第2話
さすが七海さんだ。
初日は確かに緊張が見て取れた。
しかし、三日経つ頃にはやるべき仕事をほぼ完璧に覚え、一週間経った今では俺よりもはるかに愛想がある接客で常連たちと楽しそうにしている。
「へぇ、そうなんですね」
何やらいつもの老夫婦と恋バナで盛り上がっていた。
まあ今はそのひと組しか客が居ないので、佐伯さんも仕事をしていないことを指摘したりはしない。
なんならその佐伯さんもスマホを弄っているので、俺としてはこれで良いのか疑問に思ってしまうくらいなのだが。
店内はそこまで広くなく、こぢんまりとしているので端から端でも割と声が届く。
だから、七海さんと老夫婦の会話が掃除しながらでも聞こえてくるのは必然だった。
「ひかりちゃんは学校で好きな子とかいないの?」
「私ですか?」
「ええ、ひかりちゃん可愛らしくて男の子たちに大人気なんじゃないかしら」
「そんなことありませんって」
なるべく聞き耳を立てないようにモップを動かす。
別に七海さんに好きな人がいようがいまいが、関係ない話。
「私、今は好きな人いないんですよね」
「あら、そうなの?」
「はい、告白はちょっと、……されたことはあるんですけど、誰かと付き合うっていうのがピンと来なくて」
気づけば同じ場所を幾度となくモップが往復していた。
こういう恋愛事情的な話をクラスメイトに聞かれるのはどうなのだろうと七海さんに視線を向けてみるも、こちらを気にした様子は無く、楽しそうに会話をこなしている。
けれど俺の方が会話を盗み聞くのが申し訳なくなり、外の落ち葉を掃除しに行くことにした。
× × ×
「お待たせ!」
「ん、じゃあ行こっか」
言って佐伯さんに挨拶をしてから二人で店を出る。
七海さんのバイト初日、互いの家が意外にご近所だということを知ってから、俺が七海さんを家まで送るように佐伯さんに命令……もといお願いされてしまったので継続している。
特に何も喋ることもなく並んで歩いていると、不意に七海さんが伸びをした。
「ん〜、今日もお互いにおつかれ!」
「うん、お疲れ」
「いつも帰り道送ってくれてありがとね」
「あ、いや、全然大丈夫。家も寄り道程度の近さだし、断ったら佐伯さんの雷が落ちてきそうだし」
「ふふっ、確かにそうかも」
慣れとは恐ろしいもので、一週間もすれば彼女と適度な雑談くらいは慣れてくる。
それでも突然話しかけられれば未だに言葉を詰まらせたりするのだが。
「忙しくなるのって十二月からだっけ?」
「うん、
「なるほど〜」
「いつも昼間は佐伯さん一人で喫茶店を回してるから、恋人割は俺たちが働いてる時間からになるかな」
「へ〜、じゃあ一緒に頑張ろうねっ!」
笑顔を向けられ、俺も下手な笑顔で返す。
と、七海さんは何かを思い出したようで両手を叩いた。
「あっ、でもその前に来週から期末テスト頑張らなくちゃ!」
「…………」
完全忘れてた。
テストやばい。前回の中間テストで現文以外の全てで赤点ギリギリになってしまい、親にも注意されたのだ。
それだけならまだマシだったのだが、母親よりも佐伯さんの方が厳しく、次似たような点数を並べたらバイトをしながら勉強をしろとまだ言われた。
あくまでバイトを休ませるつもりはないらしい。
俺が内心焦っていると、七海さんが顔を覗き込むようにしてくる。
「もしかして浅葱くん、テストやばい感じ?」
「や、大丈夫、だと思う」
「……………………」
「少し危ないかもです」
じっと見つめられ、つい観念してしまう。
いやこればかりはしょうがない。
好きな人に見つめられたら素直になってしまうのは当然の摂理。
故に俺は悪くない。
一人で勝手に納得していると、俺の歩きを封じるように前に出てくる。
「じゃあ、浅葱くんも私たちの勉強会に参加しよう?」
「……へ?」
気の抜けた声が出てしまった俺は悪くないと、これも正当化しておいた。
× × ×
喫茶『ゆかり』の定休日。
いつもは
部活動へ行く人、放課後を満喫する人たちが教室から出て行くと、ここ最近よく聞き馴染んできた声が耳に届く。
「ねぇ、今日の勉強会、もう一人参加してもらっても良い?」
「ん、別に良いんじゃない」
七海さんのグループの一人、金髪ギャルの人が軽く了承すると、七海さんは俺に目配せをしてくる。
視線が交わり、気づかれないようにそっと息を吐く。
正直すごく気が重い。
けれど好きな子が折角誘ってくれたのにそれを無碍にする度胸はないので、のそのそと重い腰を持ち上げた。
するとその椅子を引く音に七海さんグループの人たちが反応したので、俺は一瞬逃走したくなったが、迷惑をかけたくもないのでゆっくりと近寄っていく。
「えっと、どうも……」
とりあえず頭を下げて挨拶をひとつ。
うん、何事にも挨拶は大事。超大事。
姿勢を正すと七海さんグループの視線が一斉に突き刺さる。
……この状況は流石に辛い。
大体、この場でまともに話せるのは七海さんくらいしかいないんだ。
他は金髪ギャル、清楚系ギャル、文武両道イケメン、なんちゃって賑やかし野郎のなんとも個性豊かそうなメンツが揃っている。
俺が四人の視線に耐えられず首を右往左往に動かしていると派手目ギャルが口を開く。
「……ねぇ」
「は、はい」
「なんで突っ立ってんの?」
「えっ、いや……」
「今日は勉強する集まりでしょ? ならそこの机こっちに移動させて座りなよ」
「あっ、はい」
言うと金髪ギャルはすでにこちらの興味を無くしたのか、清楚ギャルとの談笑に移行していた。
俺は言われた通り机を持ってこようとするも、その前に七海さんが机同士をくっつけて、椅子を叩く。
「はい、浅葱くん。ごめんね、響子って悪い娘じゃないんだけど口下手なんだ」
「ちょっ、ひかり! アタシ別に口下手じゃないから!」
「……でも響子の口調、下手なりに伝えようとしててわたしは可愛いと思うよ?」
「や、結衣。それフォローになってないから」
こういうグループだと大体ポジションが決まってると思うのだが、まさかの金髪ギャルがイジられ役だったとは……。
「ってか、これで何気に男女三人ずつ揃ったし合コンみたいな感じじゃね?」
「は?」
「なにが?」
「後藤くん、それは少し違うかなぁ……」
「お、おう」
なんちゃって賑やかしやろうは、やはりなんちゃって賑やかし野郎で間違いは無いようだ。
ある程度七海さんグループの関係性が把握出来たところで、文武両道イケメンが手を叩いた。
「んじゃ、始めるか。分からないことがあったら、ひかりか俺に聞いてくれ」
文武両道イケメンが言うと、七海さんグループの勉強教えてもらう組が三者三様の返事をする。
「浅葱もだからな?」
「あ、はい」
このグループの雰囲気になれるのはもう少しだけ時間が掛かりそうだった。
× × ×
陽キャグループだからって根本から否定するのは良く無いことだと今日は知れた。
意外……というのは失礼に当たるが、勉強出来ない組のメンツも皆真面目に分からないところは積極的に質問をしていた。
文武両道イケメン──長谷大輝は何度同じところを質問されても、めげずにより分かりやすい解答を模索しながら、教えているのがとても好印象。
「……?」
「浅葱くん、分からないところあった?」
ペンが止まり、首を傾げたのに気付いた七海さんが俺のノートを覗き込む。
分からない場所を指差すと少し考えてから七海さんは俺のノートにペンをすらすら走らせた。
「ここはね──」
……なるほど、実に分かりやすい。
その後も俺が微動作をする度に、目敏く反応して七海さんが丁寧に解き方を説明してくれる。
解けると自分のことのように嬉しそうに喜んでくれるので、嬉しさ半分、むず痒さ半分。
ざっと一時間は継続して勉強していたように思う。
不意に全体に聞こえるように長谷が息を吐いた。
「ふぅ、少し休憩にするか」
その言葉を聞き、お手洗いに行くもの、自動販売機に飲み物を買いに行くものとそれぞれ行動を開始したが、俺は反応が遅れ椅子に座ったまま縮こまる。
と、長谷がさっきまで七海さんが座ってた席に腰を下ろし、頬杖をついた。
「浅葱……、浅葱は別に頭が悪いわけじゃ無いんだな」
「えっと……、そうですか、ね」
「ああ。ひかりが教えたら割とすぐに理解してるだろ?」
まあ確かに。
普段家で復習とかはあまりせず、分からないところも放置する癖があるので、今回みたいな事がないと、多分今日分かってなかった部分も一生理解しようとせずに生きていたかもしれない。
後単純に七海さんの教え方が上手い。
俺がどこを分かっていないのかをしっかり理解しつつ、そこを懇切丁寧に教えてくれるから、理解が追いつく。
そのことを詰まりながらもなんとか言葉にする間も、長谷は茶化すことなく最後まで聞いてくれる。
「なあ浅葱、別に緊張することはないぞ? 俺たちは浅葱を歓迎してるし、ひかりが男を連れてくるなんて珍しいからな」
「えっ……」
「ちょっと大輝くん、あまり浅葱くんに変なこと吹き込まないでよ」
二人して声の方を向くと、腕いっぱいに飲み物を抱えた七海さんが立っていて、俺は慌ててそのペットボトルを受け取りに行く。
「あっ、ありがと」
「んっ」
飲み物は全部で六本。
おそらく全員分買ってきてくれたのだろうが、誰がどの飲み物なのか分からないのでひとまず机の中心に置いておく。
と、長谷は真っ先にいちごオレを手に取った。
「やっぱり大輝くんはいつもそれだよね」
「うっせ、ほっとけ」
二人とても仲が良さそうでなにより。
や、というか、ただ仲が良いというか友人関係には見えない。
それ以上に何かあるような……。
そんな考えが顔に出ていたのだろうか、二人で顔を見合わせてから長谷の方が答えてくれる。
「俺とひかりは小学校からの幼馴染なんだよ、家は漫画とかであるテンプレの隣同士ってわけじゃ無いけどな」
「うん、それで中学の時に響子が私たちと友達になってね……、結衣と後藤くんは一年の時クラス一緒だったんだ」
「……なるほど」
だから二人はお互いのことを名前で呼び合う仲なのかと、納得した。
「あっ、みんなが戻ってくる前に浅葱くんも飲み物取っちゃって良いよ」
「えっ、でも……」
「いいのいいの、どうせ適当に選んだだけだし、早くしないと飲みたく無いもの飲む事になるよ?」
正直俺は後から入った人間だから、最悪それでも良いのだが、まあ選んで良いというのなら有り難くそうさせてもらうことにする。
その目的の飲み物を手に取ると、長谷と七海さんが二人して驚きの表情を向けてきた。
「浅葱くんそれ飲めるの⁉︎」
「えっ、まあ……、うん」
「マジか。それ多分ひかりが戻ってくるのが遅かった人用に買った飲み物だぞ」
長谷が言うと七海さんが頷く。
や、これ普通に美味いぞ。
なんなら週に二、三回は自動販売機で購入してるまである。
そのことを伝えると二人はさらに目を
「へぇ、奇特なやつもいるんだな」
「浅葱くん、好きな物を飲むのは良いことだけど、糖分は程々にね?」
七海さんに諭されれば頷くしか無い。
でもなぁ、甘くて美味しいんだけどなぁ、マッ缶。
その後、残りのメンバーが戻ってきてからは、最終下校時刻まで小休憩を挟みながら試験対策の勉強をこなしていくのだった。
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