【完結】『アイ』が足りない

天井 萌花

第1話 『 I 』が足りない

 私は絵を描くのが好きだ。

 好きこそ物の上手なれというがまさにその通りで、私は絵が上手い。

 少なくとも、私自身はそう思っている。


 沢山褒めて貰えるし、コンクールでは毎回のように賞を取る。

 小さい頃からずっとそうで、中学に上がるとなんの悩みも考えもなく、美術部に入った。

 そのまま高2の今までずっと美術部と画塾を両立して、今は美大合格を目指して頑張っている。


 ――の、だが。


「……まぁ〜た銀賞かぁ。」


 誰に聞かせるわけでもなく、私は大きな溜息をついた。

 今回応募していたコンクールの結果は――銀賞。

 喜ばしい成績であることは間違いないのだが、私はいまいち納得できない。


 前回も銀賞、その前のは佳作、その前は銅賞で、さらにその前のも佳作。


 そう、私には大きな、それはそれは大きな悩みがある。

 それは――金賞を取ること、1番になることが、どうしてもできない、ということだ。


 銀賞だって十分すごいことはわかっている、けれども、私はそれじゃ満足できなかった。

 何年も絵を描いて、何度も入賞しているのに、金賞だけ取ったことがないのだ。


 悔しい。悔しくないはずがない。


 つい先ほど完成した、文化祭用の絵に目を向けた。

 絵の具が固まるのを待っている途中の、15号のキャンバスに描かれた油絵。

 青空に飛び立つ1羽の鳩を描いた作品だ。


 最前面にいる鳩が、奥に広がる青空に向かって、そこに浮かんでいる太陽を目指すように、伸び伸びと羽ばたいていく絵。

 

 我ながら、やっぱり上手いと思う。


 空は綺麗ながら、濁りも入れたグラデーションで現実味があり鳩は羽の模様まで拘って描いている。

 あの日見た光景と比べても、あの日撮った写真と比べても、写真のようによくできている。


 ……どうして、1番になれないのだろうか。

 こんなに綺麗に描けるのに。

 部活が他行での交流会の今日だって、1人だけ集合時間より早く来て、こうして絵を描いているのに。


 実力はある、努力もしている。なのにどうして、金賞だけが取れないのだろう。

 何がダメなんだ。一体私の絵には、何が足りないのだ。


「日高さーん?そろそろバスが来ますよ。」


 私の名前を呼びながら、顧問の先生が部室に入ってきた。

 今日はみんなでバスに乗って、隣の市にある、美術部が有名な高校に行く。


 10時集合だと聞いていたが、もうそんな時間か。

 チラリと時計を見ると、もう9時45分だった。


「あらすごい。相変わらず上手ですね。」


 私の前に置かれたキャンバスを見て、先生は嬉しそうに微笑んだ。

 絵に近づいてじっくりと観察している先生に、私は「先生。」と声をかける。


「どうしたの?」


 先生はにこりと微笑んで首を傾げた。

 私は小さな勇気を出して、まっすぐに先生を見た。


「どうすれば金賞を――1番を取れると思いますか?」


 先生は少し驚いたように目を見開いた後、それをぎゅっと閉じて考え込んだ。

 1番を取る方法を考えている、というよりも、どう伝えようか考えているように見える。

 答えるまで引かない、と私がじっと先生を見ていると、先生は観念したように口を開いた。


「……日高さんは、油彩画よりも、デッサンの方が向いてるかもしれないよ?」


「……どういう意味ですか。」


 多分、私の顔はぎゅっと皺が寄って、険しくなっていたんだと思う。

 先生はそんな私を見て申し訳なさそうに眉を下げた。


「日高さんの絵はすごく写実的で、とても上手だと思う。ここまで正確に描けるのなら、デッサンなんてすごく上手でしょう?」


「確かに、デッサンは得意です。でも私、油絵で金賞を取りたいんです。」


 私は絵を描くこと全般が好きだけれど、特に油絵が大好きだ。

 初めて油絵に触れた時から、鼻腔をくすぐる独特の油の香りが、おつゆ描き時点では昔の写真のようだったセピア色が色付いていく様子が、何度も塗り重ねる度に厚みをまし、表情を変える色が、私はどうしようもなく好きだった。


 デッサンで賞をとっても意味がない。

 私は何枚も油絵を描いて、研究して、自分の出したい色を、どんな色でも出せるようになったというのに。

 油の量も、塗り方も、最適解を見つけたというのに。


「日高さんの絵は本当に、写真みたいに上手よ。だけど、あまりにも忠実すぎるのかもしれません。」


 忠実であることの何がいけない。

 写真のように、本物のように描けるのはいいことだろう?

 声に出していない疑問を悟ったのか、先生は困ったように「うーん。」と唸った。


「絵画コンクールで求められるものは、写実性だけじゃない。貴女が挑戦しているのは、写生コンクールじゃないのよ。」


 先生は私のために、少し厳しいことを言っている。それはわかっている。

 けれどその内容は、先生が私に何を伝えたいのかは、全くわからなかった。


「日高さん、絵が写真や本物を超えることがあるのは、本物を超えることができる絵には、何があると思う?」


「それは――」


 写実性、と答えようとして、私ははっとした。


 違う、それでは写真は超えられない。

 いくら正確に描いても、写真の方が正確に決まっている。

 それこそ原寸大で描かない限り、デジタルカメラがドットで表せない部分まで完璧に描かない限り、絵は写真を超えられない。


 写実的に描いて、写真に近づくことは――追いつくことまでは、できる。

 本物に限りなく似せることは――できる。

 けれどそれ以上にはいけない。私の絵はどこまで極めても、そこまでだ。


「そうでしょう?写実性だけを追い求めるだけなら写真でいい。自分の見たものを伝えるには、本物を見てもらうのが1番。絵画とは、自己表現の場でもあるのよ。」


 黙ってしまった私に、先生は申し訳なさそうに、けれどもたたみかけるようにいった。


「日高さん、貴女の絵には――『自我』が、足りないんじゃないかしら。」

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