第7話 パーティーの夜2


 宴の夜の庭園は、見惚れてしまうほど幻想的だった。

 所々に炊かれた松明の光が、大理石作りの噴水を白く発光するようにきらめかせ、幾何学的に剪定された庭木が整然とした陰影を形作っている。

 夜空を見上げれば、檸檬色の満月と輝く星々−−。

 ようやく緊張感溢れる大広間から逃れて、ユレニアはようやく一息つくことができた。

 そんな彼女を見て、皇女宮への道のりをエスコートしているアデウスはぽつりと呟いた。

「……皇女殿下は、お変わりになりましたね」

「えっ、どんな風に?」

 我に返ったユレニアは、不思議そうに護衛騎士を見上げる。

「皇妃殿下と皇子殿下のことを、以前は毛嫌いされておりましたのに……」

 その発言に、先ほどの皇族たちとのやり取りを思い出す。

(あぁ……やっぱり不自然だったのね。アデウス様にそう思われるっていうことは……)

 体が元通りになるまでは、きちんとルドヴィカの役割をせねばならない。

 そう思っていても、やはり自分なりに曲げられないものがある。

 まだあどけなさが残るマルク皇子に冷たく当たるのはおとなげない。ただ、そう思っただけなのに……と、がっくり肩を落としてしまう。

「殿下、お気を悪くされたのなら申し訳ございません。しかし、私は殿下のそのような変化は好ましいものだと思っております」

 彼女を安心させようと、アデウスはそう言ってくれた。

 それがたとえ優しさだとしても、今のユレニアに頼れる判断基準はアデウスの印象しかない。

「……本当に?」

「私が皇女殿下に嘘をつくことはございません。もちろん、これまでも殿下の言動が間違っていたことはありませんが、あまり皇妃殿下と距離をとってもいいことはございませんので……」

 たしかに、それはそうだと思う。

 このヴェルグ帝国は諸国との関係を強固にするため、男子が皇位を継ぐ際には外国の姫を娶ることになっている。

 大国の姫であれば正室である皇后に、重視する必然性がない小国の姫であれば皇妃という側室になる。

 しかし、皇后だったルドヴィカの母は伝染病で五年前に亡くなり、すでに五年も皇后位には空位のままだ。

 皇帝が皇妃アデライードを皇后にしないのには理由がある。贅沢と社交を愛し、公務を疎かにする皇妃の性質を問題視したのだ。

 皇帝はルドヴィカと相談して、皇妃を皇后位に就けないことに決めたのだ。病気療養中の皇后が娘に渡した執務は、ルドヴィカは今まで自分のものとして業務を続けている。

 皇后の業務を自分に渡さないことで、アデライードは皇女に恨みを抱いているらしい。

 関係諸国では王位は男子継承の国が多いのに、自分の息子が皇位につけないというのも苛立ちの原因かもしれない。

(……皇室は、ふつうの家族とは違うもの。今度から気をつけなきゃいけないわ)

 そう思いつつも、アデウスに微笑みかける。

「ありがとう、ゲーリング卿。そう言ってもらえるとうれしいわ」

「……殿下……」

 皇女宮が見える辺りまで来ると、アデウスは立ち止まる。

「どうしたの?」

「いえ、何でもありません……」

 松明が近くにあるので、夜目にもアデウスの表情がよく見える。

 黄金の柔らかそうな髪と青緑色の瞳。秀でた鼻梁は美貌に陰影を作り出し、いつもの清冽な騎士とは違う印象を与えてくる。

 正装をしているからか、艶めいた男の色気を感じさせる。

(こんな風に、彼といられるのはあとどれくらいなのかしら?)

 不意に、そんなことを思ってしまう。

 ルドヴィカと体を交換して、早く元の生活に戻らなくてはならないのに。

 神から聖女としての能力を与えられたのだから、早く教皇庁に戻って傷や病に苦しむ人々を救わねばならないのに……。

 それはわかっているが、アデウスに対する思慕の情は止まらない。

 このまま皇女の体のままでいて、アデウスにそばにいてほしい……そんな不道徳なことまで考えてしまう。

(いけないわ、そんなの……! だって、ルドヴィカ様が私の体をずっと使っていたら、お困りになるわけだし……)

 頭の中が混乱して何も言い出せないユレニアを、アデウスは真っ直ぐに見つめた。

 腕に手を絡めた状態だから、高鳴る胸の鼓動が伝わってしまうのではないかと心配になる。

「……今のルドヴィカ様は、私にある人を思い出させます」

 思いがけないことを、アデウスは呟いた。

「えっ……?」

「こんなことを申し上げたら無礼かもしれないのですが……、その……それは、私が想いを寄せている相手でして。天使のように慈悲深く、すべての弱い立場の者を助ける素晴らしい女性です」

 恥ずかしそうに顔を火照らせるアデウスに、ユレニアの心はそれまでの浮かれていた気持ちが冷や水をかけられたように一気に鎮まった。

 ……いや、鎮まるどころではない。一気に、奈落の底に急降下していく心地だった。

(あぁ……そうよ、アデウス様だって恋をするわよ! 何を夢見心地でいたの、私ったら!)

 アデウスは、今年で二十四歳だと聞いている。

 戦争で出征していたから、好きな相手がいても関係を進めることができなかったか、恋人関係にあっても諸事情で結婚が遅れているのか……。

 それを、勝手に妄想して浮かれていた自分が恥ずかしい。

 ユレニアの泣きそうな気分に拍車をかけるように、アデウスは言葉を続けた。

「あ、いえ……つまり、皇女殿下がお優しい気持ちを保って、今のうちに皇子殿下と緊密な関係を築いていれば、皇位争いの火種は少なくできるかと思います!」

 恥ずかしそうな表情をするアデウスが、途端に勘に障ってしまう。

 恋というのは残酷なもの。人の心を浮き立たせることもあるし、ふとしたきっかけで地獄に突き落とすこともある。

 今、ユレニアは真っ暗な地獄の底を、たった一人で歩いているような気分だった。

「あ、そうよね……」

 心ここにあらずと言った具合で、適当に相槌を打った。

(早く、一人になりたいわ……とりあえず、今はアデウス様とは離れたいわ……)

 アデウスののろけ顔を見ていると、泣いてしまいそうだったから。

「……皇女殿下!」

 その瞬間、宮殿のほうから誰かが呼び止めてきた。

 暗がりから現れたのは、ロベルシュタイン公爵だった。

「皇女殿下、ここにいらっしゃいましたか!」

「あら公爵……なぜ、こちらに?」

 怪訝そうな顔をするユレニアに、公爵は苦笑いした。

「皇女殿下に求婚している私が、あなたを追ってきたらおかしいでしょうか? しかも、隣には他の男がいるというのに……」

 そう言いながら、じろりとアデウスを睨む。

 その様子を見て、ユレニアはそっとアデウスの手を放した。

 これ以上、ロベルシュタイン公爵の機嫌を損ねて、この前のようにアデウスに迷惑をかけてはいけない。

 そして、ユレニア自身もアデウスへの恋心を抑えることも必要だと思う。少し冷静になって、彼の幸せを願わなくてはいけないのだ。

「……わかりましたわ。わざわざ来てくださったのなら、何かお話がおありなのでしょう。公爵がわたくしを皇女宮までエスコートしてくださいますか?」

「もちろん、喜んでお供いたします!」

 喜色満面の公爵と真逆に、アデウスは不満そうな表情である。

 無論、この状況で皇女が護衛騎士を選んだら問題になるだろうが、それでも先日までの皇女の公爵への態度からは考えられないのかもしれない。

 しかし、ユレニアにとってこれは最善の選択だった。

「ゲーリング卿、もう宿舎に戻ってもいいわ。遅くまでありがとう」

「いえ……お休みなさいませ、殿下」

 アデウスが頭を下げると、ユレニアは公爵の腕に手を絡めて歩き出す。

 勝ち誇ったような笑みを浮かべた公爵が、アデウスのほうを振り返るのをユレニアは見た。

(……これでいいのよ。アデウス様に依存してばかりではいけないもの)

 初恋が失われた悲しみを抱えながら、ユレニアはそう思った。

 グラストン大神官からの返事を一日千秋の思いで待ち続ける自分を支えるのは、アデウスだけだった。

 しかし、それはユレニアがそう思い込んでいただけ。

 本当のルドヴィカであれば、もっとロベルシュタイン公爵とうまくやっているはず。公務を手伝ってもらっているのだから、冷遇してばかりもいられない。

 しかし、公爵に一緒にいればいるほど身の危険を感じることも多くなるだろう――。

(あぁ……早く、教皇庁に戻りたいなぁ……)

 アデウスに失恋してしまった今、ユレニアの願いは当初からものに立ち返るのだった。

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