第12話

トイレの個室から出て、呼吸を整えてみる。早くデスクに戻らなくちゃだめなのに、動けない。焦れば焦るほどどんどん辛くなる。両手で口元を覆い、ゆっくりと呼吸を繰り返した。

正面の鏡に映った女の顔はなんて貧相なんだろう。貧乏くさく、陰気で何もいいところはない。これが私の顔なんだ。

始業のチャイムが鳴った。


「いけない」


急いでデスクに戻ったけど、バタバタしたせいか、みんなが私を見ているような気がして、顔をあげられない。


(苦しい)


どうしよう。呼吸は楽になるどころか、どんどん苦しくなってきた。深呼吸をしなくちゃいけないのに、それができない。


「白石さん?」

「・・・はい」


私の隣の席にいる川崎さんが声をかけてきた。入社2年目の男性で、とても細やかで物静かな人だ。必要最低限、仕事の話だけで、プライベートの話はしない。お互い苦手なところが同じみたいで、少なくとも私は川崎さんが隣で良かったと思っている。


「顔色が悪いですけど?」

「あ・・・」


一番のコンプレックスである顔を、見られていると思うだけで動悸は収まるどころか、激しさを増していった。川崎さんは悪くない、心配をしてくれているだけ。


「ちょっと、体調が・・・」

「早退したらどうですか?」

「でも・・・」

「急を要する業務もないですし、もしもの時は僕が処理しておきますから」

「ありがとうございます」


体調の悪い者がそばにいたら迷惑だし、長引いて休んでしまう方がもっと迷惑になる。


「係長すみません」

「どうした?」

「体調が悪くて、早退させていただきたいのですが」


私にとって、早退や休みをお願いすることも勇気がいることだった。体調管理には気を使って、早退も、休みも、遅刻もしないように心がけていた。


「白石さんが珍しいね、顔色も悪いし、いいよ、早く帰りなさい」

「ありがとうございます」


私は子どものころから身体が丈夫で、体調が悪くて休んだくことは記憶にない。

デスクを何とか片づけ、川崎さんだけにそっと挨拶して、消えるように退社した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る