パーソナルカラー

20文字まで。日本語が使えます。

本編

 好きな色に囲まれて暮らしたい。そんな願いを、人々はいつしか自分の脳の働きによって叶えることができるようになった。なぜなのかはわからない。検査での微弱電流導入など、幼少期から加えられるようになった脳への直接的な刺激がきっかけとも言われているが、何にせよ、人々は生まれ持った特性や経験が形作る自分だけの色、パーソナルカラーを通して世界を見るようになった。

 私のパーソナルカラーは空色だ。なぜそうなったのかはっきりとしたきっかけは思い出せないが、幼い頃から青空の澄み渡る美しさが好きでよく空を眺めていた。やはり自分の個性たる色はそうした美しい風景がもたらしたものであって欲しい。

 初めて自分の色に染まった世界を見たのは10歳くらいの時だったが、その時見た夕暮れの素晴らしさは忘れられない。薄闇の寂寥感から夕暮れ時が苦手だったのに、自分の好きな色に覆われた夕焼けからは純粋な美しさしか感じなかった。嬉しさのあまり、その景色を眺めながらスキップまでしていた記憶がある。

 それからずっと自分の色に囲まれて生活を続けてきた。夕暮れも大好きな時間になった。辛い出来事も、自分の好きな景色に囲まれていれば忘れることができた。

 ただ、そんな自分に焦りを感じ始めてもいた。社会人になって自分なりの判断を求められることが増えたが、学生時代とは違ってそこにわかりやすい答えはない。苦しくなってすぐに美しい景色に逃げ込んでしまう。だが、逃げてばかりいては何もできることは増えない。後輩が自分よりも責任のある仕事を任されている。好きな色に覆われた世界は気持ちを落ち着かせてくれるが、それでは障壁を乗り越える力はつかない。危機感は募るばかりだった。

 自分が見たい世界ばかりを見ていれば何も成長しない。人は目の前の障壁を乗り越えてこそ新しい自分に出会えるのだということは小さい頃から形を変えて繰り返し聞かせられてきた。

 そんな折にふと通りかかったビルの壁に、パーソナルカラー診断というセミナーの情報が表示されていた。

「成長のために本当のパーソナルカラーを探る必要がある」

「その色は、記憶に封じ込めていたトラウマ的な記憶の中に由来するかもしれない」

 乗り越えるべき壁としてのパーソナルカラー。そんな発想の転換は、抱いている危機感も相まって自分の心に深く刺さった。運命を感じ、気づけば応募を完了していた。

 初回ガイダンス当日、会場前の人だかりはドアが開くやいなや勢いよく吸い込まれていった。現状を打破するためだと気合を入れて、私もその後に続く。ガイダンスは説明というよりも演説のようだった。内容としてはビルの壁に表示されていたものと変わらないが、講師の力強い言葉に乗せられるとより切迫感が増してくる。自分の成長のために好きな色だけを見ているわけにはいかない。終了後すぐに次回のセミナーを予約した。

 ガイダンスでは現在のパーソナルカラーに関する様々な質問が並べられた課題が配られており、それに沿ってセミナーが進んでいった。ガイダンスとは異なる静かで穏やかな雰囲気で話が続く。びっしり記載した宿題を横に話を聞いていると、自分のパーソナルカラーや、それに気づいたきっかけなど、自分の色に対する理解がより鮮明になっていく。それは好きな色に関する記憶を掘り返す心地の良い時間でもあった。

 だが何度かセミナーに参加し、課題の最後までたどり着くと、いきなり講師の声色が変わった。

「これまで振り返ってきたことは、偽の記憶かもしれない」

 力強い声に乗せて矢継ぎ早に質問が繰り出される。それらはすべて自分の中の悪い記憶に関するもので、好きな色の世界から真逆を向けさせられ、私の心は乱された。

「目を背けたくなる記憶はないか? 後悔はないか? 例えば、誰かを助けられるはずなのに

自分の無力さで誰も助けられなかったことは?」

 ふと血の色が思い起こされる。幼い頃に近くの林で友達と遊んでいて、彼女が転んで派手に血を流したことがあった。徐々に広がる赤色を前にして、助けなければという思いとは裏腹に何もすることができなかった。途方もなく長く感じられた時間の後、彼女は足を引きずりながら自力で帰っていった。私はその姿を後ろから眺めているだけだった。

 結局大きな怪我ではなく、それで二人の関係が崩れたわけでもなかった。だが、その時感じた圧倒的な不甲斐なさは、そんな思いをするなら始めから冒険しないという形で自分の人生に負の影響を及ぼしている。

「向き合うべき色は、決して自分が望んだ色であってはならないのです」

 掘り起こした色は血の鈍い赤色だった。自分が今の人生に手応えを感じていないのはすべてその色を避けていたせいだ。向き合うべきパーソナルカラーは、まさにこの色だったんだ。

 その後の数回はこの新しい色に関する講演が続く。振り返りたくない自分の感情と対峙するのは苦痛であるが、同時に乗り越えるべき障壁にも思えた。新しい課題も苦しみながらこなし、いよいよ最後の仕上げとして個人面談が実施されることとなった。

 いつものビルの上階で、まさにあの講師と向き合っている。椅子と簡素なテーブルしかない純白の部屋。自分の真の色と向き合うにふさわしい空間だった。

「よくここまで着いてきてくださいました」

 講師はまず笑顔で労いの言葉を並べてくれた。苦しんだ分その言葉は素直に嬉しい。心地よく話を聞いていると、それまで淀みなく続けられてきた講師の話が突然止まる。

 驚いて顔を上げると、講師は鬼気迫る真剣な表情でこちらを見つめている。恐ろしさを感じるが、その視線に捕捉されて顔を背けることができない。しばらく見つめ合っていると、講師が恐ろしい早さで口を動かしたのが見えた。そして、意識が。

「本当の自分に出会うことはできましたか?」

 目が覚めても場所は同じ、目の前の講師も元の笑顔を浮かべている。だが、世界の見え方が違った。

 あの時の血の色に視界が淡く染まっていた。


 乗り越えなければならない世界だとは分かっていても、過去の後悔を目の前に見せつけられながら過ごす暮らしは耐え難いものだった。どこを見てもこれまで避け続けてきた記憶が思い起こされる。夕暮れ時が再び、いや元よりもさらに苦手になった。

 パーソナルカラーは医学的に解明された現象ではない。だから、パーソナルカラーの変更手術は開発されていない。空の美しさを強く思い描こうとしても、鈍い赤色に染まった景色しか浮かび上がらない。セミナーの講師はどのような方法を使ったのだろう。だが、抗議したいと思う気持ちは、日に日に募っていく鬱屈とした気分にかき消されるのみだった。

 ある日、何かの雑誌にそのセミナーが取り上げられていた。参加者は軒並み血にまつわる記憶を想起させられて私と同じ色に世界を染めさせられているらしい。セミナーの主催者たちは逆に、先天的に血の色に染めされた世界しか見ることのできない人々だということだった。ここからはただの推論にしか過ぎないが、セミナーを主催した人々の狙いは人々を彼らと同じパーソナルカラーに染め上げることのようだった。先天的な性質や幼少期の記憶によって定められてしまった負の感情を他の人にも味わわせたい。そんな社会への反逆が遠回りな形で結集したのがあのセミナーだという。

 ただ、そんな文章を読んでも怒りは湧かなかった。私の目の前にあるのは、白地のニュースサイトにこびりついた鈍い赤色だけ。何を見ても、何を考えても、その色に私の気分は曇らされる。騙されたという現実を頭の表面で感じながら、私はただ覆われた赤色から目を逸らすために、個人輸入した睡眠薬を飲んで目を閉じる他なかった。

 参加者の中にはなんとか前を向いてその色に向き合う人もいるようだが、私には無理だった。夕暮れは日を追うごとにさらにその寂しさを増していく。俯いているというよりもさらに顎を下げて、まるで自分の胸だけを見つめるかのように歩く日々が続いた。かつて自分が感じていたあの空色を胸の中から取り戻せるかのように、ただ自分の胸だけを眺めていた。

 とある休日。よく晴れた、だが赤い色に鈍く染まってしまった景色を見つめながら私は電車に乗り込んだ。ただ新しい景色が見たかった。記憶にない景色ならば、血の色に染まってしまった風景でももしかしたら受け入れられるのかもしれない。そんな淡い期待を抱いて。

 何を見ても、どれだけ遠く離れた場所の景色でも、血の色に結びつけられたあの時の記憶が思い起こされた。そこから逃げるように何度も乗り換えを繰り返しているうちに、気づけば一度も降り立ったことのない海沿いの街へと到達していた。海が綺麗な街だということで、駅前からは海への案内板が続いている。その表記に従って、最後の希望を胸に歩みを進めていく。

 視界から陸地が途切れ、目の前に広がるのは一面の大海原。そこもまた、近所の海と同じ鈍い青色が広がっていた。どこもかしこも同じ記憶と感情を想起させる。遂に希望を叶えることはできなかった。

 色に覆われていなかった頃の海の色も同じように鈍い青色をしていて、まるで空の色と血の色を混ぜた色だった記憶がある。

 向き合わなければならない色と、向き合いたい色と。その両方を受け入れるために、私は次の一歩を、海の方へと踏み出した。

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パーソナルカラー 20文字まで。日本語が使えます。 @osushi_mawaranai

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