第二章 ポルターガイスト

第一話 追い詰められた女性

 越智おち夏美なつみは自室のマンションの部屋で毛布を頭から被っていた。ガタガタと奥歯を鳴らしているのは寒さからくるものだけではない。恋人に綺麗だと褒められた栗色の髪は乱れ、形の良い唇は荒れて皮が捲れていた。

 ゴト、と音を立てて何かが落ちる音がする。

 その音に肩を大きく振るわせた夏美は、恐る恐る振り返る。座り込んだ足元近くの床に包丁が刺さっていたのだ。

「ひぃっ!」

 とうとう耐えきれなくなった彼女は、毛布をかなぐり捨てて立ち上がる。そのまま玄関に向かうと、裸足のまま運動靴を足に引っ掛けて外へ出た。手には紙を結びつけた枝があり、彼女はそれ以外の持ち物は持たずに走り出す。

「誰でもいいから、助けて……!」

 マンション近くの河川敷まで来た夏美は、手すりに支えられるようにして依頼書を投げた。勢い良く投げられたそれは美しい軌道を描き、ポチャッと音を立てて深い川底へと消えていった。

「ご依頼、承りました」

 どこからか聞こえた声に、こわばっていた夏美の体から力が抜ける。そのまま手すりを握ったままへたり込むと、安心したように息を吐いた。


 あと、数分で夜が明ける。



 越智おち夏美なつみは田舎から上京して3年が経ち、慣れない事務仕事に精を出す平凡な女性だった。平凡な容姿は化粧で底上げし、髪を整えて、流行を追って服を見繕うだけの日々。

 それを恨んだことはなかった。順風満帆だとさえ思っていた。

 憧れの東京、憧れの一人暮らし。望むものが手に入り、優しい恋人までできた夏美は今こそが幸せの絶頂だと信じて疑わなかった。

「あれ、ちゃんと落ちないようにしてたのに……」

 最初は速報にも出ないような揺れの弱い地震だと思っていた。300円均一の店で買った淡い色の花瓶が落ちていたのだ。この時に気付いていたらと何度も夏美は振り返っていたが、きっと変わることはなかっただろうと何度も意味のない思考を繰り返していた。

 やがて物が落ちていることが多くなった。最初は机の上に置いたままの本、小物だったのに、電化製品がいつの間にか落ちていたことが多くなる。

「空き巣が入ったの……?」

 警察に相談し、見回りを強化してもらったものの結果は変わらず。やがて夏美が家にいある間にも異変が起きるようになる。

 家の中にあるものが落ちるだけでなく、誰かが投げたように夏美に襲いかかることが起きた。金属や陶器がぶつけられることが増えたために、全身がアザだらけになるのも時間の問題だった。

 やがて夏美は、この怪現象を誰にも言えないまま、アザだらけの体を隠して活動することが多くなった。親しい人に心配をかけまいと、怪しまれて気味悪がられまいと、徒労に終わろうと隠す努力を続けるようになった。

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