♰Chapter 21:父娘の約束
連れてこられた場所は第二区のオフィス街――その一角に屹立する高層ビルだ。
その待合室に通される。
「鷹条、すぐにお父様に伝えて」
「承知しました」
鷹条と呼ばれた秘書とオレは車内では軽い挨拶を交わしただけだ。
特に東雲との仲を聞かれることもなく、無警戒に招かれた。
しかしそれはこの時のためだったのかもしれない。
鷹条は東雲がオレの腕を掴み、隣の席に座るのを見て取る。
「が、その前に。失礼ながら八神様は本当にお嬢様――朱音様のことが好きで居らっしゃるのですか?」
柔和な微笑みを浮かべてはいるものの、彼の瞳はその名に恥じない鋭さを備えている。
半端な嘘はどんなに無表情でも看破されてしまう予感がある。
それにオレが本当に東雲を好きで逆も同じであるならば、婚約の話が挙がった時点で彼女の父親に打ち明けていなければならない。
後付けで『実は好きな人がいる』と言っても見え透いた嘘になってしまうのだから。
「オレは東雲のことが好きですよ。ただし恋愛的な意味ではなく友人として、です」
「ちょっと……⁉」
正直すぎる物言いに今度は東雲が慌てたように立ち上がる。
オレは彼女の馬鹿が付くほどまっすぐな性格を扱いやすいと思っている。
だからこれはきっとある意味で好ましいと思っていることは確かなのだ。
オレは静かに鷹条を見据える。
「はははは!」
するといきなり豪胆に笑いだしてしまった。
さすがにここまで大きく笑い飛ばされるとは思っていなかったのだが。
「ええ、ええ! いや失礼しました。しかしあまりにも嘘を吐き通す気がないようで拍子抜けしたのですよ」
「オレが東雲を恋愛的な意味で好きだと言っても貴方は信じなかったでしょう?」
第一、本当に東雲の偽恋人役をするなら『東雲』なんて他人行儀な呼び方はしない。
会って一言二言の言動を交わしただけでこの鷹条という人間を言いくるめることは難しいと判断したのだ。
「確かにおっしゃる通りです。もしあなたがお嬢様の恋人を言い張るなら即座にお帰り願ったでしょう。わたしはあなたの仮面を見破る術は持っていませんが、お嬢様は別です。小さい頃から面倒を見てきたわたしにとってお嬢様の反応を見れば本当か嘘かなど赤子の手を捻るように分かりますから」
「何よ、それ……。っていうかあたしは八神と鷹条の見えない駆け引きに翻弄されてたってこと?」
「まあそうなるな。鷹条さんはオレが――端的に言えば『誠実』な人間かどうか、踏絵をしたかったんじゃないか?」
「ええ、そうでございますとも」
東雲はその言葉に不機嫌を滲ませ、疑問を口にする。
「でも何でよ? 鷹条はお父様側の人でしょ? あたしがお父様の持ってきた縁談に傷をつけるのは好ましくないんじゃない?」
その言葉に鷹条はそっと東雲の方へ身を屈め、目線を合わせる。
初老でありながら大人の男性である鷹条と彼女とではそれなりの身長差がある。
だがその行動により完全に目線がそろう。
それから彼はそっと手を載せ、彼女の頭を撫でた。
「わたしは確かに御父上側の人間です。ですがわたしは彼の秘書である以前にあなたの成長を傍で見守ってきたうちの一人なんですよ。そのあなたが婚約を嫌がっているというのは最初にお伝えしたときから感じていました。わたしとて無理に縁談を成立させたがるほど無粋な人間ではないですよ」
「鷹条……」
その言葉に東雲はふいっと自分の足元を見てしまう。
嬉しさと照れがあるのだと、覗く赤味を見れば一目瞭然だった。
「よかったな東雲。お前の味方はお前だけじゃない」
「うん……うん!」
東雲は素直に返事をしてから咳払いをしていつもの雰囲気を取り繕う。
「こほん……えと鷹条、さっきの話お願いできる?」
「今度こそ快く。ただその前にもう一つだけお伝えさせてください」
「なに?」
鷹条は少し緩んでいた空気をきゅっと引き締める。
「御父上は数週間ほど前から少し変わられたように感じます。これまでの彼はたとえ同じプロジェクトに関わった仲間であったとしてもしっかりと目を合わせ言葉を交わしてから信用に足る人物か否かを判断されていました。しかし今回の縁談のお相手――御法川様とはほぼ初対面であったにも関わらず、わずか数日でここまで漕ぎつけたのです」
「大事な跡取りだろうに随分と性急な気もしますね」
「八神様のおっしゃる通りです。そこで勝手ではありますが軽く御法川様を調べさせていただきました」
間を開けて次の言葉に重みを含ませる。
「そこで分かったこと――御法川様は人に慕われる方のようです」
「……は⁉」
オレより先に東雲が大口を開けて驚愕の表情を浮かべている。
それからものすごい速さで両手を左右に振る。
「いやいやいや……ちょっと待って。今の流れなら普通相手の悪いところが出て来るんじゃないの?」
「オレも東雲に同意だな。でもこの先にも言葉はあるんでしょう、鷹条さん」
鷹条は面白そうに東雲の反応を見つつ、本懐を告げる。
「『慕われる』というのは人柄がよく実績も出せていれば当然のことだとも言えましょう。ですがあまりにも出来過ぎているのですよ。名が大きくなるほど敵対する者や反感を持つ者は出て来るもの。まして彼はわりと最近になって急激にCOOまで上り詰めたのですから、悪い噂をただの一つも聞かないのは不自然です。当初はお嬢様の御父上でさえ快く思わない人間が多くいて、それらを真正面から平定していったのが彼に他ならない。御法川様が御父上以上のやり手なのか、はたまた何かが隠されているのか。その辺りをよく知る必要があるでしょう」
東雲の手は強く握られている。
まるで自分を鼓舞するかのようだ。
……オレのやるべきことは決まったな。
鷹条は小型端末で一言二言通信すると、こちらに向き直った。
「御父上との会談の許可が下りました。いつでもどうぞ」
彼女は覚悟を決めたように凛々しく立ち上がるのだった。
――……
「――それで話とはなんだ?」
初対面のオレには一瞥もくれず、東雲に詰問した。
なるほど。
これが東雲の父親か。
鋭い眼差し、一糸の乱れもない服装。
威厳のある声音。
まるで東雲朱音という活発な少女とは異なる風体だ。
ともすると暗殺者すら恐れるほどの絶対的な冷たさ。
「あの、お父様。婚約の件でお話が――」
「そのことならすでに話はついたはずだが?」
「っ」
普段は伸び伸びと自我を出す彼女だが、今は消えそうなほどに小さく見える。
ここで自分から一歩を踏み出すことができるかが一つの関門だ。
だがその一歩をどうしても踏み出せないというのなら。
――オレがその背中を押してやる。
「そういえば朱音、剣道は楽しいか?」
「……え?」
困惑する東雲とは真逆に鷹条は静かに口元を緩める。
そして初めてオレの存在に気づいたように睨みを利かせて来る東雲父。
彼、そして彼女の視線を気にせず言葉を続ける。
「大会も危なげなく突破できたんだったな。あーでもオレには初めての手合わせのとき負けてるよな」
「なっ……なぁ……⁉ あんたねえ――!」
「悔しいだろう?」
オレの言葉は静かな室内によく通った。
困惑、羞恥、憤怒、
彼女には処理しきれないほどの感情が渦巻いているはずだ。
だがそこに委縮は存在しない。
全て真新しい感情に塗り替えられていく。
「東雲朱音。お前は負けず嫌いで意固地でどうしようもなく真っすぐだ。搦め手なんて考えない猪突猛進の馬鹿が付くほど真面目な人間だ。そんな彼女をあなたは見ているんですか?」
東雲父に向けた視線は自分でも知覚できるほどに冷たい。
だがその言葉には相手に伝わるだけの熱を込めている。
オレはオレの贖罪のためにどんな人間にでもなってみせる。
例えばそう、熱の籠ったような人間にでも。
「私が自分の娘のことをよく知らないとでも? そもそも何をどうしようと私の勝手だ。これ以上、第三者に語る言葉はない」
東雲父の合図を受けた鷹条は、オレに退出するように誘導しようとする。
「――待って!」
それまで黙り込んでいた東雲が一喝。
その声はこの部屋にいる全員の注目を引き付けた。
彼女はつかつかと社長机の前に立つ。
「わたしは――いえあたしはもう昔のあたしじゃありません! 今は魔法使いとして、一人の人間として自分の意思があります! もう与えられるだけのあたしじゃないのよ! だから――」
勢いよく机に手を突いた。
精一杯の気持ちが込められていることは明白だ。
「だからちゃんとあたしを見て!」
オレはいつでも反応できるように身体の重心を調整する。
もしもこの場で東雲に手を挙げるような人間であったなら止めねばならない。
だがその保険は杞憂だったようだ。
「鷹条、確か例の招待状が余っていたな」
「はい、奇遇なことにこちらに二枚」
鷹条は胸ポケットから二枚の招待状を取り出す。
それを東雲父の指示に従って、オレと東雲に一枚ずつ持たせる。
「そこまで言うならそれを使って彼と婚約者を見極めてこい。もしそれでも心変わりせず、婚約を阻むのであれば縁談は無かったことにしてもいい」
「分かりました。あたしとお父様の約束です」
そこには自分の父親に対して覚悟を示す娘の姿があった。
――……
オレは水瀬邸まで送迎車で送ってもらった。
鷹条はオレにも東雲と同様に給仕してくれるらしく、車の扉が開けられる。
「今夜のこと、感謝はしても言葉にはしないわよ?」
降りようとすると、そんな言葉が隣から聞こえてくる。
「その言葉自体が感謝してるのと同じだけどな」
「うるさいわね……。お父様にあたしがあんたに負けたってこと言いふらしたこと、許さないから。ていうかいちいち揚げ足を取らないと気が済まないのも困りものね」
覚悟を決めたつもりでもいざ本番になってみれば怖気づくこともある。
そんなときには先程のように崖から突き落とすつもりで発破をかけてやるべきなのだ。
……だというのに、なぜ彼女に呆れられなければならないのか。
あえて言葉の穴を用意してくるからそこを突いているだけだというのに。
「冗談はさておき、今週の土曜日の二十時半から夜会ね。まだ付き合ってもらうわよ?」
「ああ、予定はちゃんと空けておくさ」
「いいわ。今夜はお疲れ様」
オレが降りると、素っ気なくも思える態度を最後に扉が閉められる。
それから鷹条とほんの少しの会話を交わす。
「あれでお嬢様は八神様にとても感謝しているんですよ」
「分かっていますよ。素直じゃないですが」
「それならよかった。これからもお嬢様をよろしくお願いしますね」
その言葉の真意を訪ねる暇はなく、車は去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます