♰Chapter 11:『調律』
「第二十一区――通称研究区は八神くんも知っての通り、研究関連の施設が特に多い場所ね。ん、美味しい」
オレと水瀬は〔調律〕のために第二十一区に足を運んだ。
いやそのつもりだったというべきか。
彼女はアイスクリームの販売車を見つけるとそそくさと買いに行ってしまったのだ。
今は隣でチョコレートミントをちびちびと舐めている。
時折冷たそうに額を抑える姿を横目にオレもラムレーズンのアイスに口を付ける。
「水瀬は本当に猫みたいだな」
「ねこ? なぜ私が猫なの?」
「黒髪碧眼は王道の黒猫じゃないか? その仕草も猫っぽいしな」
恐る恐る舌を出しては冷たそうに引っ込める様子は、さながら猫が大好きなおもちゃを前にお預けを喰っているがどうしても遊びたくて手を前後して葛藤する様子に近い。
「貴方には私が何に映っているの……? 褒めていると受け取ってもいいのかしら?」
「ただの感想だ。気にするな。それよりも、だ。『調律』まではまだ時間があるだろう。どうする?」
広場の時計は十分すぎるほどに余裕のある時間を指している。
時間は向こう側が指定してきたそうなので、早く着きすぎても良くないだろう。
水瀬はアイスを食べ終えると紙をゴミ箱に捨て、先を行く。
「この辺だとアウトレットパークが近くにあったはず。ねえ、八神くん。貴方は服が欲しくない?」
「今のままで十分だからな。特に必要ない」
水瀬はオレの服装を見て指摘してきたのだろう。
黒のパーカーに黒のジーンズと全体的に暗い。
夜にでも見れば闇に溶け込んでしまうことだろう。
逆に水瀬の服装は淡い水色のワンピースだ。
涼やかな雰囲気は五月末にかかる今の時期によく似合っている。
「なるほど。オレとお前じゃ違和感のある組み合わせかもな」
「貴方も日常の服装にもう少しこだわってもいいんじゃない?」
「意外と世話焼きだな。それならオレが服を買う代わりに少し雑談に付き合ってくれないか?」
水瀬はきょとんとした表情を浮かべる。
「別にいいけど……そんな条件を付けなくても雑談くらいいつでも付き合うわよ?」
「まあ少しお前に踏み込んだことを聞くかもしれないということだ」
「ああ、そういうこと。話せないこともあるかもしれないけどそれでもいい?」
「大丈夫だ」
――……
「もうすっかり夏物が主流ね。これとか貴方に似合いそうじゃない?」
そう言って手渡されたのはレギュラーシャツとクルーネックサマーニット、そしてデニムのパンツだ。
シンプルでありながら清潔感のあるコーディネートだ。
「ならそれを買うか」
「えぇ……八神くんは服装を選ぶときに試着とかしないタイプなの?」
水瀬は若干驚いたように目を丸くしている。
『サイズが合っていて動きやすければどんな服装でもいい』を信念とするオレにとっては馴染みのない概念だ。
「いつも適当なデザインの服を見繕って終わりだからな」
「もったいないわ。今日は折角だし試着してみれば?」
「……分かった」
水瀬がわざわざ選んでくれたのも事実。
適当に終わらせるのも悪いだろう。
オレはいそいそと試着室に入るのだった。
――……
「結局お前が選んだ服を二セットも買ったな」
「どっちも八神くんによく似合っていたわよ?」
「お世辞でもありがたく受け取っておく」
水瀬は「お世辞じゃないのに」とぼやいていたが聞き流す。
オレと水瀬は服以外にも小物や本など色々な店を見て回った。
そして最後には店の外、海の見える場所までやってきた。
「それで? 結局貴方が聞きたかったことって何だったの?」
「覚えていたのか」
「やっぱりからかってる?」
ジト目を向けてくるがそういう意図はない。
「いや水瀬が思いのほか楽しんでたみたいだったからな」
「まあ、楽しんでたのは否定できないけど……。でも貴方との契約も忘れていないわよ」
「なら……聞かせてもらえるか。水瀬の固有魔法――その『暴走』と『調律』について」
「……もしかして盟主から何か聞いた?」
特別何かを聞いたわけではないが、情報を引き出すには間も駆け引きの道具だ。
オレの無言を肯定と受け取った彼女は、遠くの水平線を見つめる。
「そうね。私は以前に貴方に打ち明けたように魔法使いのなかでも特に扱いづらい魔法を抱えている。強力だけど代償も大きくて」
「代償?」
「そう。固有魔法は個人の価値観や願望の表れ。それには魔力のほかに何らかの対価が求められることもある。例えば――自らの命、とかね。私の魔法は命じゃなかったけれどそれでも副作用は大きい」
できれば水瀬の固有魔法の対価を聞きたかったが、そこまで言葉にするつもりはないらしい。
『代償』『副作用』といった言葉で濁される。
「それもそうだな。只より高い物はない、って言葉もあるくらいだ。何も捧げずに固有魔法なんて大層なものを使えるはずもない、か」
「言い得て妙ね――そんな魔法を持っているとね、どこかが壊れてしまうものなのよ」
壊れる、という過激な表現にオレは彼女を見る。
「壊れる、か。大袈裟な言葉ってわけでもないんだろう」
「俗に〔魔女〕という言葉が分かりやすいかもね。貴方はこの言葉にどんなイメージがある?」
魔女といえば三角帽子に杖といったイメージだろうか。
ローブを羽織っている様子も印象深い。
あるいはぐつぐつと煮え滾る緑色の液体が満ちた鍋をかき混ぜているところか。
「ハロウィンの仮装で見かけたりするな。童話のオズの魔法使いにも出てきたはずだ」
「……ん、前者はともかく後者は意外なところをついて来るのね」
くすりと笑われてしまう。
「どれも正しい魔女像ではあるから否定はしないわ。でも魔法使いが『暴走』を重ねて変質した〔魔女〕という存在はそれほど甘くない。人格を喪失し、己の命までも燃やし尽くして災厄を振りまく存在。人死には百や千でも利かない規模になるかもしれない」
「水瀬にそこまで言わせるなんてな……。だが実在した、あるいはするのか?」
「私も過去にいたという記録を見ただけで今も存在しているかは分からない。大抵は『暴走』から〔魔女〕に変質するまでに死んでしまうから。でも決して空想じゃないことだけは確かよ」
――魔女。
また現実味のない言葉が出てきたものだ。
だが魔法は使い方さえ間違えなければ強力な手札であることに変わりはない。
オレの罪滅ぼしの旅路はまだ始まったばかりなのだ。
「今日〔盟主〕が私たちに〔調律〕を勧めたのはきっと固有魔法を使ったから……いいえ、たぶん私が本命ね。ここまで来ると私は私が人間なのか、あるいはもっと別の何かなのか……時々分からなくなる」
潮騒に揺られ、磯の香りが二人の間を抜けていく。
魔法使いになりたてのオレは返す言葉を持ち合わせていない。
彼女もまだ知り合って一、二か月のオレに全てを打ち明けるつもりはない。
そもそも魔法使いとはいかなる存在なのか。
言葉上の定義はあくまでそれだけのもの。
『人間とは何か?』と尋ねられてこうだと答えられる人がいないように、魔法使いにも一言でこうだと言えるものはない。
同時に魔法使いの彼女の懊悩を完全に理解してやることはできない。
――だから。
だから、隠し事の雰囲気を感じ取ってはいても今はそれを聞き出す時期ではない。
「あと〔調律〕についてだったわよね」
彼女は自然体でオレの疑問に向き合う。
「イメージとしては普通の健康診断と似たようなものよ。魔法使いとしての人と人間としての人との天秤が傾いていないかチェックするようなものだからそれほど苦じゃないはず」
それからわずかに気まずそうに。
「……やっぱり人によっては少し苦手かも」
と付け加えた。
その物言いも気になったがそれ以上に関心を引くものがあった。
『魔法使いとしての人』と『人間としての人』。
哲学的に聞こえるが、今までの話を総合すればこの表現にも納得がいく。
要するに真っ当に生き終えるための身体と心のメンテナンスが『調整』なのだ。
「何はともあれ、よ。今日は私の我儘に付き合わせてごめんなさい。人との関わりが上手くないからあまり楽しくなかったでしょう?」
「そうだな――」
ふと振り返れば退屈はしなかった。
それならば答えは『楽しくなかった』ではないに決まっている。
だがそれが『楽しかった』かまでは分からず。
結果捻くれていると捉えられても仕方のない答えとなってしまう。
「楽しかったかはよく分からないが、飽きはしなかった。オレが聞きたかったことを抜きにしても、な」
そんなオレに水瀬はくすりと微笑む。
「ふふ、八神くんらしい言い回しね」
それから彼女はポケットから取り出した髪ゴムで長い髪を一本に束ねる。
「さて――そろそろ行きましょうか」
きらりと反射した海面を背景に、後れ毛が流れる様子はとても綺麗だと思った。
――……
検査自体はそこまで大掛かりなものではなかった。
身体の各器官の基本的な機能検査や採血、精神面の問診、身体能力や身長・体重のようなパーソナルデータまで。
唯一通常の健康診断と異なる内容といえば、〔調整師〕と呼ばれる魔法使い専門のドクターがいて、彼女にマッサージされることくらいか。
「君、八神くんって言ったっけ。確か魔法使いになったばっかりなんだよね」
「そうです」
砕けた口調に不思議と嫌悪感はない。
どちらかと言えばさっぱりとした雰囲気を感じる。
上半身から下半身まで丁寧に解されていく。
整体師なるもののマッサージを受けたことはないが、きっと上等な部類に入るだろう。
……ただ、妙に身体を触る手が熱っぽいのと視線が真剣すぎるのが気になる。
まるで獲物に対峙した狩人の態度だ。
「そのわりに魔力回路の構築も魔力循環の流れも不思議なくらいに上手くいってる。魔法使いになったばっかりの子っていうのはね、普通は魔力回路が細くて小さいせいで魔力の流れに耐え切れずにズタズタになっちゃうものなのよ。それが大きな魔法戦の後なんかは特に」
それは何度も実際に見てきた者の実感だ。
「そうなんですか? オレの魔力回路がある意味で異常……ということでしょうか?」
ふっと面白そうに笑う。
「ある意味では……そうなのかもね。君自身の才能もあるだろうけど君は余程腕のいい魔法使いに同じ存在にしてもらったんだ」
そう言ってオレの背中に手を当てる。
それだけで全身の魔力回路が解放されていくのを感じる。
例えるなら真冬に湯船に浸かったときの血管が拡張される感覚に近い。
身体の中央――心臓から手足指先の末端に至るまで、血脈の悦びがそこにある。
「その腕のいい魔法使いはオレと一緒に来た水瀬ですよ」
「あらそうなの。彼女なら納得ね。うん、そっか……また組めるようになったんだね」
調律師は思わずといった様子で言葉を漏らす。
今の言葉は流石に突っ込まずにはいられない。
「また組める、とは?」
それに対するオレの言葉に彼女は慌てたように首を振る。
「ううん何でもない! でも水瀬さんが誰かを傍に置くなんて珍しい。きっといい出会いがあったのね」
そう言ってオレに意味深に微笑んだ。
「さて、八神くんの調律は終わり。全体的に不調らしい不調もなし。なかなかいい身体してたわよ、高校生!」
「必要以上に接触してきたらセクハラで訴えますよ」
「はいはい、肝に銘じておくよ」
オレは調律師に見送られると水瀬を待つべく、ロビーに向かって歩き出す。
だが待ち合わせ場所に到着するよりも前に彼女が通りかかった。
「八神くん、初めての調律お疲れ様。どうだった?」
「色々触られたが問題なしだった」
「あの人は言葉にはしないけれど人の身体に興味津々だからね」
軽く呆れたように苦笑してみせる。
あれは新人へのいじりではなく、いつものことだったらしい。
水瀬が『人によっては苦手』と言っていたのもこの触診のことなのかもしれない。
「水瀬の方はどうだ?」
「私の方は少し時間がかかりそう。だから先に帰ってもらえる?」
「ああ、そういうことなら。大丈夫そうか?」
水瀬から過去の魔力暴走のことを聞いていたからこその心配だった。
それに対し彼女はまったくもって普段通りの態度で返す。
「ええ、何も問題はないわ。少し魔力の澱が溜まっているだけだから。一応盟主に言伝してもらえるかしら?」
「ああ、任せてくれ」
「じゃあよろしくね」
オレは立ち去る水瀬の後ろ姿を見送るとEAを起動して状況を報告するのだった。
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