第4話
恋人割といってもその境界線は曖昧だ。
お客さんに人前でのキスを強要できるわけが無いので、程度がわかりやすく、恋人繋ぎをしてもらうのが関の山だ。
それでも実際、本当の恋人同士は案外少ないだろう。
お客を観察しているとその辺が分かる。
店員の目がなくなるなり、すぐに手を離し、席に着く。
多分、五割ほどはそんなものだ。
しかしそれで良い。
この割引はあくまでイベントとして用意しただけなので、それを楽しんでもらえれば何より……というのが佐伯さんの表事情である。
裏事情は『恋人を演じてまでクリスマス満喫したいとかウケる、ぷぷー』というのが、この恋人割の本筋だ。
まあ、今のは流石に誇張表現だが、大筋が間違っていないので良しとしよう。
「これ、右端のテーブルにお願い」
「はい、分かりました」
見事な二人の連携プレーを尻目に、俺は俺でお会計作業を淡々とこなしていく。
もうそろそろ閉店間際なので、人も
残る客がほぼ常連だけになると、佐伯さんはコーヒーを出してくれる。
「ほら、ぶっ通しで疲れただろ。今日もお疲れさん」
「あっ、ありがとうございます」
俺と七海さんはコーヒーを口に含みホッと一息つく。
今日も今日とて大盛況。
去年の反響が良かったのもあるかもしれないが、今年はチラシやインターネット上でも宣伝しておいたのが功を奏したのかもしれない。
けれどこれがあと二週間近く続くのかと思うと、若干の憂鬱感もある。
「とりあえず一週間お疲れ。けどあと二週間はこの調子で頑張ってもらうからな」
「なんかすごいブラック臭がする発言ですよ、それ」
「そんなことはない。ちゃんと休憩もあげてるし、高校生が働ける時間までしか働かせてない。むしろ真っ白、スノーホワイトだ」
「や、それ意味わからないんですが」
佐伯さんは疲れ知らずなのだろうか。
元ヤンの体力、恐るべし。
男の俺でもそれなりに疲弊をしているのだから、七海さんもかなり疲れているんじゃなかろうかと声をかけようとしたが、未だちびちびとコーヒーに口を付けていた。
「七海さん、大丈夫?」
「……えっ、何が⁉︎」
少し遅れて反応した七海さんは露骨に俺から視線を外す。
……まただ。
ここ最近、喫茶店の飾り付けをした翌日辺りから七海さんとあまり目が合わなくなってきている。
最初は偶然かと思ったのだが、この前ふと目が合った瞬間にさっと逸らされたことをきっかけに疑念が確信に変わった。
ただそうされるに至った事に思い当たる節がない。
や、俺が気づいてないだけで、彼女を不快にさせる発言をしてしまった可能性は
けれど──、
「えっとそれで……、何かな?」
「あっいや……、疲れてないかなって」
「あっ、うん大丈夫! まだまだ元気、なんならこれから夜勤だって出来ちゃうよ!」
「それをされたらウチは本格的にブラックになるからやめてもらおう」
こうして普通に会話をしてくれてるところをみるに、何かの不手際で嫌われたとかでは無い気がする。
まあ七海さんなら例え苦手な相手でも上手くやりそうではあるけども。
もし、仮に俺を苦手な相手って認識されてるならそれは……非常に辛い。
彼女と関わりを持ってまだ一ヶ月少しと日は浅いが、それでも少しは仲良くなれたと思っている。
だからこそ七海さんに嫌われるのは嫌だ。
けど理由が分からないのに謝るのもなんか違うし……。
腕を組み首を捻っていると、横から声が飛んでくる。
「どうした悠太。何か悩み事か?」
「……まあ。恋愛って難しいな、と」
「お?」
「えっ⁉︎」
俺の発言に二人が反応し、さらに常連まで聞き耳を立ててくる始末。
先の自分の言葉を振り返り、あらぬ誤解を招きそうになる前に俺は慌てて首を振った。
「違う違う。俺じゃなくてラノベ、ラノベの話!」
「なーんだ」とか「つまんないわね〜」とか、言いつつ常連さんたちは会計を済ませていく。
残りのお客さんのレジを佐伯さんが引き受けてくれていたので、俺たちは店内の清掃を簡易的に行っていた。
すると、モップを掛けながら七海さんが近くに寄ってくる。
「ねぇ、浅葱くん」
「ん?」
俺が反応を返すと、七海さんはモジモジして言い淀んでいた。
いつもの七海さんらしくない。
やはり俺に何か言いたいことでもあるのだろうか。
しばらく待っていると、七海さんは意を決したように口を開く。
「その……、本当に浅葱くんの話じゃないの?」
「えっと、なにが?」
「ほ、ほら、さっきの恋愛が難しいって話」
「……ああ」
なんでそんなことを気にするのか分からないが、はっきりと否定しておく。
すると七海さんは安心したかのようにほっと息を吐き出す。
「? 七海さん、やっぱり疲れてる?」
「えっ、全然そんなことないよ?」
言うと、さっきよりもなんだか楽しそうに掃除を再開した。
鼻歌まで口ずさんで。
「……まあいいか」
色々謎は残ったが、何はともあれ七海さんの機嫌が良いのならそれは俺にとっても嬉しいことなので、今はそれで良しとしよう。
× × ×
次の週も相変わらずの混み具合。
客商売としては非常に有り難く、嬉しいことこの上ない。
今はイベント期間中で人がそれなりに出入りするおかげか、一人で訪れる一見さんも多少はある。
しかし、その全てが普通に喫茶店を満喫してくれる客とは限らない。
「ねぇ、連絡先交換してよ」
「すみません、今仕事中なので」
茶髪のチャラい風の男を七海さんはあしらう。
けれどそんなのお構いなしに茶髪男は七海さんにアタックしていた。
喫茶『ゆかり』のお客様対応マニュアルにこんなのがある。
『迷惑客はマスターが排除する』
つまりはなるべく関わらず、佐伯さんが全て対応してくれるとのこと。
まあ元ヤンの佐伯さんならどんな因縁つけられても客の方がビビって逃げ帰るからな。
実際その現場を何度か見たことがある。
しかしその佐伯さんはタイミング悪く少しだけ店を空けていてここにはいない。
「じゃあ仕事終わったら少しだけ話そうよ」
「すみません、それは出来ません」
今日も一日乗り切り、ほぼ常連だけになったところでこの状況だ。
しかし、今一番困っているのは間違いなく七海さんだ。
そしてこの状況で彼に対し強く出れる人間は俺しかいない。
「え〜、少しくらい良いじゃん」
「ほんと、ごめんなさい」
七海さんが必死に
けれど流石に全く相手にしてくれない七海さんに対しイラついてきたのか、チャラ男が七海さんの腕を掴もうとしていた。
それを見た瞬間、俺は無意識に七海さんとチャラ男の間に割って入り、チャラ男の腕を掴み上げる。
「あ? なんだお前」
「あっ、やっ……」
やめろ、七海さんが嫌がってる。
言いたい事は山ほどあるが、その全てが喉で詰まり言葉にならない。
けれど掴んだ手を離す事だけはダメな気がして、必死に振り解こうとするチャラ男の腕にかつてないほどの握力を込めた。
「つっ……!」
「お客、さま……。店内ではお静かに、してください」
足が震える。
息が浅くなり、口の中もパサパサで、目眩もする。
けれどここだけは引き下がらない。
俺の脳が全力で七海さんを守れと訴えてくるから。
しばらくそんな
と、真っ先に俺たちを視界に入れ、周りを確認してからゆっくりとこちらに近づき、俺とチャラ男の両腕を掴んだかと思うと──、
「ぐっ……⁉︎」
チャラ男の方だけが一回転して床に叩きつけられていた。
「ウチの店員が何か無礼でも?」
「あ、いや……」
先ほどまでの威勢は何処へやら、チャラ男はゆっくり起き上がり「すみませんでした!」と言って、そそくさと退店していった。
完全に気配が消えるまで見送ると、佐伯さんは少し俯き加減で歩み寄ってくる。
表情は前髪が邪魔して見えない。
怒られることを覚悟して目を瞑って待機していると、佐伯さんが近づくのを阻止するかのように七海さんが立ちはだかった。
「あの、今のは……、浅葱くんは何も悪くなくて」
その言葉が聞こえているのかいないのか、何も反応せずに七海さんの横を素通りして俺の前で立ち止まる。
そこから暫しの沈黙。
何秒くらいか……。
五秒、十秒、実際には一分以上その状態だったかもしれない。
流石にお客さんがいる前で殴られはしないだろうが、痛いのはなるべく避けたいなーとどうでも良いことを考え始めると、佐伯さんが右手を上げた。
そしてその手を俺の頭に強く押し付け、髪を乱雑に掻き回し始める。
「良くやったな、悠太!」
「はい?」
不意に場の緊張が和らいだせいで俺の方から素っ頓狂な声が漏れ出た。
「くくっ、あたしが怒るとでも思ったか?」
なんだそのからかいに成功した悪戯っ子の様な表情。
こっちは怒られるかもとビビり散らかしてたのに人の気も知らないで。
「怒る必要なんてどこにある? 悠太は大事な仲間を守ったんだ、誇れこそすれ、叱られる道理はないだろ?」
その言葉をきっかけに、「よくやった!」や「男だったぞ!」などと常連たちの囃し声も飛び交う。
こんな注目を集めたことなんて人生で一度もないので、どう対応すれば良いか分からず固まっていると袖をくいっと引かれた。
「浅葱くん」
「は、はいっ!」
緊張して思わず背筋を伸ばすと、七海さんの顔が耳元付近まで近づいてくる。
「……助けてくれてありがと」
その一言で俺のやったことは間違いじゃなかったんだと知れて、心底嬉しくなった。
× × ×
今日は早めの店じまいにして残った常連と酒を酌み交わすことにしたらしく、俺たちは早々に帰宅する様に言われたので、いつも通り七海さんを家まで送っていた。
しかし、少しいつもと違うのは七海さんが俺の服の裾を掴んで離さないことだ。
まああんなことの後だし、怖くなっても仕方ないだろうと思い、あえて指摘はしない。
しないけれども、これは正直……めちゃくちゃキュンとします。
俺は俺で自分が誰かを守るような行動をしてしまったことへの高揚感が未だに消えていなかった。
だからだろうか──、
「少しあそこで話さない?」
俺が指を差したのは砂場くらいしか無い小さな広場。
なんとなくまだ別れるのが名残惜しくて誘ってしまう。
最悪断られるかもと思っていた俺だったが、少し間を置いてからゆっくり七海さんは頷いてくれた。
「お茶で大丈夫?」
「うん、ありがと」
近くの自動販売機で温かい飲み物を買ってからひとつしかないベンチへと向かう。
俺は上着を脱ぎ、七海さんが座る位置にその上着を敷く。
「はい、七海さん」
「えっ、でもそんなことしたら浅葱くんが寒いんじゃ……」
「俺今めちゃくちゃ暑いんだよね。それにほら、代謝も良くて血液めちゃくちゃ循環してるから、大丈夫」
言うと一瞬呆けた七海さんはその後口元を抑えながら優しく微笑んだ。
「なんか、前もこんなやりとりしたよね?」
「? そうだっけ?」
記憶にない。
と言うことは多分テンパりながらそんな発言をしたことがあるんだろうと推測した。
しかしそんなどうでもいいやり取りを覚えてもらえてるだけでも嬉しい。
顔がニヤケそうになるのを必死に抑え込む。
「ふふっ、じゃあ遠慮なく失礼します」
「ど、どうぞ」
ベンチに座るとやはりというか、冷え切ったベンチの冷たさが一瞬で全身に伝わって思わず震える。
それを見た七海さんは少しだけこちらに肩を寄せてきた。
「こうすればちょっとは暖かくなる、かな?」
七海さんは何の気なしにやっているのかもしれないが、そういうのは男心を惑わせるからやめてほしい。
話をしようと言いつつ、大した内容を考えていたわけではない俺は、情けないことに口を開くことができずにいた。
と、それを見かねたのか七海さんが口を開く。
「今日は助けてくれてありがとうね」
「あぁ、いや……、まあ当たり前のこと、だし」
「うん……。でも嬉しかった」
その嬉しさがどういう類のものなのか訊ねたい。
七海さんがバイトを始めてからほぼ毎日家まで送ってるし、七海さんグループの勉強会にも参加させてもらった。
俺の自意識過剰じゃなければこの短期間で多少は親しく慣れてきてるとは、思う。
そもそもこの距離感を築いておいて嫌いとか言われたら凹むどころではなく、女性自体を信用出来なくなりそうだ。
一度心を落ち着けるためペットボトルの蓋を開き、お茶を一気に喉へ通す。
と、お茶が気管へ入り込み咽せてしまう。
「わわっ、大丈夫⁉︎」
七海さんは慌てた様子でポケットからハンカチを取り出し、俺の口へと当ててくれた。
「もう、ゆっくり飲まないとダメだよ?」
「ん、ごめんなさい」
素直に謝ると七海さんが楽しそうに笑んだ。
──可愛い。
今まで散々恋心に蓋をした、俺は七海さんと関わりを持てないからと諦めていたが、もう無理そうだった。
好きという気持ちを抑えきれなくなってきている。
「浅葱くん、どうかしたの?」
声をかけられ、はっとする。
いつのまにか七海さんを見つめたまま停止していたらしい。
七海さんはしきりに視線を彷徨わせ、困惑している様子だった。
「七海さん」
「は、はい」
この雰囲気で何かを察してしまっただろうか。
俺は静かに深呼吸をし、ゆっくりと口を開いた。
「二十四日、バイト終わったら少しだけ出掛けられない、かな?」
言った。
言ってしまった。
もう後戻りは出来ない。
返事を待っている間がとてつもなく長く感じる。
心臓の鼓動も早く落ち着かない。
どれくらいだっただろうか、顔を伏せていた七海さんが勢いよく顔をあげた。
「実はその日、みんなでクリスマスパーティしようって話してたの!」
「……えっ?」
「だからその……、まだ正確な予定は決まってないんだけど、決まったら浅葱くんにも声掛けようって思ってて」
申し訳なく謝る七海さんに俺は慌てて取り繕う。
「い、いや、そうだよね! 七海さん友達多いし、約束だってしてるよね!」
迂闊だった。
普通に考えれば分かることなのに失念していた。
最近仲良くなれて、今ここで少し良い雰囲気になれたと思ったことで舞い上がってしまったツケが回ってきたのかもしれない。
そう考えると途端に自分が情けなくなりすぐにでもこの場を立ち去りたくなる。
「じゃ、じゃあ、そろそろ帰るね」
「あっ、ま、待って……!」
七海さんが声をかけてくれたのに、俺はそれを無視して走り出すのだった。
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