✞第2章
♰Chapter 9:『猫の手部』の仮設立
瞬く間に五月も半ばを過ぎた。
この時期になるともはや春の面影は去り、夏の初めを待つばかり。
今は季節の間期にあたる梅雨に突入しつつある。
「今日は珍しくいい天気ですね」
「ねー! 毎日が晴れならいいのにな。お昼外で食べよ?」
「ふふ、いいですね」
廊下ですれ違う生徒たちが言うように今日は快晴だ。
オレは購買で手に入れた卵サンドを手に持ち、東棟の二階を目指している。
「落ち着かないな。これも全て水瀬がやってくれたおかげだな」
「どういたしまして。今更何を言っても遅いし……それに男に二言はないって言わない? ほら、早く用事を済ませないと学食の席が埋まるわよ?」
オレの皮肉も水瀬には軽くあしらわれてしまう。
どうにも漫然とした気分のまま水瀬についていく。
目的地に着くとすでに呼び出した張本人がいた。
「君たちが水瀬さんと八神くんね。私は副校長の
明るめの茶髪にサイドに編み込みを入れ、眼鏡を掛けた人物だ。
確か入学資料にも顔写真に添えて祝辞が連ねてあったはずだ。
「まずはおめでとう。先日の中間試験で水瀬さんは学年二位、八神くんは学年九位で学校側が出した基準を見事に超えてみせた。かなり難しい条件だったとは思うけどどうだった?」
「私と八神くんならできると信じていましたから」
「水瀬はともかくオレは一応のラインクリアですけどね」
「一応?」
「絶対できると信じていた」
水瀬はくすりと小さく笑っている。
実は彼女が居眠りしていた勉強会――あれからも懲りずに何度か一緒に勉強した。
その時点でオレの学力に関しては心配いらないと確信を持たれてしまったようだ。
図らずもオレは彼女の、彼女はオレの学力という一基礎能力を知りたがっていたことになる。
「ふふ、仲がいいのね。これならきっと次の課題も余裕かな」
そう言って皇副校長に手渡されたのは三枚の紙だ。
「凪ヶ丘高等学校で部活動が維持される条件の一つが『部員数が三人以上』であることなのよね。正式な部活動名と活動方針はすでに水瀬さんから貰っているから、あとは今月中にあなたたち以外に一人以上の部員を見つけることが肝心ね。その辺は大丈夫そう?」
「問題ないと思います。この後に目途が立つ予定ですから」
不思議な言い回しにオレは小さな疑問を浮かべるが、皇副校長が流したことでそのままに終わる。
「流石ね。ああ、あと部室だけど北棟四階の角部屋よ。今は使われていないからお世辞にも綺麗とは言えないけれど自由に使ってね」
最後に質問がないと判断すると悪戯に微笑んで付け加える。
「そういえば……北棟四階のあの教室にはお化けが出るって噂があるけれどもし何かあればわたしか担任の先生に言ってね」
そう言い残して立ち去っていく皇の背中を見送ったあと、オレは水瀬に声を掛ける。
「部室に行ってみるか?」
「え、ええ。でも今日はお昼もまだだしもう一つやることもあるからまた近いうちにね。言ったでしょう? 当てがあるって」
一瞬反応が鈍かった水瀬だったがすぐに再起動すると次なる目的地に向かった。
――……
学食で空席があればと思ったのだが、あいにくと満席だった。
恋人や部活仲間や友達といった関係性の様々なコミュニティが形成されている。
その様子を観察していると目が合った生徒が手を振る。
「おーい! 八神くーん! 水瀬さーん! こっちこっち!」
テラス席の最も日当たりがいい場所にいるのは笹原と錦だ。
「どうした?」
「いや『どうした?』じゃねえだろ。俺と笹原は水瀬さんに呼び出されたんだぜ? 八神まで一緒だとは聞いてなかったけどな」
二人の好奇の視線が刺さるが、水瀬に倣い席に着く。
「私と八神くんは新しい部活を創ることになったからさほど意外でもないでしょう?」
「そういやそうだ。ん……ということはだ。今日の待ち合わせっていうのはそれ関係か?」
「そうなの。実は人望のある二人に部員集めを手伝ってもらえたらと思ってるんだけど」
水瀬のいう『部員集めの目途』というのはこの二人の力を借りることだったようだ。
彼女と錦が会話している間にオレはサンドイッチを食べ進める。
今までも何度か軽食を利用したことはあるが、一際美味しいのがサンドイッチだ。
特にお気に入りは卵サンド。
濃厚かつ甘味が強いこだわりの卵と謳い文句があるだけあって、美味しい。
卵の輝くような黄身と凪ヶ丘高校の名にちなんで『夕凪サンド』として売られている。
「じーっ」
「……見られるのは好きじゃないんだが」
人が多い場所で『食べる』という行為は普段ならしないが、水瀬肝いりの部活動に付き合うためには仕方ない。
「だってさ、普通育ち盛りの高校生男子が卵サンド一つだけってありうる?」
「目の前にありえてる」
おかしな日本語になってしまったことはさておき、オレは昼食を食べ終える。
すると途中からそれを見ていた錦もオレに絡んでくる。
「なんか八神って思ってた印象と違うよなあ……。もっと自分の意見が言えずに友達作りとかにも苦労してると思ってたんだが……取り越し苦労だったみたいだな」
「あ、それはわたしも思ってた。だからわたしと錦くんが友達に立候補しよ!ってこっそり話してたり……」
余計なお世話だったかな、と舌を出してバツが悪そうな顔をする。
コミュニティにおいて孤独は悪だ。
人は共同体の中で生きて行かざるを得ない以上、決してその輪からは逃れられない。
オレで言えば凪ヶ丘高等学校という共同体に属しているし、さらに細分化するならクラスという共同体に属している。
必然様々な人間がいるわけで。
錦や笹原はそういったコミュニティに帰属していながら独りでいるオレを気に掛けていたようだ。
学級委員の二人をやきもきさせていたのかと思うと申し訳なさがある反面、いらぬお節介だと思わなくもない。
悪のレッテルなどオレは気にしない。
ふとオレはそれならと疑問を提示する。
「その理論なら水瀬はどうなんだ?」
「私……?」
いきなり話題の矛先が向いた水瀬がツナサンドを手に持ったまま固まっている。
水瀬も基本は一人で行動している。
オレと同じく『固定の友達』なんてものとは無縁のはずだ。
彼女が赦されるのならオレも赦されてしかるべき。
そんな甘い考えはことごとく粉砕されることになる。
「あ~それな……水瀬さんはいいんだ。そろそろ新入生の俺らにとっては初めての学校行事――体育祭があるだろ? そこでほら全員参加の二人三脚のペア分けのとき誘われてただろ? で、お前はどうよ……?」
オレのところには誘いの声が来なかった。
つまりは友達になろうとしてくれるクラスメイトがいなかったということ。
「……オレの方がピンチ」
「そういうわけだぜ。なんて言えばいいんだろうな。なんとなく近づきづらいというか……。だからこそ俺がお前と組んだわけだけどな!」
つまり錦と笹原がいなければ、オレは早くも高校生活を詰んでいたということか。
暗殺者としてのオレは『普通』という定義からも最も外れている。
人より血風渦巻く修羅場を潜り抜けてきたという自負がある。
そのせいで『なんとなく他と違う』という印象を他者に与えているのかもしれない。
――『普通』の高校生というものを体験してみたかったんだがな。
どうやらすでに望む路線からは外れつつあるらしい。
「――でも八神くんは独りじゃないわよ。私が貴方の友達だもの」
水瀬の静かだがよく通る声が抜けていく。
「男女別……なんて制約がなければ私は貴方と組んでいたわ」
彼女は素直にそう思ってくれているらしい。
魔法使いの戦友であり、学生の友達。
秘密の共有者は共犯者にも似た連帯感を生むのだろうか。
彼女に対する感謝はある。
だがその言葉は高校生になったばかりの彼らにとってはある一つの結論を、安直かつ面白おかしく導いてしまうことに気付いていない。
あまりにも自然体で言ってのけるのでオレ以外の二人が固まっている。
それからあまりにも予想通りな反応をするのだった。
「……お前らできてんのか?」
「わあ!」
「ただの友達だ」
このままだとオレに不利な流れになりそうなのでまとめて本筋に戻すとしよう。
突っ込まれたくない
自然でも不自然でも強引な話題変換で切り上げるべきだ。
「とにかくだ。オレは友達がいればそれに越したことはないし、いなければそれもそれでいいと思ってる」
「へえ、クールだね~! ちょろちょろミステリアス男子って話題になるのもなっとくなっとく!」
人の噂も七十五日。
少し経てば関わりのない他者への関心など薄れるものだ。
ゆっくりと普通程度に過ごせるだけの知り合いがいればそれでいい。
食後の珈琲に口を付ける。
「よし、二人の頼み事は分かったぜ。そういや聞き忘れてたな。新部って何やる部活なんだ?」
「『猫の手部』で申請が通っているわ。主に悩み事や探し事、噂の検証などなど……色々なことを解決していくボランティアみたいな感じね」
「くくっなるほどな。地味だが一部の生徒には人気が出そうな活動内容だ。名前も印象的だしな」
面白そうに笑っているが、このネーミングをオレは水瀬の渾身の力作と見ている。
当人が大真面目に考え出している姿を想像すると少し面白いのかもしれない。
「でも俺は部活に入ってるし笹原も同じだからなあ……。俺たちが入ることはできないが今入ってない奴らには声を掛けておくぜ」
「ありがとう。私と八神くんだとやっぱりフランクに話すのは難しいから助かるわ」
「わたしも誘ってみるね。あ、でもわたしたちのことを当てにし過ぎない方がいいかも。この時期まで帰宅部ってことはなにかしらの理由があるはずだし」
笹原の言葉にオレも同意して頷く。
部活動の新入生勧誘期間はとうに終了している。
確かに現状無所属な学生にはそれなりの理由があるのだろう。
「新部を創るのはそれだけ大変だということか」
「そうね。諸々の審査があっても最短だったのが救いかしら」
「ああ⁉」
急な大声に全員の視線が錦に集中する。
彼は思い出したように前のめりになる。
「そういやもう部としての活動は認められているんだよな⁉」
あまりの剣幕に気圧されたように仰け反る水瀬。
「え、ええ。人数が足りないだけでいつでも」
「なら水瀬と八神の二人で実際に悩み事とか解決して評判を上げればいい! 俺と笹原の周りには相談に乗ってほしいってやつもいそうだしな。そんでもって活動に興味を持ったやつが入ってくれば解決だよな」
「錦くんにしてはいい案かも!」
「だろ?」
大声に対するささやかな笹原からの意趣返しだろうか。
彼女の小さな貶しも錦には純粋な褒め言葉に聞こえているらしい。
眼前の二人のやり取りは、オレと水瀬の過去の焼き増しを見ているようだ。
違うのはオレの皮肉を分かっていて流した水瀬と、笹原の意趣返しを理解していない錦という構図だけ。
「……ええ、ありね」
水瀬はといえば、錦の案に前向きなようだ。
「各棟の昇降口には掲示板もあるだろう? いくつか部活紹介の宣伝ポスターも出しておけば人目に付くんじゃないか?」
このままだとオレが参加した意味がなくなってしまうので、ささやかに補足する。
直後に昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
「あちゃ~もう昼休みも終わりだね! また何かあったら声かけてね!」
「ええ、二人ともありがとう」
「いいっていいって。俺も水瀬さんと八神にならいつでも手を貸すぜ!」
錦と笹原はトレイを戻すと教室に戻っていく。
「そういえば八神くん、自分から提案してくれたわよね? 意外と楽しんでたりする?」
水瀬にはオレが楽しんでいるように映っているらしい。
「オレも部員の一人になっている以上、少しは役に立たないとな」
「ふふ、ありがとう」
彼女の半歩後ろを歩きつつ、ふと思う。
伊波を自らの手で討った水瀬。
それが時間を共有した仲間だと思っていた彼ならなおのこと、彼女には決して忘れることのできないタトゥーとなっただろう。
最近は微笑みや明るい側面が増えたようにも思える。
オレと打ち解けたからかと問われればそこまでのことは何もしてない。
ならばそれは昏い自分の気持ちを包み隠そうとするあまりの行動ではないだろうか。
図書館で眠ってしまったのも単なる勉強疲れなどではなく、空元気を演じるのに疲れていたからではないのか。
仮にそうだとして。
それを少しでも解消できるのなら手伝いくらいのことはしてもいい。
魔法のことに疎いオレには水瀬が必要なのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます