第18話 楽園を得るために

 エタニア帝国東方辺境伯領府ハーナム――

 定住人口が約四万人の大規模城砦港湾都市であり、エタニア帝国東方の要とも言える地方領主の都。それがこのハーナムだった。バルテル伯爵によって治められており、一五年前に起きたバルクムント王国の独立戦争時も離れていたために出兵要請もなく被害が最小限に抑えられた街だった。

 ハーナムはエタニア島の最東端にあり、大陸とを隔てるランゲ海を挟んだ一七キロ先にケープ・シェルが存在している。ランゲ海を渡ってくる魔物を監視・討伐するために設置された要塞から発展した街であり、ケープ・シェルが建設されるまでは人界の門と呼ばれていたこともあった。

 現バルテル伯のカスパール四世は初老の人族であり、灰色がかった髪に同じような色の顎髭を蓄えた落ち着いた男性だった。

 バルテル伯が執務室の窓から賑わう街を見下ろしていると、部屋のドアをノックする音が響いた。


「入りなさい」

「失礼します」


 入室してきたのは砂色の長い髪を後ろでまとめて軍服をまとった二〇代半ばくらいの女性で、右眼に黒いレンズをはめたベネチアン・マスクで顔を覆っている変わった風貌をしていた。整った輪郭をしているだけに、マスクで顔が隠されているのが男には惜しく思える顔立ちをしている。


「話は聞いたかね?」

「はい、閣下。御命じくだされれば、すぐにも我が隊は出発できるよう、すでに準備を整えてございます」

「事が事だけに急ぐ必要は無い。して、カティンカ卿、どちらに赴くつもりだ?」


 カティンカは俯き黒いレンズを煌めかせ、口元に微笑を浮かべた。


「それはもちろん閣下の命ずるままに参りましょう」

「卿の考えを聞かせてもらいたいな」

「小官が愚考しますに……北へ向かった方が建設的なように思えます。バジュラムと直接矛を交えるには、やはり、それなりの武器が必要です。残念ながら、我が国は未だに皇帝代理騎士が任命されておらず、ヘクトリオンの鞍上は空位のままです。であるなら、矛の入手が先決と考えます」

「なるほど……」


 カティンカの言葉を背中で聞いていたバルテル伯は、ようやく振り返り机上に広げられていた地図に手を置き、指で行き先をなぞった。


「ディーヴァが語った北方の遺跡は残念ながら名前までは分からぬ。ケープ・シェルに潜ませた連絡員から通達があり次第、あちらがつかんでいる情報は伝えよう」

「ありがとうございます」

「また、先発している水上小隊には、すでに卿の指揮下に加わるように通達してある。合流次第好きに使いたまえ」

「水軍も我が指揮下に?」


 意外そうな顔をしたカティンカにバルテル伯は苦笑した。


「水軍と言うほどの規模ではない。汎用の水陸両用騎を要した偵察小隊が一隊だ。国軍の水陸両用騎ほどの力は出ぬが、ないよりはマシだろう。卿のドラグーンなら合流するのに二日とかかるまい」

「お心遣い感謝いたします」

「持てる限りの戦力は持たせてやりたいが、状況が状況だけに兵力をこれ以上割くわけにはいかんのが現状だ」

「心得ております。バジュラムが海峡を渡る力を備えている可能性も視野に入れておかねばなりませんので」


 カティンカの言葉に満足そうに頷くと同時に、バルテル泊は暗い顔を見せた。


「事が上手くいったとして、その後は我が領は後背にも気を配らねばならなくなる。強力すぎる武器を手にした我が領を、皇帝の側近たちはそのまま放置するとは思えぬからな……」


 地図を見ていたカティンカの眼がバルテル伯に向けられた。

 暗い右眼はなにを見ているのかまでは分からないが、裸眼の左眼はバルテル伯の些細な表情の変化も見逃すまいというような、探るような眼差しになっていた。


「バルクムントに倣われる……と?」

「私がか? 難しいな……。私はあくまでも地方内政向きの人間だ。上に立つには向いておらぬよ」

「しかし、閣下……」


 帝国から後背を狙われれば、地方領主のままでいたいと願うのは難しい。カティンカが死力を尽くして確保してきた武器を献上でもしない限り、強すぎる力を持った地方領主は駆逐されてしまうだろう。ただでさえ、一五年前に北部辺境伯が独立戦争を引き起こしてバルクムント王国を名乗ったために、辺境伯は目を付けられやすい立場にあった。


「カティンカ。お前が起つのだ。それなら私も支えよう」

「伯父上……。いえ、閣下……それは……」

「辺境領姫として私に代わり、数々の功績を挙げてきたお前だ。ここいらでお前を後継に据えても誰も文句は言うまい」

「しかし……閣下……。私はまだ若輩の身です。しかもこの身では子も成せません。それ故に跡継ぎは弟に……」

「お前を好く男もいるかもしれんぞ。まだまだ若い身だ、諦めることもあるまい」

「しかし……」


 辺境領姫カティンカ。

 東方辺境伯バルテルの姪で蒼いフォートレスを駆る武人として恐れられている姫だった。

 幼い頃に暴漢に襲われた際、両親を失ったものの幼い弟を護って右眼を失い、以後、視力を補うレリクスを顔につけていることから〝仮面の姫君〟などと言われたが、魔物討伐などの功績を挙げ、兵たちから〝蒼騎士〟と慕われる存在だった。


「もはや帝国はガタガタだ。お前が起てば周辺諸侯も従う可能性は十分にある。しかもバルクムント王国も応援するだろう。否応なしにな」

「国を割るお覚悟でしたか……」

「そうでもなければバジュラムとは戦えぬだろう。後背に憂いを残したままで戦えるほど、甘い敵ではあるまい。だが、それもディーヴァの宣託した物を確保できた上での話だ。確保できねば、最悪、我が領は滅びるかもしれぬ」

「分かっております、閣下。必ずや、宣託の〝炎の剣〟を手に入れてご覧にいれます」


 そう言ってカティンカは敬礼し、出発準備のために執務室を出て行った。

 出て行く姪の背中を見送り、バルテル伯は小さくため息をついた。


「化物のせいで……姪に危険過ぎる旅を強要せねばならぬとはな……」


 窓の外を見やり、空港に目を向けると、キノコのように張り出したテラス状の空港には、カティンカの乗艦であるドラグーン・トロンベが係留されており、物資積み込みを急いでいるのがうかがえた。

 今なら止められるが、止めれば己の運命を得体の知れない賞金稼ぎたちに委ねることになってしまう。


「人が住まう楽園エリジウムは……遠すぎるのか……」

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