あやかしまやかしいとおかし
おちむ
第1話 お化けたち
東京の郊外にある「
その名のとおり、初夏になると広大な敷地のあちらこちらを菖蒲の花がいろどって来場者の目を楽しませる。
青や紫に咲きほこる菖蒲に囲まれてピクニックを楽しもうとやってくる者は多く、近隣の住民にも
園内のアトラクションに関しては、
ただ、そんな「菖蒲園ゆうえんち」にもたったひとつだけ、客の歓声のかわりに
そのアトラクションの看板には、おどろおどろしい字体でそう刻まれている。
江戸時代に
このアトラクションには主役のお菊以外にも、ろくろ首や
だが、モチーフが古すぎるせいか、それらのお化けでは現代人の恐怖心を刺激することができないようであった。
たまに、月に数人程度の客が興味本位で、あるいはひやかしで来場するが、入口では笑顔だった彼らの顔も出口となるとみな
恐怖からではない。
ひどく退屈だったからである。
「あのお化け屋敷って、まだあったんだぁ。子供のころ一回だけ入ったことあるけど、ぜんぜんこわくなかったし、つまらなかったわ」
「昔とかわった様子もないし、おもしろくなったって噂も聞かないし、なんでつぶれないんだろ」
「もっと楽しいアトラクションにかえてほしいよな」
だが、彼らは知らない。
この皿屋敷に住まうお菊や、ろくろ首、あるいは唐傘小僧といった面々が、実は本物のお化けなのだということを・・・。
「いいですか? わたしが九枚目のお皿を数えおえる前に、逃げてくださいね?」
「なんで~?」
「わたしが九枚目を数えるのを聞いてしまうと、あなたは死んでしまうからです」
「うっそだ~」
「うそではありません。ですから、六枚目あたりになったら逃げたほうがいいですよ。では、数えますからね。逃げる準備、してくださいね」
つくり物の丸い井戸のなかに立ちながら、お菊は、五歳くらいの男の子にむかって
「お皿が、いちま~い。に~ま~い。さんま~い。よんま~い──」
「そこは、し~ま~い、じゃないの?」
「へ?」
「だって数えるときって、いち、に、さん、し、って言うじゃん。だから、し~ま~い、じゃないの?」
「・・・言われてみると、なるほど、たしかにそうですね」
男の子の指摘に納得してしまったお菊は、数えおえて井戸の
「では、数えなおしますね。お皿が、いちま~い、に~ま~い。さんま~い。し~ま~い──」
「し~ま~い、だと、おしま~い、みたいにきこえちゃうね」
「へ?」
「それに、いち、に、さん、よん、って数えることもあるよね?」
「そ、そんな・・・どっちが正しいのでしょうか?」
「ぼくにきかないでよ」
「どうしましょう・・・」
「よん」か「し」か。
この大問題に直面して心からこまりはててしまったお菊が
「お姉ちゃんの好きなほうでいいんじゃない?」
「そ、そうですか。お気づかい、ありがとうございます!」
勢いよくペコリと頭をさげたせいで黒くて長い頭髪がバサリとおちてきて、それがお菊の顔面をおおいかくした。
「あ、すみません。髪を
お菊が自分の
「キットクル子だああああああァァァァ!」
「あ、あの・・・」
あまりの突然のことに
「・・・きっと・・・くるこ?・・・」
お菊には意味がまったくわからない言葉だった。しかし、その言葉を発して逃げだした男の子の顔は、まるで目の前に死神が現れたかのような恐怖と絶望の色にいろどられていた。
いったい、なにが彼をそこまでこわがらせたのか。
その女性は二十歳くらいの外見で、黒くて
「アヤメさん」
お菊が女性の名をつぶやくと、アヤメは
「ものすごい悲鳴だったけど、なにがあったんだい?」
「そ、それが、わたしにもよくわからなくて・・・突然、あの子、逃げだしちゃったんです」
「九枚目の皿を数えたからかい?」
「いえ。九枚目どころか、四枚目でまごついてしまいまして・・・」
「なんだいそりゃ」
口をぽかんとあけてあきれた様子のアヤメだったが、すぐに
「なんにせよ、悲鳴をあげさせたんなら
「はあ・・・手応えはまったくありませんけど・・・」
「まあ、いいじゃないさ。んなことより、大事な話があってね。みんなも集まってるから、お菊もきておくれよ」
「でも、まだ閉園の時間では──」
「どうせここに客なんかきやしないよ。あの子供だって三週間ぶりの客だったろ?」
「・・・ですね。わかりました。すぐいきます」
アヤメの指摘は悲しいが事実だったので、お菊は
おいかけた先は、皿屋敷でアヤメが担当しているエリアだった。
アヤメの役どころは、
首を伸ばしてくるアヤメのことを、客たちは、女優とCGを
が、さにあらず。アヤメは
お菊の隣には、古風な
蛇の目傘とは、傘をひらいた時に白い輪の模様が現れ、それがちょうど
そんな蛇の目傘が、文字どおり、一本足で立っているのである。
今はたたまれた状態の蛇の目傘が、子供のような
「お菊ちゃん、おつかれさま~」
「うん。
お菊がねぎらいの言葉をかけた蛇の目傘は、
傘の
腕や手はなく、朱色の油紙がはられた傘布の部分に大きな目と口がひとつずつあって、口からだした長い
彼の役どころは、そのまんまの唐傘小僧である。
客にはよくできたロボットだと思われているが、助六にロボットを演じているつもりはまったくなく、彼は客がくるといつもはりきって
ところが、今回の男の子にはその全力がだせなかったようである。
助六がつまらなさそうに
「ぼく、お菊ちゃんとちがって、ぜんぜんつかれてないんだ~」
「そうなの?」
「うん。だって、さっきの子供に気づかれなかったんだもん、ぼく・・・」
助六がさびしそうに言うので、お菊は彼をなぐさめてやりたくなり、優しくたずねた。
「どうして気づかれなかったの?」
「原因はわかってるんだ。これだよ、これ~」
助六は長い舌をベロンとだし、手のかわりにその舌を使って自分の足もとを
見ると、助六の足には見なれた
「あれ? いつもの下駄はどうしたの?」
お菊がたずねると、助六は
「やだよ、下駄なんて! 古いし、ダッサイし! 今の時代、やっぱりスニーカーだよ。このスニーカーはね、ネイキっていうブランドの限定モデルなんだけど、履き心地がバツグンなんだよね~。おまけにエアクッションが衝撃をやわらげてくれるから、長いことぴょんぴょん跳ねまわってもつかれにくいんだ~。これをつくった人は、きっと唐傘小僧のことを考えてつくったにちがいないよ! でもね、問題もあってさ~。下駄みたいにカランコロンって音が鳴らないんだ・・・ぼくが担当してるエリアって
「そ、そうだったんだ・・・それはこまったね」
「うん。
最近おぼえたと思われる
下駄にもどせばいいだけのような気もするお菊だったが、助六はスニーカーにこだわりたい様子なので、それはあえて言わないことにした。
「おや? ジーナはまだかい?」
アヤメが煙管に新しい煙草をつめながらもうひとりの仲間の名を口にし、唐傘小僧を見やった。
「助六。あんた、ちゃんとジーナに声をかけてくれたんだろうね?」
「うん、もちろん。あ、ほら、きたよ~」
助六が長い舌で、遊郭っぽく演出されたアヤメの部屋の戸口を指し示す。
「ふああ~・・・話ってなぁにぃ? 昨日、
あくびまじりの声で伸びをしながら現れたのは、十六歳前後に見える少女だった。
「また
あきれぎみのアヤメに、ジーナと呼ばれた少女は穏やかな口調ながらも自慢げな笑みで応じた。
「チート使ってイキってるやつがいたからさ、ずっとリスキルしてやってたの」
「よくわかんないけど、あんたにつきあって、ずっとリスキルとやらをされてたほうもご苦労な話だね」
「あたしも、すぐ
「なんでもいいけど、ほどほどにしときなよ、ゲームも徹夜も」
「ほっといてよ。どうせ客なんてこないんだし」
「きたよ~、さっき~」
助六があっけらかんとした声で割ってはいると、ジーナが「信じられない」とでも言いたげな表情でおどろいた。
「うそでしょ・・・マジで?」
「うそじゃないもん。お菊ちゃんが悲鳴をあげさせてたし~」
助六がまるで自分のことのように自慢した。
「へえ、やるじゃん、お菊」
助六ごしに視線と
「ど、どうもです、あはははは・・・」
あの男の子がなぜ悲鳴をあげて逃げだしたのか見当もつかないお菊は、ジーナからの賛辞を複雑な気もちでうけとった。
「あたしも、そいつを泣かしてやりたかったなあ」
穏やかな口調で
ジーナは
自分の顔の造形を自在にあやつれるということは、
「で、話ってなんなの? アヤメ」
ジーナに水をむけられたアヤメが煙管に火を入れながらうなずいた。
「それが、ちょいとやっかいなことになってねえ」
煙管をくわえ、吸った煙をため息のように
「実は、三日ほど前に、この遊園地のオーナーが倒れたらしいのさ」
「死んじゃったの~?」
心配とは無縁の、単なる興味本位まるだしの助六の質問に、アヤメは二口目の煙を吐きだしながら
「死んじゃいないよ。ただ、
「
ジーナが腕を組みつつ、うなずいて納得していた。
「歳をとるのが早いですよね、人間って・・・」
しみじみともらしたお菊のつぶやきに、すかさずアヤメが指摘した。
「あんたも昔は人間だったろ?」
「わたしの人間は、十三歳でおわってますから・・・」
お菊が
そんなお菊の悲劇を思いだしたのか、アヤメが煙管の吸い口で自分の頭をかきながらバツが悪そうに謝罪した。
「つまらないことを思いださせちまったね。ごめんよ」
「いえ、いいんです・・・もうずっと昔のことですから」
お菊が死んでから三百年以上もの時が
そんなお菊にとって生きていたころの記憶など、夢のなかの
「ま、とにかく──」
三口目の煙管を口にくわえながらアヤメが話題をもとにもどした。
「客がまったく入らないこの皿屋敷にも理解を示してくれていた、人の
「ってことは、この遊園地は今、オーナー不在なの?」
ジーナの問いに、アヤメは
「ところがどっこい、そうじゃないのさ」
「どういうこと?」という顔をしているお菊たち三者にむかって、アヤメが確認してきた。
「今朝、あたいがでかけたのは、みんな知ってるだろ?」
「知らないし」
「しらな~い」
「知りませんでした」
ジーナ、助六、お菊が
「でかけたの!」
目と鼻の先まで近づいてきたアヤメの
どうやら、お菊や助六が寝ている間に、そしてジーナがゲームに熱中している間に、アヤメは朝からどこかへでかけていたらしい。
「ったく、どいつもこいつも
伸ばしていた首をゆっくりともとにもどしながら愚痴ったアヤメが、煙管をくわえなおして話をつづけた。
「で、どこへでかけたかっていうと、各アトラクションや店舗の責任者が新しいオーナーに呼びだされてね。それに応じて園内にある事務所ビルまでいってきたってわけさ」
「新しいオーナーさん・・・って、どんな方です?」
お菊は純粋な好奇心からそうたずねた。
すると、アヤメはいやなことでも思いだしたのか、美しい顔を
「
「女の方・・・でしたか」
なんの根拠もなく新しいオーナーも男だと思いこんでいたお菊が素直におどろいていると、ジーナが冗談めかした口調でアヤメをからかった。
「どうせ、アヤメより美人だったから
だがアヤメはくすりとも笑わずに毒を吐いた。
「はん! 美人なもんかい! 顔も心も
「その方と、なにかあったんですか?」
アヤメが他人のことをここまでこきおろすのを聞いたことがなかったお菊は、その原因が新オーナーとのやりとりにあったのではないかと思い、遠慮がちにたずねた。
煙管をくわえたアヤメが、自分を落ち着かせるかのように吸った煙をゆっくりと吐きだし、それから口をひらいた。
「・・・その女が、こんなことを言ってきたのさ」
イライラとした口調で語りはじめたアヤメの話を、お菊たちは緊張した
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