現代日本の暗殺者
カピバラ
第1章 第1話
目の前に男がいる。身長190cm,体重約90kgと随分な巨漢だ。熟練のボクサーであるとデータにあったので、この男を始末するのは極めて慎重を要した。正面からやりあっては、私は勝てなかっただろう。
しかし、相手の意識の外から命を奪うことはその気になれば不可能ではない。その証拠に、目の前の男は私の足元にすでに倒れ伏している。
男は死んでいた。私が先ほど毒針で刺し殺した。毒は口から入れる分には助かることも多いが、血液に直接入れられるとひとたまりもないものが多い。
今回、毒として私が選んだのはタバコに含まれているニコチンだ。高濃度のニコチンをある程度血液に入れられると、人は数瞬で死に至る。毒性の強さでいえばボツリヌス菌なども有効であるが、即死させるという点ではニコチンがベストだ。
この男に対して恨みがあったわけではない。『暗殺者』として依頼されたから殺しただけで、この男がなぜ殺されたのかさえ私は知らない。
『暗殺者』
あなたは暗殺者に対してどのような印象を持たれるだろうか。創作物などの影響で、長距離の狙撃だろうと、近接の格闘であろうと最強である。尚且つ、知識や拷問になども屈しない精神力を持つ全てにおいて万能な、最強の人間をイメージするのではないだろうか。
しかし、私も暗殺者ではあるが、残念ながら創作上の登場人物が有するような異能は持ち合わせていない。身長180cmの体重65kgの華奢な体型で、創作にありがちな細身なのに怪力を持つということもない。
一応実践的な格闘技を身につけてはいるものの、素人に毛が生えた程度だ。ゾルディック家の一員のような体術を持っているわけではない。
ついでに言うと、本業は大学院の修士一年生で、大岡山工業大学という大学に通っている。趣味は読書と酒だ。
なぜ、そんな私が暗殺者をやらなくてはいけないのかというと、家庭の事情という一言に尽きる。
私たち一族は、大正時代から代々続く暗殺者一家で、日本のトップ層、言い換えると超上級国民の人から間接的に暗殺の依頼を受けている(らしい)。
正直なところ、私の祖父は赤門大学の法学教授で、私の父は日吉大学病院の医者のため、収入に困っているわけではない。
しかし、そもそも曽祖父の時代に私たちの家はとても貧乏で、そこで暗殺者家業をはじめ、その金をもとにその後は順調に経済的には不自由しなくなったという過去がある。
その曽祖父のしがらみからいまだに逃れられず、暗殺者家業を続けているというわけである。
祖父も父も暗殺者をやる上で運動能力が特別高いというわけではないが、その高い知性と精神力、表向きの高い地位の立場などで暗殺を成功させ続けた実績を持つ。
そして、ありがたくもないことにそろそろこの私にもぼちぼち仕事が回ってきたというわけだ。
暗殺者に必要なことは、戦闘能力ではなく、徹底的な調査能力、擬態する力、そして、何よりも暗殺をする一瞬にしくじらない精神力であると父から叩き込まれた。そして、今回も無事に実践できたはずだ。
私は周りに誰もいないことを確認して、その場から立ち去った。凶器に使った毒針はペンに擬態させているが、これは後で始末する。
そして、2ヶ月後、父から仕事が入った。
「これをお前の次の仕事として進めてほしい。」
そういって渡されたのは、自分と同じ大学生くらいの青年の写真とプロフィールだった。
「この青年を殺人と判らない方法で殺してほしい、期間は問わないとのことだが、3ヶ月程度で見ておくと良いだろう。」
父は続ける。
「わかっているはずだが、もし暗殺に失敗してその正体がバレそうになった時は直ちに自害すること。お前にこのような責務を科すのは心苦しいが、今回もなんとしてでも達成しろ。」
父の言葉を聞き、改めてターゲットのプロフィールを見る。
稲田大学の4年生か、今年卒業ということで、就職先ももう決まっているらしい。しかし、いまだにサークルには顔を出しており、私と同じでお酒をよく飲むとのことだ。
単純な話だがこれはチャンスかもしれない。お酒を飲んでいる人間ほど操りやすくて無防備な人間はいない。
「了解した。準備として例のお酒と混ぜて使う幻覚剤をもらっていく。」
そういって私は、薬を準備して、稲田大学のターゲットが所属するサークル御用達の居酒屋である「どっこらしょい」に向かった。
居酒屋では軽く飲むくらいにしておきつつ、ターゲットを見つけなくてはならない。先に食事を済ませておこう。
例の居酒屋「どっこらしょい」に着く。中を開けて見てみると楽しそうに飲み会をしているグループいくつかある。
最近はお酒を飲む時にはバーで飲むことが多いが、こう言った雑然とした雰囲気は嫌いじゃない。
それはさておき、この広い店内のどこかにターゲットはいる。さあ、今日仕留めるのか、それとも今日は様子見にするのか、この後の流れ次第で決めるとしよう。
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