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 術後、病室に戻されて麻酔が覚めるまで身動きは叶いませんでした。やはり目玉だけは動かすことができますので、仕方なく可視領域のみ視線を滑らせてみましたけれども、映し出される病室の有様は極めて殺風景なのです。次々とモノクロ写真の細切れでも見せつけられる感覚です。これは私の心模様が投影された結果なのでしょうか。私はつまらない世界を見るのが忍びなくて目を閉じました。

 四肢の指先がこそばゆいし、じんじんと怠くなった。次第に感覚が蘇ってきます。目覚めた部位から順に動かしてみますと、意識が重力に抑え込まれる。ですが、それに抗う力も漲ってきました。私は咄嗟に目を開けて、上体を起こす。窓外の新緑が生き生きと目に映えています。静かに身を捻り、ベッドの縁に脚を投げ出して腰かける。スリッパを履いて立ち、洗面台を目指しました。

 鏡を覗いて、術跡じゅつせきを辿ってみます。白い病衣の上から胸を擦る、腹を擦る。至る所に盛り上がりができていました。不思議なことに触っても何ら痛みは感じません。左前に合わさった病衣の前紐を解いて、全開にしました。鏡に己の裸身が映し出されます。縦横無尽に張り巡らされた環状線のように、体じゅうに縫い目が浮かんでいます。首の所にも。私の体は、無事、元通りに縫合されていた。

 みぞおちあたりの傷に上から下へと右手の中指を這わせてみる。あの胃痛が嘘のようになくなっています。移植された胃袋は私の肉体との相性が頗るいいに違いありません。手術室で横にいたあの女性のものなのです。彼女には私の胃袋が提供されました。あちらも良好かどうか些か気にかかりますが、それはあとでお目にかかった折にでも尋ねてみましょう。互いの健全、不健全な臓器を補完し合いました。私の一番の苦痛は取り除かれ、かわりに彼女の苦痛がこの身にもたらされたのですが、あの胃痛に比べれば、何てことはない。気分も俄然良くなり、目前の世界が華やいで明るく映ります。ただ鏡の自分はグロテスクです。普通の術式ならこんな醜い傷は残らなかったのに。何と言いますか、フランケンシュタインの気分です。ともあれ、体が元通りにつながって安堵したのも事実です。この気分を維持するため、私は病衣の前を合わせて裸身を隠しました。静々と移動し、再びベッドの縁にゆったりと腰を下ろして目を瞑る。最大の苦痛は脱ぎ捨てたのだから、この瞬間の幸福感だけを味わおうと思いました。

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