第3話 無明さま

「──とまあ、こんな顛末てんまつでね」

 語りおえたアヤメが口から煙管きせるをはなし、ふうっと物憂ものうげに煙をきだした。

「ねえねえ、アヤメさん、煙でわっかつくってよ、わっか」

 場の空気が読めない呑気のんき助六すけろくの要望を、アヤメは眉間みけんにシワを寄せながらこばんだ。

「話を聞いてたのかい? そんな気分じゃないんだよ」

「ちぇ、つまんないの~」

 助六はふてくされ、傘をたたんだ状態でその場にコロンと横になり、右へ左へコロコロと転がってひまをもてあましはじめた。

「う~ん。なんかあやしいわね」

 穏やか口調でそう発言したのは、終始、腕を組みながらアヤメの話を聞いていたジーナである。

 彼女の指摘にアヤメが口をとがらせる。

「怪しいって、なにがだい?」

「アヤメ、話、ってるでしょ?」

「盛っちゃいないよ」

「そうかなあ? だって、最後の、女オーナーとにらみあっておわるくだりなんて、いかにもって感じのおわりかたで、啖呵たんかきった自分をかっこよく見せようとしてる演出がバレバレじゃん。ねえ お菊?」

「かっこいいですッ、アヤメさん!」

 お菊は感動していた。胸の前で両手をあわせ、神仏でもおがんでいるかのようなキラキラと輝く目でアヤメを見つめていた。

「マジで言ってるの? お菊・・・」

 ドン引きしているジーナをよそに、お菊はアヤメのとった行動をたたえつづけた。

「見せしめにあっていた人たちをかばうため、みずから矢面やおもてに立つなんて、ステキです!」

「いやいやいや、だれかをかばって矢面に立ったんじゃなくて、敵のねらいはもとからアヤメだったんだって」

 ジーナの解説におどろいたのは、お菊ではなくとうのアヤメだった。

「え? そうだったのかい?」

「わかってなかったの?」

「だって、最初につるしあげられてたのは別の連中だよ?」

「だ~か~ら、それはアヤメを釣りあげるためのエサであって、アヤメはそのエサにまんまと食らいついただけなの」

「ほええ~、そいつは気づかなかったねえ」

 心から感心している様子のアヤメを見て、ジーナが片手で自分の頭をかかえた。

「・・・今、確信した。アヤメは話を盛ってない。こんなバカにそんな芸当は無理だもの」

「あ? バカとはなんだい、バカとは!」

 日鷺院那乃ひろいんなののことでイライラしているところに、ジーナからバカ呼ばわりされたアヤメがキレた。

「あんまり調子にのってんじゃないよッ、このタヌキモドキが! あたいの首でめ殺されたいのかいッ?」

「へえ、やろうっての? いいわ、相手してあげる。その首をひき伸ばして金太郎あめみたいに輪切りにしてあげるから」

 ジーナが、穏やかな口調ながらも鋭い眼光を放ち、売られた喧嘩を堂々と買った。

 ゆらりと首を伸ばしてへびのように鎌首かまくびをもたげはじめたアヤメと、少女の口に長い牙をやして指先にも鋭い爪を生やしはじめるジーナ。

 そんな一触即発いっしょくそくはつの両者の間に、お菊はあわてて割ってはいった。

「やめてくださいッ、ふたりとも! 喧嘩なんかしてる場合じゃないですよ!」

 皿屋敷さらやしきに住みこみで働いているお化けたちが今、立ち退きをせまられているのである。それを回避するには、新オーナーの日鷺院那乃が納得するような存在価値をしめさなければならいのだった。しかも、その猶予ゆうよはたったの一ヶ月・・・。

「今さら人間たちの社会に放りだされても、わたし、うまくやっていける自信ありません・・・」

 お菊は涙を必死にこらえながら湿しめった声でそううったえた。

 皿屋敷にいるだれもがみな、人間社会で生きていくことが困難かつ危険であるからこそ、お化けを演じる人間をよそおってここに共生きょうせいしているのである。「菖蒲園しょうぶえんゆうえんち」が開園して以来、五十年近く、そうやって平穏をたもってきたのだ。

 その平和がゆるがされているという危機感は、どうやらアヤメとジーナも自覚しているようだった。 両者はみずからの子供じみた言動をじるかのようにうなだれ、それぞれが臨戦りんせん態勢をといた。

「それにしても、忌々いまいましい女ね、その新オーナー。いっそのこと──」

 牙と爪をひっこめたジーナが、声は静かながらもイライラとした口調で提案した。

「そいつ、っちゃおうか。あたしなら、髪の毛一本残さずに処理できるし、食べたやつの姿に変化へんげできるから、あたしがそいつになりすますこともできるわよ?」

 穏やかな表情で剣呑けんのんなことを言うジーナに、アヤメが口もとをゆがめて不敵に笑いながら同調した。

「いい考えだねえ。けど、食う前に、あたいにあいつを絞め殺させておくれよ。そのあとはどう食ったってかまわないからさ、ククク・・・」

 さっきまで喧嘩しそうだったふたりが、今度は不穏ふおんな会話で意気投合いきとうごうしだしたのを見て、お菊はふたたびあわてた。

「な、なに言ってるんですかッ、ふたりとも! 無明むみょうさまとの約束をわすれたんですか!」

 お菊は真剣に怒っていた。白い顔を上気じょうきさせ、両の拳をグッとにぎりしめてふたりをにらみつける。

「人間を絶対に傷つけない。わたしたち、無明さまにそう固く誓ったじゃないですか!」

「冗談だよ、お菊。落ちついとくれよ」

「ほ~んと、無明さまのこととなるとすぐムキになるんだから。お菊はおもしろいね、フフ」

 アヤメもジーナも先ほどまでのよこしまな表情を消して、かわりにお菊をやかすような笑みを浮かべていた。

 どうやら、お菊をからかうための芝居だったようである。

 そうと知って安心したためか、体から一気に力がぬけてしまったお菊はヘナヘナとその場にくずおれ、ふたりへのうらごとをつぶやいた。

「もお・・・ひどいですよ、ふたりとも・・・」

 顔を赤らめながら仏頂面ぶっちょうづらのお菊を見てアヤメとジーナがひとしきり笑ったあと、ジーナが遠くを見つめるような眼差まなざしで天井を見あげた。

「それにしても、無明さま、今ごろどうしてるのかな」

「さあねえ・・・人間社会にとり残されたお化けたちを救うんだ、とか息まいてでかけたっきり、なんの音沙汰おとさたもないからねえ」

 あきれたような口ぶりのアヤメだったが、その顔はジーナと同じ懐古かいこの色にそまっていた。

「そうだ!」

 お菊は思いついたアイデアを言葉にかえた。

「無明さまに、なんとか連絡つかないでしょうか? 無明さまなら、きっとこの危機からわたしたちを救ってくださると思うんです!」

 期待をこめたお菊の提案に、アヤメもジーナも肩をすくめた。

「あの人がもってるのって、ポケベルだったかね?」

「だね。もうサービス終了してるから無理ゲー」

 仮にスマホにもちかえていたとしても、番号を互いに知らないのだから状況はかわらなかった。

 無明というのは、お菊たちのように人間社会のなかで孤立し、退治されるのも時間の問題だったお化けをたすけ、導き、かくまってくれた僧侶そうりょである。

 前オーナーと親交があったらしい彼のはからいで、できたばかりの「菖蒲園ゆうえんち」の一角に皿屋敷が建てられ、彼はそこでお菊たちにお化けを演じることを教え、お菊たちが安心して暮らせるように色々と手をつくしてくれたのだった。

 そんな無明が「まだまだお化けをたすけるぜ! まってろよ、まだ見ぬお化けたち!」と意気込んで全国行脚ぜんこくあんぎゃにでかけたのが三十年前。以来、一度ももどってきておらず、当時は最先端さいせんたんの通信手段だったポケベルが鳴ることもなく、手紙すらよこさなかった。

 ジーナがぽつりとこぼす。

「どっかで野垂のたんだのかもね」

縁起えんぎでもないこと言わないでくださいッ!」

 反射的に怒ったお菊は、だがジーナがニヤリとしているのを見て、またからかわれたのだとさとった。

「もおッ・・・」

「なんにせよ──」

 アヤメが天井にむかってフゥと煙をきだす。

「今回ばかりは無明さまをたよりにはできそうもないから、あたいらだけでどうにかするしかないね」

「どうやって・・・ですか?」

「そりゃあ・・・」

 お菊にわれたアヤメも言葉をつまらせたまま天井を見つめ、こまり顔だった。

「ひとつ、があるにはあるけど、聞く?」

 ジーナが、穏やかな口調と自信たっぷりな表情で提案してきた。

「お願いします、ジーナさん!」

「もったいぶらずに教えとくれよ」

 お菊とアヤメが迷わず提案に飛びつくと、ジーナはスウェットのポケットから自分のスマホをとりだし、それをこれ見よがしにかかげた。

「これで広告をうつの」

「こうこく?」

 意味がわからず小首こくびをかしげるお菊にむかって、ジーナが得意げに片目をつむる。

「そ。なにごとも、自分から声をださないと世間は見むきもしてくれないからね。そして今の時代、これさえあれば個人でも世界にむけてなんでも発信できる」

「なるほどね! この皿屋敷を宣伝して客を集めようって魂胆こんたんだね?」

 合点がてんがいったとばかりに、アヤメが煙管を煙草盆たばこぼんふちにカンッと打ちつけた。大勢の来場客でにぎわえば、あの高慢こうまんちきな日鷺院那乃も「番町ばんちょう皿屋敷」の存在価値を認めざるを得ないだろう、と。

 お菊にも、ジーナの提案は単純だが効果的であるように思えた。

「ただし、問題もある」

 ジーナからの警告を、アヤメは鼻で笑って吹き飛ばした。

「ふん! ここをおいだされる以上の問題があるとは思えないから、今さらなにを聞かされたっておどろかないよ。さ、その問題とやらをさっさと聞かせとくれ」

「お金がいる」

「どのくらいだい?」

「ネットで広告をうつにもピンキリだから一概いちがいには言えないけど、まあ、一週間、様々なサイトに広告をだしつづけると仮定して・・・最低でも五百はほしいかな」

「なんだい。五百かい」

 そう言ってアヤメは着物のたもとからガマ口の財布をとりだし、パチリとあけて、なかから五百円玉を一枚つまみ、それをたたみの上に置いた。

「はいよ」

「なにこれ」

 怪しみながら問うジーナに、アヤメは平然と答えた。

「広告代、五百なんだろ? 安心おし。あとでかえせなんて野暮やぼなことは言わないよ。さ、もってっとくれ」

 きっぷのいいところを見せるアヤメだったが、ジーナは目を細めてしらけきっていた。

「・・・ケタがちがうんだけど」

「なんだい。五千円もするのかい?」

 アヤメはあきれたように顔をしかめると、今度は四つ折りにされた五千円札をつまみ、それをしぶしぶとジーナに差しだした。

 ジーナがひとつため息をつき、それから面倒くさそうに口を動かす。

「そのお札が千枚、必要なんだけど」

 これを聞いたアヤメが、「おどろかないよ」という前言をなかったことにするかのような大声をだした。

「はあああああ~?」

 おどろきのあまり首を思いっきり伸ばしてしまい、天井に頭をぶつける始末である。

いたたたたた・・・せ、千枚だって?」

 もどってきた頭をさすりながら、アヤメが丸めた目をジーナにむけた。

 ジーナが真顔まがおでうなずく。

「そ。五百万よ、五百万」

「そんなに必要なのかい?」

「もっと少ない額でも広告はうてるけど、短期間で大勢の人の目にふれさせたいんなら、それくらいの費用は覚悟しないとね」

「そんな大金、わたしたちには用意できませんよ・・・」

 お菊は、希望から絶望へとたたきおとされたような気分でそう愚痴ぐちった。

 お菊たち皿屋敷の面々は、一応、「菖蒲園ゆうえんち」から給料をもらっていた。薄給はっきゅうではあるが、皿屋敷に住まわせてもらっている上に閑古鳥かんこどりを鳴かせているような現状を考えれば給料をもらえるだけでもありがたく、額の少なさに文句を言える立場ではなかった。

 それでも、みんなでそれぞれの給料をもちよって、食費や水道光熱費といった人間社会で生きていくための必要最低限な費用をどうにか捻出ねんしゅつできていた。

 また、無明に助言されたこともあって、万が一にそなえて細々と貯金もしていた。

「今、うちらの貯金ってどのくらいだったっけ?」

 そう自問しながらジーナがなれた手つきでスマホをいじりだす。

 無明が用意してくれた銀行口座を、ジーナはスマホでも見られるようにしているようだ。

「う~ん、およそ百万ってとこか・・・」

「やれやれ・・・五十年近くここで働きつづけて、貯金がたったの百万とはねえ・・・情けなくて涙がでちまうよ」

「今は危急存亡ききゅうそんぼうのときだから、とりあえず、この百万を全部、広告費にぶっこむ」

「涙もかれれちまうね・・・」

 なけなしの貯金がなくなるむなしさと、皿屋敷をおいだされてしまえば貯金もへったくりもないのだから背に腹はかえられない、そんな複雑な心情をアヤメがぽつりとこぼしていた。

「それでも五百万には全然、足りませんよ?」

 お菊は「どうするの?」という顔でジーナを見つめた。

「足りないぶんは、みんなでバイトしておぎなう」

「ばいと?」

「働くってこと」

「人間たちと一緒に、ですか?」

 おそるおそるたずねたお菊に、ジーナが無言でコクリとうなずく。

 たちまちお菊は不安になった。

 皿屋敷にかくまわれて以来、お菊は「菖蒲園ゆうえんち」はおろか皿屋敷の外にすらめったにでたことがないのである。

 従業員も警備員もいなくなる真夜中に、助六と連れだって園内を散歩したり、動かないコーヒーカップに乗ってグルグルまわされている妄想をして楽しんだりすることはあるが、外出と呼べるのはそれくらいで、遊園地の外となると今のお菊にとっては魑魅魍魎ちみもうりょう闊歩かっぽする魔境まきょうのようなものだった。

 そんな魔境で人間たちと一緒に働き、人間たちを相手にした仕事が自分につとまるのか、お菊にはまったく自信がもてなかった。

「あの、わたし──」

 お菊がみずからの不安を白状しようとした矢先、ジーナが優しげな笑みでさえぎった。

「大丈夫。遊園地ここで働けるから」

「そ、そうなんですか?」

「今、ここの店舗はどこも人手不足らしいの。だからバイト希望者はひく手あまたよ」

「ずいぶんとくわしいじゃないか、ジーナ」

 感心するアヤメにむかって、ジーナは気負きおった様子もなく、あたりまえのことのように穏やかな口調で淡々たんたんと語った。

「ハイエンドモデルの高スペックPC三台に、スマホ五台、ゲーム用のデバイス複数、さらには同時進行してる十二タイトル分のゲームへの廃課金・・・これらをまかなうのに、遊園地からの薄給だけじゃ到底無理だから、あたし、この園内でバイトを複数、かけもちしてるの」

「そ、そりゃすごいね・・・」

 ジーナの勤勉さに、というよりも、彼女の働く動機のほうに圧倒されている様子のアヤメであった。

「短期でバイトしたところで五百万には届かないけど、一円でも多く稼いで、できるだけたくさんの広告をうって、ひとりでも多くのお客にきてもらう・・・っていう作戦は、どう?」

 自分の「」を説明しおえたジーナが、お菊とアヤメを交互に見やって反応をまっている。

 アヤメが意を決したように煙をフッと吐きだした。

「他に妙案みょうあんがあるわけでもなし・・・それでいくしかないね」

 お菊はまだ不安だった。

「人間たちにまじって働くなんて、わたしにできるでしょうか・・・」

「大丈夫。お菊には、あたしのバイトを紹介するから、一緒に働こ」

「あ、ありがとうございますッ、ジーナさん!」

 ジーナの心強い発言で、ようやくお菊は笑顔をとりもどした。

「アヤメはひとりで平気だよね?」

 ジーナの確認に、アヤメが不敵な笑みで応じる。

めんじゃないよ。これでも園内じゃ、あんたらよりも顔がくんだからね。あたいに働いてほしい店なんざ、それこそひく手あまたさ」

「あの・・・助ちゃんは、どうします?」

 畳の上でコロコロと転がって暇をもてあましていた唐傘小僧からかさこぞうは、暇すぎたのか、すっかり眠ってしまっていた。目も口も閉じて、子供のような一本足は竹製の柄にもどっていてスニーカーも脱げており、今やただの古臭いじゃ傘がたたまれた状態で倒れているだけにしか見えない。

 そんな蛇の目傘をお菊は自分のひざの上にかかえ、赤子をあやすように優しくトントンとたたいてやった。

 お菊にあやされている蛇の目傘を見おろしながら、ジーナが肩をすくめる。

「助六にバイトは無理でしょ。精神年齢が低い上に、見た目がそもそも、ね」

 人間たちにお化けであることがバレてはいけない以上、人のナリをしていない助六に人間社会での労働は無理だった。

 ジーナの意見にアヤメもうなずいて同意した。

「助六には皿屋敷の留守番をさせておけばいいさ。状況を説明したって、どうせ理解できやしないんだから」

「そう、ですね・・・」

 アヤメの提案にうなずいたものの、目を覚ました助六が仲間外れにされたとかんちがいして悲しむのではないかと、少し心配なお菊であった。

「さてと、時間も限られてることだし──」

 アヤメが手にしていた煙管を煙草盆に景気よくカンッと打ち鳴らし、気合のこもった眼差しでお菊とジーナを交互に見やった。

「やるべきことが決まったんだ。とっととおっぱじめようじゃないか!」

「おっけ」

「は、はい!」

 ジーナは悠然ゆうぜんと、お菊は緊張したおももちで、それぞれがうなずいた。

 こうして皿屋敷の面々は、一部をのぞき、自分たちの生存をかけたアルバイトへといそしむことになったのであった。




 広大な敷地を誇る「菖蒲園ゆうえんち」の一角に、来場者の視線をさえぎるように植えられた背の高い木々をはさんで、地上五階のオフィスビルが建っている。

 会議室にもなる大きなホールを一階にようし、二階は食堂やジム、談話室といった従業員のレクリエーション施設が充実していて、三階と四階には遊園地の運営をになっている各部署のオフィスが入っていた。

 そして最上階にあるのがオーナー専用の執務室である。

 日鷺院那乃は今、その執務室で激務げきむ合間あいまってようやく確保できたつかのリフレッシュタイムを満喫まんきつしていた。

 革張りのソファにゆったりと腰をおろし、ティーカップから立ち昇るハーブの香気こうきを心地よくかぎながら、壁一面にはられたガラスのむこうにひろがる遊園地を見おろしている。

「朝から盛況せいきょうですわね」

 午前十時に開園してまだ間もないというのに大勢の来場者で賑わっている遊園地の景観に、日鷺院那乃は満足していた。

「はい。土曜日ということもあって、若者やファミリー層が多いようです」

 そう応じたのは、黒のスーツをすきなく着こなした若い男だった。

 名を坂崎さかざきといい、年齢は日鷺院那乃と同じ二十五歳。

 日鷺院那乃が信頼している秘書のひとりである。すらりとした長身で、容姿もイケメンと評してさしつかえない。が、日鷺院那乃が高く評価しているのは彼の外見ではなく、能力と忠誠心のほうだった。

 そんな坂崎を肩ごしにふりかえって、日鷺院那乃は新任オーナーとしての所感しょかんを述べた。

「園内のコンテンツを整理し、入場料を適正な価格にまでおしあげれば、計画どおりの利益が見こめそうですわね」

「はい。ただ、入場料の値上げが客ばなれを招く懸念けねんがあると、マーケティング部から警鐘けいしょうを鳴らされております」

「問題ありませんわ。はなれた以上のお客さまを、リニューアルしたコンテンツ群が呼びこんでくれるでしょうから」

 この見とおしには坂崎も同意なようで、彼はそれ以上、不安材料を提示せず、かわりに別の疑問をていしてきた。

「それにしても、この『菖蒲園ゆうえんち』は昔から大きな利益が見こめる事業でしたのに、なぜ会長は今日こんにちまで野放しにしておられたのでしょうか」

 部下の疑問に、日鷺院那乃はハーブティーを一口すすってから応じた。

「おじいさまのお心はわたくしにもわかりません。ただ、わたくしがオーナーとなった以上は、『道楽園どうらくえんゆうえんち』などと陰口かげぐちをささやかれるような状態には決していたしませんわ」

 祖父の放任ほうにん主義がわざわいして、「菖蒲園ゆうえんち」は想定していた利益をなかなか生みだせず、いつしか「会長の道楽のための遊園地」などとグループの内外で揶揄やゆされるようになっていた。

 それでも赤字に転落したことが一度もないのはさすが、と祖父のことをもちあげる者もいたが、他の事業では目を見はるような利益をだしつづけてきた敏腕びんわんの祖父が、なぜ「菖蒲園ゆうえんち」となると無能をさらけだすのか日鷺院那乃は理解できず、また、「菖蒲園ゆうえんち」をこのまま放置しておくことは敬愛する祖父の名折れのような気がして我慢ならず、たびたび改善案を持参しては祖父に突きつけたものである。

 それらの改善案はやんわりと退しりぞけられてしまったが、結局、日鷺院那乃がオーナーとなって「菖蒲園ゆうえんち」のかじとりをまかされたのは、そのころの熱意が祖父に買われたのだと自負じふしている。

「ところで、社長。明日から行う園内の視察の件ですが──」

 坂崎が念をおすように確認してきた。

「廃止の最有力候補となっている例のお化け屋敷は、視察のスケジュールに組みこまなくて本当によろしいのですか?」

「ええ、かまいませんわ。廃止と決まっているものを視察しても仕方がないでしょ?」

「ですが・・・一ヶ月の猶予をおあたえになったのでは?」

「ああ、あれのこと?」

 日鷺院那乃は、昨日、日本髪の和装わそうをした女性と舌戦ぜっせんをかわしたことを思い浮かべながら、口のをつりあげてほくそ笑んだ。

「あれはただのたわむれですわ。準備が整うまでのね」

「準備?」

「あのお化け屋敷を完全につぶすには、少々ややこしいことになっておりましてね」

 そう言いながら、日鷺院那乃はそばに置いておいたタブレット型のコンピューターを差しだした。

 背後から横へとまわりこんできた坂崎がそれを手にとり、画面に視線をおとして小首をかしげる。

「これは?」

「うちの弁護士に調べさせた、あのお化け屋敷の土地と建物に関する報告書です」

「日鷺院グループの所有ではないと?」

「土地はうちのものです。ところが、上物うわものである古めかしい二階建ての木造家屋は、別人の名義となっているのです」

 そう教えてやると、坂崎が画面の中身を黙読もくどくしはじめ、ふたたび小首をかしげた。

「名義人のところにある、このムメイ?・・・これは人名でしょうか?」

「ムミョウと読むそうです。僧侶の法名ほうみょうですわ」

「僧侶、ですか・・・この報告書によると、開園当初の昭和四十五年からの契約となっていますが、無明という人物は会長と知りあいだったのでしょうか?」

「その点を、わたくしもおじいさまにお聞きしました。ところが、よく覚えていないとシラを切られましたわ」

 電話ごしの祖父は笑いながら「さあのぉ」だとか「はて、そうだったかの?」などと言葉をにごすばかりであった。

 そのトボケっぷりに日鷺院那乃は苛立いらだちをおぼえたものの、さりとて療養りょうよう中の祖父を厳しく詰問きつもんするわけにもいかず、おとなしく電話を切るより他になかった。

「さらに、おじいさまがなぜおゆるしになったのかはわかりませんが、あのお化け屋敷には従業員が住みこみで暮らしているのです」

「なるほど。問題というのは居住権ですね?」

さっしがいいわね」

 坂崎の明敏めいびんさに、日鷺院那乃は満足しつつティーカップに口をつけた。

 継続的に生活している者がいる土地は、たとえ地主であっても好き勝手にできず、居住者を一方的に立ち退かせることもできないのが日本の法律だった。

 弁護士からそう聞かされた時は納得がいかず、つい弁護士をにらみつけてしまった日鷺院那乃だったが、弁護士はおそるおそる打開策を提示してくれた。

「弁護士によると、居住権が認められるのは、居住者が地主との契約を順守じゅんしゅしている場合に限るのだそうです」

「彼らは契約に違反していると?」

「おどろいたことに、地代ちだいをまったく支払っていないのです。それも、昭和四十五年から今にいたるまで一円たりとも、ね」

「五十年以上もの間、一円も・・・」

 坂崎があきれたようにつぶやいた。

 日鷺院那乃もこの事実を知った時はおなじようにあきれ、いで憤慨ふんがいしたものである。

「おそらく、おじいさまと無明なる人物との間で地代無用の口約束がかわされていたのでしょう。しかしそのような証文しょうもんはありません。で、あるならば、賃貸借ちんたいしゃく契約である以上、地代の常習的な未納みのうは悪質な契約不履行ふりこうにあたります」

「では、それを理由に立ち退かせると?」

「ええ。そのための法的な手続きに必要な書類の準備に、少々、時間をようするのです。それまで、あそこの方々がどんなふうにあわてるのか、それを見物するのも一興いっきょうかと思いましてね」

「そうでしたか」

 坂崎が小さくうなずく。が、まだにおちない点があるらしく、彼はややためらったのち、遠慮がちに口をひらいた。

「ひとつ、お聞きしてもよろしいですか?」

「なにかしら」

「なぜ、そこまであのお化け屋敷の廃止を強く望まれるのです」

「・・・・・・」

「社長はいつも、どんなに不採算ふさいさんな案件であってもすぐに切りすてたりはせず、まずは再建の可能性の有無を見極めることを信条となさっていたはずです」

「再建できる見こみはないと判断いたしましたの」

「ですが、オーナーに就任なさって、まだ一日しか──」

「坂崎」

 日鷺院那乃は部下の名をぴしゃりと告げて彼の口を封じた。

「この件に関してはもう決定したことです。だれの意見にも耳をかたむけるつもりはございません。たとえおじいさまであってもです。あなたもそのことをよく心得ておいてください」

「・・・は」

 坂崎がしぶしぶといった様子で低頭ていとうした。

 議論によってではなく、主従関係を盾にして部下を黙らせたことに自己嫌悪けんおめいたものを胸によぎらせた日鷺院那乃ではあったが、だからといって「番町皿屋敷」の廃止を考えなおす気にはまったくなれなかった。

「では、休憩はこのくらいにして、園内にショッピングモールを建設する件について、会議をはじめましょう。プロジェクトチームはそろっていますね?」

「はい。すでに隣の会議室で社長がこられるのをまっております」

「よろしい」

 ティーカップを皿の上にもどし、ソファから颯爽さっそうと立ちあがると肩にかかったくり色の髪を片手で払いつつ、日鷺院那乃は獲物を見さだめるような心情で遊園地を見おろした。

 その鋭い視線の先には、遊園地の遠く片隅かたすみに建つ、古めかしい二階建ての木造家屋が小さな模型のように存在していた。

 そこだけが、まるで時代錯誤さくごな空気でよどんでいるように見えて日鷺院那乃を不快にさせる。

(だれがあんなお化け屋敷、残しておくもんですか!)

 だれにも聞こえない誓いを胸のなかで叫び、ためらうことなくきびすをかえしてお化け屋敷に背をむけると、日鷺院那乃はカツカツとヒールを響かせながら会議室へを進めた。

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