♰Chapter 37:災厄へのカウントダウン
オレは際限なく駆け寄ってくる有象無象の相手をしながらも状況把握に努めていた。
最大の懸案事項は、御法川の手前で不時着した東雲のこと。
振るわれる武器の風鳴に二人の会話までは聞こえない。
だが間違いなく異常が起きている。
「あああああああああああ!」
「邪魔だ!」
オレはアーティファクト短刀――リベルタスを操作し、襲い来る彼らの武器を一斉に弾き飛ばす。
手元に返ってきたそれを鞘に納め、懐にしまう。
ここからは暗殺者用の黒塗り短刀の使いどころだ。
魔法と魔術が禁じられる聖杯の領域にあえて着地すると東雲のもとへ駆ける。
身体強化の魔法も解法され、今のオレはただの暗殺者だ。
超人的な身体能力もなければ、高い所へ飛び移ることももうできない。
通常の火魔法や闇魔法を受けただけでも死へと直結する。
オレが到達する前に東雲がゆっくりと膝まづく。
「いやあああああああああっ!!!!」
紅雷が再び展開され始める。
だがそれは御法川を仕留めるためのものではない。
「ぐっ⁉」
唐突に暴れ狂うそれはオレの左腕を掠める。
わずかに触れただけだというのに、感覚がない。
力なく垂れ下がっている。
東雲は頭を押さえ、悶えている。
だがそれもわずかな間。
ポニーテールを風に靡かせ、虚ろな瞳でこちらに歩いてくる。
その様子は尋常ではない。
「御法川にやられたか……!」
「君も結局は他の人間と変わらない。俺の前で俺を愛し俺の望むことに従うだけの機械だ。そう――変わらなかったんだ」
御法川は落胆したように東雲を見る。
「朱音、いやここに集った全員に命じる。俺のために――死んでくれ」
全方位から型もなく拙い攻撃を仕掛けていた彼らの動きが変わる。
素早さと耐久力が明らかに普通の人間を超えている。
――急所を突こうとノックバックを受けようと次の瞬間には突貫してくる。
全員が全員笑っている。
「「「あはははははははははは!!!!!」」」
「くっ……!」
暗殺者の本来の戦闘は真っ向から挑むことではない。
1対1、あるいは1対少人数の戦闘でこそ暗殺者は意味を成す。
多勢に無勢で戦闘するのはそれこそ東雲のような前衛を張れる人間のすることだ。
左腕が麻痺している不利に加えて、あまりの手数を避け切れず端々に小傷が増えていく。
「っどけ――!」
それは直感だけだったと言っていいだろう。
オレはオレに張り付いていた数人を蹴り飛ばす。
甲高い金属音が鳴り響き、瞬時にオレは受けの姿勢を取る。
瞬間移動を錯覚するほどの東雲の急接近、全身が空中に浮かされるほど重い手応え。
オレは即座に着地すると、まもなく転がるようにその場から離れる。
直後に一際大きな紅雷が地面を穿った。
――こんな高電圧、一撃でもまともに貰えば命など軽く消し飛ぶだろう。
御法川に洗脳されたからか、彼女に聖杯の制限は効いていない。
頬を冷や汗が伝う。
〔守護者〕と称されるほどに強力な魔法使いと魔法を封じられた魔法使い。
個人の技量で埋められる差ではない。
それはもはや戦いと呼べるものではなく、強者から弱者へのただの蹂躙だ。
「東雲、しっかりしろ! オレの声が聞こえないのか!」
「――」
呼び掛けにぴくりと反応するがそれもすぐに消える。
固有魔法は一際強力だからこそ、魔法使いの切り札足りうる。
加えて今の御法川は背理契約譜というドーピング状態。
ならばそう易々と解除できるはずもない。
「撤退は、論外だな」
相手の感知範囲外に出ることも至難だが、万が一撤退できたとしても洗脳状態にある東雲や他の一般人がどうなるかは分からない。
――〈 〉に固有魔法の供与を頼むか?
論外だ。
こうして思考している間にも視覚で捉えられない超速の斬撃を直感と経験だけで受け流している。
いや、受け流せてなどいない。
毬のようにひたすら吹き飛ばされているだけだ。
「がはっ……!!」
オレが心象風景に行くときには必ずわずかな時間が経過している。
そんな時間を雷の速さを持つ東雲が待ってくれるはずもない。
考えても考えても個で最強の個、そして多を無力化するイメージが掴めない。
勝率は無謀ともいえる。
ならば無理を承知で固有魔法行使者本人を――。
――殺せるのか、たとえ少なくとも時間を共有した相手を。
「――馬鹿馬鹿しい。やらなければやられる……それがオレの生きる世界だ」
脳裏で誰かが問うている。
それはオレではない、何か。
意思決定に介入しようとするそれを強引にシャットアウトする。
だが――。
決めてからは早かった。
躊躇がなくなるだけで人は本来の力を発揮できる。
オレは東雲の波打つ紅雷を身のこなしだけで躱しつつ、駆ける。
当然神速の閃きがそれを妨害するべく振るわれるが、動きを止めることなく捌き切る。
一歩間違えればオレの身体は中央から真っ二つ。
危ない橋をひたすらに渡り続ける。
彼女と何度かの手合わせが、操られた彼女の動きを最低限読めるようにしている。
御法川とは二十メートルの距離。
東雲とは十メートルを切る距離。
「しっ……!」
黒塗りの短刀が東雲の頭部を目指して投擲される。
それを彼女は反射的に刀を構えることで弾いた。
その隙にオレは服に忍ばせた針状の暗器を取り出すと御法川までの距離を詰める。
「俺を狙うか――だが!」
そして御法川まで残り五メートルを切ったとき、オレは東雲の再接近を感じた。
行動を遅延させてもわずかに御法川まで刃が届かない――。
背後の気配はすでに斬撃のモーションに入っているだろう。
――狙い通り。
即座に振り返り、刀の距離をゼロにした。
「――――!!?」
ずん、と腹を貫通する刀。
「ぐっ……」
「なに……⁉」
どんな武器にも間合いというものがある。
斬撃武器しかり。
打撃武器しかり。
たとえ戦闘機や戦艦に積まれたミサイル弾頭だとしてもしかり。
それは無制限の範囲に効果を及ぼす兵器など世界中のどこにも存在しないことを示す。
当然、日本刀も例に漏れない。
オレが急転換をしたことで、想定外の範疇から間合いが突如として消失したのだ。
いや、それだけではない。
「――……⁉」
光のない彼女の瞳が大きく見開かれた。
オレが自分の腹で高速で振りぬかれる寸前の刀を止めたからだ。
急所は外しているが、口元からは血が零れる。
多少の内臓の損傷はあるかもしれない。
――それでも一番いい結末を迎えるための行動はできる。
本当に今回の戦いはたちが悪い。
敵は敵のまま、味方が敵になってしまうのだから。
それでも暗殺組織に飼われていた頃に比べれば痛みも気にならない。
「お前は眠っていろ。オレが終わらせる」
魔法にかかった人間の足音が近づくなか、オレは東雲の頸動脈を締めつける。
右腕だけにあらん限りの力を込めて。
何の躊躇いもなく、ただ無感情に。
自身の危機を認識したのか、これまで以上に激しい紅雷が一帯を覆い、運悪く身体の一部を掠めた一般人が次々に倒れ伏していく。
もとから全員を救うことは難しい。
極論を言うならオレの力でどうにかできる範囲を超えてしまった以上、被害を最小限に止めることしかできない。
その過程で死者が出ることは大多数の幸福を優先するうえで黙認すべきことだ。
「……! ……!!」
東雲は刀を取りこぼし、オレの腕に幾度も爪を立てて抵抗するがそれでもオレはその行為を辞めなかった。
数秒もすれば頸動脈を圧迫され酸素が回らなくなった彼女は動かなくなった。
失神したのだ。
御法川に視線を向ければひどく気味の悪いものを見るような視線だ。
「君、普通の人間じゃないな。自分が死ぬことも他人が死ぬこともなんとも思っていないみたいだ」
「ああ……ひどく気分が悪い。お前の魔法は人を歪め、自らの手を汚さずに望みを叶えようとするもののそれだ。陰湿で卑怯……そのうえで自分本位な愚かさを持ち合わせている」
戦場を支配する重圧がもう一段重くなる。
「……随分好き放題言ってくれるね。だったらどうする? 俺はまだこんなにも多くの人間に愛されている」
次々に集まってくる人々。
上空に顕現した巨大な一つ目がある限り、もはや留まるところを知らない。
腹の奥底から氷鉋の感じていたものを感じる。
昏く濁っていて。
自分の大切な何か――きっとそう、信念を穢そうとする者に対する抵抗。
「――ああ、そうか」
氷鉋の記憶の断片に触れたとき、感じた得体のしれない感情。
知識として定義できても実際にはどんなものか分からなかったもの。
――これは、怒りだ。
頭を中心に全身に熱い血液が巡り、胸の奥から焦燥にも似た憎しみが湧く。
「なんだ、その表情は?」
オレは今、どんな表情をしているだろう。
きっと氷鉋のように醜くも、純粋な感情が籠っているのではないか。
「っ!! 行け、お前たち!!」
命令を受けて両端から駆けてくる被害者たち。
予備の短刀は先の投擲で終わりだ。
――別に構わない。
機能しないアーティファクト短刀でも通常の短刀として使える。
手にした短刀を扱う動きは手傷で鈍るどころか、キレが増していく。
「セィアアア!」
火球がいくつも生成され、乱雑に発射される。
「――」
熱風が顔を打つのも構わず、オレは疾走する。
あとわずかで御法川に届くところで特大の火球が爆発するが、その爆風すらも利用して大きく跳躍する。
聖杯の効果は今上空にいるこの一瞬は弱まっている。
「力を、寄越せ――!」
“――まさか強引に〈 〉に要求を――危険だ!!”
初めて聞く心象風景に居座る声の焦り。
それでもオレは強硬に声の存在から固有魔法を簒奪したのを感じる。
「――〚
身の丈ほどの巨大な戦斧が顕現し、大地を割る。
アスファルトと土が巻き上げられ、聖杯の液体ですら蒸発する。
暴食の鎖同様、漆黒に紅のラインが浮かび上がる禍々しい武器だ。
衝撃波が再度の接近を試みている一般人を吹き飛ばす。
それからさらに跳躍した。
目標が頭上高く飛躍したことで一般人たちは目でオレを追うことしかできない。
「なんだ、なんなんだよお前は――ッ!!!!!」
大地にめり込んでいた戦斧が独りでにオレの手元に収まる。
「――お前の罪をオレが禊ごう」
静かに放った言葉に心底から震えあがったのだろう。
御法川は手近の支配下にある人間を肉壁にする。
「これで――」
何か言葉を口にしているようだが届かない。
オレは止まらない。
「――終わりだ」
人間など容易く両断できるほど絶大な威力を込めた振り下ろしは、盾に使われた人間を透過した。
奥に垣間見る驚愕に歪む表情と畏怖が宿った直視。
直後大地を割り裂き、行き場をなくした膨大な余波が周囲の舗装を食い破り、さらなる土砂を巻き上げる。
――ぐしゃり。
中央には仰向けに倒れた態勢のまま硬直した彼がいた。
「お前、直前で固有魔法ですら魅了したのか」
あそこからどんな攻撃をしたとしても躱しようがない。
肉ごと骨を断つ感触を覚悟したが、手元に帰ってきたのは重厚な大地に吸収されていく手応えのみだった。
そしてその時に感じた不自然な魔力の流れ。
それは間違いなく御法川の瞳――ひいては夜空を席巻する巨大な瞳から感じたもの。
この土壇場で本来あるはずのない無機物の心でさえも魅了したのか。
「ぐあ、あああああああああああああああああああ!!」
御法川の両眼からおびただしい量の血涙が流れた。
両手で顔半分を覆っているが抑えきれない液体で溢れている。
すでに生き残っていた一般人もすべて気絶していた。
聖杯も先程の一撃で器ごと砕け散った。
固有魔法の効果は消失したと考えていい。
オレが正面に立ち、短刀を無防備な首元に落とそうとしたときだった。
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