの神官が遣わされているからだ、とアデウスが言っていた。

 正規の授業の他に、神官たちから直接指導を受けることで、マルクの異能をルドヴィカに知られずに高めようとしているらしい。

 マルク皇子が能力を高めるだけなら問題はない。皇族の神聖力が強大であればあるほど、他国への脅威になるからだ。

 ところが、今回のアデライードの狙いはルドヴィカが皇太女になることを阻むことである。

 手に汗を握りながら、ユレニアは何とも思っていないように微笑んだ。

「あら、皇妃殿下にそこまでご配慮いただけるなんて光栄ですわ。追加で検査をするだけで、皇太女になる資質を証明できるのなら喜んで受けさせていただきましょう」

 それを聞いたアデライードは、少し意外そうな表情をする。

(やっぱり、彼女は私を疑っている……)

 確信を得た後に、ユレニアは努めて余裕がありそうな素振りを見せた。

「それで……検査のご担当をいただける神官様はどちらにいらっしゃいますの?」

 そう尋ねると、タイミングよく謁見室に神官が入ってきた。

 白地に金色の刺繍が入った法衣と帽子は、確かに教皇庁の神官の証であった。

 しかし、ユレニアは神官に対して、違和感を覚えた。

 聖女として教皇庁にいたから、ヴェルグ帝国に派遣されている神官全員の顔と名前はだいたい一致する。たしか、リカルドという名だったと思う。

 ところが、彼の身から感じるものがユレニアの体内をぞわりと刺激してくるのだ。

 不審に思ってユレニアは神官を凝視した。

(……おかしいわ……)

 ユレニアが疑惑を向ける中で、神官は高座の前で頭を下げた。

「皇帝陛下、教皇庁の命にて参りました神官リカルド・ベレーがご挨拶差し上げます」

「貴殿が神聖力検査を担当する神官か。ご足労であった」

「ルドヴィカ皇女殿下の検査をすると伺っております。さっそく始めさせていただいてよろしいでしょうか?」

「うむ、頼んだぞ」

 皇帝が鷹揚に頷くと、リカルド神官はルドヴィカに向き直って頭を下げる。

「お初にお目にかかります、皇女殿下」

「お手数おかけいたしますわ、リカルド神官様」

 ユレニアは柔らかな笑みを浮かべながら、神官を見つめた。

「わたくしの記憶が正しければ、神官様には戦争の視察の時にお目にかかったことがあると思うのですが、覚えていらっしゃらないかしら?」

 それを聞いて、神官は目を丸くした。

「そうでございましたか……? 最近、年のせいか物忘れが激しくなってしまい……」

 神官の反応を見て、ユレニアはにやりと笑う。

「まぁ、次期君主の視察を忘れるだなんて、ずいぶんと酷い物忘れだこと。神官様がわたくしの神聖力を正しく判断してくださるかどうか、いささか不安ですわね」

「も、申し訳ございません。しかし、神聖力の有無については周りでご覧になる方々にもわかるものですから……」

 焦っている神官の様子を見れば、彼が偽者であることが推測できた。

(……やっぱり、リカルド神官じゃないわ。話し方がぜんぜん違う気がするし)

 ユレニアが覚えているリカルド神官は、代々神官の家系で育ったせいもあり、語学の天才と呼ばれていた。

 神官の家系ゆえ、子どもの頃から古語に慣れ親しんでいたせいで、標準的な言葉を話す時も若干難解な言い回しをしたり、古語の混じったアクセントを使ったりしていた。

 訛りというのとは若干違う、発音の癖があるのだ。それは長年の癖だから、つけ刃で変えられるものではない。

 だとしたら、本物のリカルド神官はどうしているのか?

 誰かが彼に成り代わるためにどこかに拘束されているのか、最悪、殺されているかもしれない。

 それを思うと、胸が痛くなってくる。

 神官とユレニアのやり取りを見守っているアデライードに視線を移す。

 彼女も平静を装っているが、表情が硬い。

(この二人は、グルだわ)

 そう思った途端、ユレニアの心に湧き立つ何かがあった。

 知らぬ間に、神聖力が警告をしてくることがある。それは、身の回りに自分に害を成す相手がいる証。

 神聖力を持つ者にとっての敵……それは、黒魔術師の存在である。

(このリカルド神官は、黒魔術師なのね!)

 それを察したユレニアは、意地悪く笑った。

「リカルド神官様、神聖力検査の前にお願いがございますの」

 彼女の言葉に神官は緊張した面持ちになった。

「……何でございましょう、皇女殿下」

「リカルド神官様の神聖力をお見せいただけませんか? 神官の中でも随一との声があがる神官様のお力に、異能者の端くれとして興味がございますの。皇帝陛下もそうお思いになりますでしょう?」

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