第6話 パーティーの夜1
ユレニアの日常は、緊張感の連続だった。
それも当然のことだろう。彼女は生まれながらの皇族でもなければ、時間をかけて皇女の身分に恥じないよう様々な素養を身につけてきたわけでもない。
公務については体調面の問題ということで、しばらくは免除してもらえるようにアデウスが調整してくれることになった。
彼によれば、ルドヴィカには三人の執務補佐官がついているという。
そのうちの一人が、ロベルシュタイン公爵だという……。
(あの人かぁ……あまり、借りを作りたくないな……)
借りを作ってしまうと、またいつかのように迫られそうだ。
ユレニアはそう危惧したものの、アデウスがうまく話をしてくれたらしい。
公爵も他の業務が一段落したため、喜んでルドヴィカがやるはずの書類仕事をすると言ってきたそうだ。
「自分は将来の皇配候補の筆頭だから、いくらでも頼ってほしいと喜んでいらっしゃいました」
「……そう……」
アデウスの報告を聞いて、ユレニアは浮かない表情をした。
−−グラストン大神官に連絡をしたのに、返事はまだ戻ってこない。
教皇庁と首都は、片道一週間かかる距離だ。手紙の返事が届くのに、最低二週間は必要だというのも知っている。
そうは言っても、待つ時間があまりに長すぎて気が狂いそう。
(お願いよ、大神官様……早く、ここに来て! 私を元の体に戻して……!)
切実な願いがあれば、神に祈れば何とかなるかもしれない。
皇女宮からさほど離れていない場所に、皇族用の礼拝堂があるのは幸いだった。ユレニアは朝早く起きて、神に祈りを捧げてから朝食を摂ることにした。
そんな彼女の変化を、皇女宮の侍女たちや『薔薇の園』の美青年たちは遠巻きに見守っている。
しかし、聖女のユレニアでも今回ばかりは神の啓示は降りてこない。礼拝堂の薔薇窓の下で、彼女は内心焦りを感じた。
これまでは祈りを捧げれば、神の意志につながることができた。しかし、ルドヴィカの肉体に魂が宿っているせいか、いまのユレニアには神の声が聞こえない。
異能の一部が使えないことに、ユレニアは絶望した。
その上、今夜は皇宮のパーティーに出席することになってしまった。
執務は体調を優先させて補佐官に振り分けることができたものの、欠席続きだった行事については今夜ばかりは皇帝がそれを許さなかった。
顔見せ程度でいいから参加してほしい、と言伝があったのだ。
エスコートする気満々の公爵の誘いは速攻で断った。なぜなら、本当に顔見せだけで終わらせてすぐに退出する気だから、ダンスのパートナーは不要だった。
そもそも聖女として暮らしてきたユレニアが、男性に誘われたとしても優雅に踊れるわけがない。無理に踊らされるのを防ぐためにも、公爵と一緒にいないほうがいい。
ある程度の事情を知るアデウスが隣にいてくれて、最低限の皇女としての体面を取り繕えればそれでいい。
「……色々と記憶が途切れていて……パーティーは、どうすればいいのかわからないから教えてちょうだいね」
「かしこまりました。殿下のお望みのままに」
侍女がパーティー用のドレスを部屋にずらりと並べ始めると、アデウスは部屋から出ていった。
(あーあ……なんで、私がこんなドレス着なきゃならないの……?)
部屋の右から左まで胸元が露わなドレスばかり。
それらを眺めやって、ユレニアは大きな溜息を漏らした。
−−絢爛豪華な宴の夜。
藍色のイブニングドレスを選んで身につけたユレニアは、皇帝の隣に座り宴の様子を眺めていた。
貴族の挨拶に対しておかしなことを言わないか心配していたものの、適当に微笑んでやり過ごす。
「どうだ、ルドヴィカ。久しぶりの宴は?」
「最近は自宮にこもっていたので、わたくしにはいささか華やかすぎるかもしれませんわ」
牽制するように、ユレニアはそう皇帝に答えた。
皇帝はそんな愛娘に、痛ましそうな表情をした。
「そうか……ロベルシュタイン公爵も心配していたが、お前は停戦調停に向かってから物静かになったようだ。余程、心労があったのだろう。気分がよくないようであれば、公爵を呼ぶから、皇女宮に送ってもらうといい」
皇帝が公爵のことをやたらと口にするのは、二人が公然の間柄だからだろう。
アデウスの話によれば、ルドヴィカは建国祭で正式に次期君主の地位である皇太女と認められ、同時に婚約者を発表することになっているらしい。
ルドヴィカの配偶者と言えば、彼女が皇位についた暁にはこのヴェルグ帝国で第二の権力者の皇配になる。
その地位を狙っているのは、ロベルシュタイン公爵だけではない。ルドヴィカに近づいてくる貴族の令息は数多く、その中でも何人かと彼女は定期的に会っているようだ。
しかも、『薔薇の園』でもすでに親密な関係になっている近衛兵がいるものだから、その日になるまで誰が婚約者になるのかはわからない。
(まぁ……皇帝陛下としては、順当にロベルシュタイン公爵と結ばれてほしいわよね)
そう思いながらも、ユレニアは首を横に振った。
「陛下、申し訳ございません。今夜は公爵とお話したい気分ではございませんの。ゲーリング卿に送ってもらうのでお気遣いなく」
「そうか、ゲーリング卿か……」
高座の下で控えているアデウスをちらりと見た皇帝は、深々と頷いた。
「彼も美しい男だから、お前がそばに置きたがるのもわかる。だが、皇配にするのにはいささか文官としての経験が無さすぎるのではないか……」
アデウスと恋愛をするのは構わないが、結婚相手は別の者を選べということだろう。
ユレニアはその意図を悟って、苦笑した。
「ご心配なさらなくても大丈夫ですわ。わたくしはお父様をがっかりさせるようなことはしないつもりですので」
「そうか。そう願いたいものだ」
辞去しようと席を立とうとしたところに、皇妃アデライードとマルク皇子がやってきた。
外国から嫁いできた皇妃は三十半ばだと聞いているが、それを感じさせない若々しい印象の女性である。ゆったりと結い上げた金髪に紫色の瞳、瞳の色に合わせた淡い紫のドレスを上品に着こなしている。
隣にいる皇子は十四歳になったばかり。母親譲りの金髪と美貌、父親と同じ緑色の瞳を持つ美少年だ。
マルク皇子の皇位継承権は、ルドヴィカに次ぐ第二位である。家庭教師から教育を受けるのではなく、他の貴族子弟と同じようにアカデミーに通うために一年の大半を寮住まいしているらしい。
「皇帝陛下、ご機嫌うるわしゅうございます」
優雅な仕草でお辞儀をする皇妃に、皇帝は顔を綻ばせた。
「皇妃も息災であるな。皇子もしばらく会わないうちに大きくなって。私の身長を追い越す日が待ち遠しいものだ」
「恐れ多きお言葉でございます」
その堅苦しいやり取りを見ていて、ユレニアは歯痒さを感じずにいられなかった。
ふつうの家族であれば、こんな風に儀礼じみた挨拶はしないだろう。皇子だって皇妃の息子だということで、へりくだらずに済むものを。
そう思っていると、皇妃がユレニアに話しかけてきた。
「あら皇女殿下、体調が思わしくないとのことですが大丈夫ですの? 重要なお役目を果たされたばかりですのに心配ですわ」
「ええ、お気遣いありがとうございます。少し疲れが出てしまったようで……」
「お茶会にもいらっしゃらないから、ご婦人方も心配されていましたのよ。こうして久しぶりにお目にかかれてうれしいですわ」
魅惑的な微笑みを浮かべる皇妃は、まるで天使のように見える。
こんな美人の母親がいれば、子どもは鼻が高いだろう。
「マルクも皇女殿下にお会いできてうれしいわよね?」
「はい、もちろんです!」
皇妃の隣でぼんやりしていた金髪の少年は、頬を赤らめつつも満面の笑みを浮かべた。
その可愛らしさに、ユレニアは我知らず微笑んでいた。
「マルク皇子、血のつながりがあるだから、わたくしのことはお姉様と呼んでくれていいのよ」
そう言うと、皇妃は驚いたような表情をした。
(あれ、どうしよう? ルドヴィカ様はこんなことを言わなかったのかしら?)
慌ててユレニアは取り繕った。
「い、いえ……皇子とわたくしは母親が違っても、姉と弟ですし……いやならそのままでも……」
「いえ、うれしいです! お姉様!」
「マルク……」
ユレニアの優しい言葉に瞳をきらきらと輝かせる息子を、皇帝と皇妃は呆然と見つめていた。
もしかしたら、ルドヴィカと皇妃とマルク皇子の関係は、長年いいものではなかったのかもしれない。
(あぁ……余計なことをしてしまったわね)
波風立てずに元の体に戻りたかったのに、どうやらそうはいかないようだ。
若干後悔しつつも、マルク皇子のうれしそうな表情を見ると、思わず笑みがこぼれてしまうのだった。
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