転生なんかできない

水月 友

第1章 紬:奏でる

第1話 

 自分では確かな記憶がないが、私は5歳の時に急に右半身の動きが悪くなった。左手で何かにつかまりながら立つことはできるが、あまり長い時間は立っていられない。右手が全く動かないわけではないが、みんなと同じスピードで何かをするのは難しい。どうせうまくいかないから、右手を使うのはすぐ嫌になる。

 両親もリハビリテーションの先生も、あきらめないで右手を使うようにと言うけれど、実用的でないものは使われることはない。箸は持てるが使うには時間がかかり、食べている仕草が不格好なので普段から使っていない。ましてや同級生の前でなんて絶対見せられない。

 歩くことも、リハビリで生活の全てが訓練だと言われて、寝ている時間以外はできるだけ歩こうとしなさいと言われていた。でも、いくらやっても人と同じようにはならないとわかったときから、リハビリの時間以外ではやめてしまった。普段の生活はこの電動車椅子に乗っていて、この方がスピードも速くよっぽど動きやすい。移動教室まで自分で歩くのに30分かけてお昼休みをつぶすくらいなら、サッと移動して残りの時間を友達とのおしゃべりに使いたい。


 小学校に上がった年に、両親からピアノを習ってみないかと誘われた。両手が使えないのにピアノなんて、と今なら怒っていただろうに、小さかった私は喜んで同意した。保育園でも友達と満足に遊べなかった私は、きっと別の世界を見たかったのだろう。


 しかし、実際はそう簡単な話ではなかった。ピアノ曲は、基本両手で演奏するように出来ている。

 指一本で音を出して単純に喜んでいるうちはいいが、練習が進むと演奏にも高度な技術が必要になってくる。強弱をつける足のペダルだってある。

 ピアノ教室で周りにいる子どもが複雑で綺麗なメロディを奏でるたびに、それが自分には叶わないないものだと分かっていくのはとても辛いことだ。左手と左足だけでピアノを演奏できるわけなんかない。

 でもピアノ教室をやめたいとは思わなかった。他の子の奏でた音だろうが、そもそもピアノの音色が好きだったし、自分が何かを操作しているという感覚が好ましかった。鍵盤を叩くと音が出る。不十分な動きしかできない私でも、自分が動くことによって、この世界に何か影響を与えているという実感がうれしかった。

 演奏技術に差を付けられるのは仕方のないことだと割り切り、それでも片手でできるだけ曲に近づくように人一倍努力もした。


 小学校4年生の時に、立野泉さんというピアニストのコンサートを観に行った。立野さんは病気で右手が動かなくなり、左手1本でピアノを弾いている方だ。

そこで、左手のためのピアノ曲があることを初めて知った。いや、以前からピアノの先生が言っていたと思うが、記憶にあるのはこのコンサートを観に行った時のことだった。


 その演奏を聞いて、私から何か憑き物が落ちたようだった。

 片手でも、こんなに綺麗な旋律を奏でられるんだ。

 きっとそれまでは、ピアノはみんなと同じに両手で弾くもの、だから早くみんなに追いつきたいと必死に思い込んでいたのだろう。

 もう、できないことを言い訳しないで、あるがまま自分に向かって行こう。

子ども心にそう感じたことを覚えている。


 でも、現実はそううまく行かなかった。練習を重ねればその結果を求めたくなる。その結果を振り返り自分の立ち位置を確認する。そして次の目標を見極めることで人は成長して行く。自分が好きで弾いているだけでは、上手くなっているのかどうかわからない。

 それに発表会やコンクールがあっても、片手では課題曲が難しすぎて参加すらできない。ペダルの強弱は左手のタッチの工夫で何とかするとしても、両手のスピードは片手では如何ともし難い。最初から両手での演奏を想定して作曲されているのだから、仕方ない。

 私が出場できるのは、私のように何か条件がついてしまう子のためのコンクールであり、そこでは演奏の優劣などつけられない。このような状況で皆さんよくがんばりました、と参加することを褒められて賞状をもらうだけだ。今でも、世間では「障害者芸術祭」と称して、条件のついた人と、そうでない人の世界を分けている。


 それはそれで人によっては意味があるのだろう。参加することに意義がある、とよく言われたものだ。でも私にはそう思えなかった。

 何もコンクールに出て勝ちたいわけではない。勝ったからどうだと言われればそれまでだ。でもいつも、他人と比べなくていい、他人と比較することは必要ない、と言われたら自分の立ち位置が分からなくなってしまう。自分に何が足りていて、何が足りていないのか分からなくなってしまう。

 普通の社会では他人と比べること、そして競争に勝つことを求められるのに、私には必要ないって、どういうことだろう。

 やっぱり私は特別な存在で、もう向こう側の、違う世界の人間だからってこと?

 それでは自分が何を目指していいか、分からなくなってしまう。


 そんな時に、あのコンサートに出会った。

 それからは練習方法を変えた。いや、練習に向かう気持ちが変わった。左手のためのピアノ曲を中心に練習量を増やした。両手が使える友達にもその曲を弾いてもらい、曲のポイントを話してもらった。

 その友達は、弾いているうちにどうしても右手が出てきてしまうと言っていた。使えないものを使えるようにする努力と、使えるものを使わないようにする努力は、同じではないんだろう。

 でもそれによって、自分の長所や短所がわかるようになった。


 中学の時にクラスで、合唱コンクールのピアノ伴奏を私にやってはどうかという声が上がった。紬ちゃんならピアノ上手いから大丈夫なんじゃない?という仲の良かったクラスメイトからだ。

 いつも一人でピアノを弾いていた私は、それを聞いてはしゃぐように喜んだ。みんなのためにピアノが弾けるのなら、こんなうれしいことはない。

 でも合唱コンクールのメインは合唱であり、左手だけで弾ける曲を選べるはずもなかった。普通の曲をアレンジしても、みんな何となく違和感があるみたいでうまくいかなかった。だいたい今まで一度も、誰かの歌に合わせてピアノを弾いたことなんかなかった。

 それで、この話は立ち消えになって、別の子が選ばれた。


 そうか、私のピアノは一人ぼっちなんだ。今まで誰かと一緒に合わせて何かを演奏する、という経験は一度もなかった。

 ピアノを弾くことはできても、演奏を人と合わせることはできなかった。


     

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