第11話 連鎖

 不破木と話をしてから半年が経つけれど、あいつから何かをされるようなことは、何もなかった。友也と菫さんにも接触されることもなく、表面上は平穏な日常に戻った。


 一度だけ気になって、あのアパートに行ってみたが、不破木はもう引っ越しした後だった。隣人の方に行先を聞いてみたが、わからないと。

 俺は、友也が不破木とのことで依頼した弁護士に、不破木の弁護士に不破木のことを聞くことはできないかを尋ねたら、守秘義務で答えてくれないでしょうと。


 忘れてしまえばいいのに、なぜか気になる…。


 『お二人の愛情も信じさせて下さい』、あの言葉の意味も…ただの捨て台詞だったのか。



 *



 車の助手席から菫さんが顔を出し、集まった俺達の顔を順に見ていく。

「それじゃあ、みんな元気でね」

 

「あぁ、って今生の別れじゃないんだから、悲壮感出すのやめーや」

 身体の外側は完全に治った剛が、いつもの軽口で応える。


「そうよ。会おうと思えば、いつでも会えるんだから。菫もそんな顔しないの」

 剛のすぐ横にいるあかりも、優しく叱るように言葉を交わしていく。


「わかってるけど、みんなに迷惑かけてばかりで、恩返しすら…」


「気にしないの菫。これからが大変なのよ。余計なことに気を回さないで、あなたのやるべきことに全力を尽くすの」 


「そうだな。綾香の言う通りだ。菫さんにとって大事なのは、これからなんだから」



 あの事件での影響は、やはり大きかった。友也の勤める会社だけでなく、友也の自宅にまで嫌がらせや迷惑電話など、住み続けるのは困難であるほどに酷い有様だった。

 会社は友也を引き留めてくれたけれど、あまりに酷い誹謗中傷が殺到。法的措置も検討したが焼け石に水。最終的に友也は、自主退職することにした。


 事情を知らない人間からしたら、真偽などどうでもいい。

 友也は危ない殺人鬼扱いだ。

 殺人鬼のDNAだから流産した、産まれるはずだった子供も殺人鬼の子供など、聞くに堪えない罵詈雑言。

 ここまで世間は、過ちを犯した人間を叩き、追い詰めていくのか。

 これでは友也と菫さんがやり直す前に、潰されてしまう。


 二人のご両親はどうにか伝手を頼り、ここから遠く離れた土地で、再出発させることにした。そこで平穏が訪れたとしても、二人にとっての毎日はリハビリを含めた、厳しいものになるだろう。

 綾香やあかり、俺達の援助、ご両親のサポートも気軽に受けられない。


 友也と菫さん二人だけの、本当の試練がそこで始まるのだから。



「友也、負けんなよ。もしヤバそうならすぐに連絡しろ。駆けつけるから」

 俺は、運転席にいる友也に視線を合わせ、激励する。


「ありがとう、響一。うん、ちゃんと頼るよ」


「そ、そ、落ち着いたら遊びに行っからな。菫さんもがんばれな!」


「はい! 剛君、本当にありがとうございました」


「二人とも元気でね」


「絶対に遊びに行くから、待ってなさいよ!」



 二人を乗せた車が、遠ざかっていく。

10年来の友人が遠方でやり直す、新たな門出にショボい顔を見せるのは、ねぇよな。

 だから、みんな力いっぱいの笑顔で、送り出してやった。



 *



 毎月やっていたバカ騒ぎの集まりも、剛と二人だけとなった。

 その頻度も、互いの仕事が忙しいなどの理由から、徐々に減っていく。

 友也や菫さんとの繋がりは、無くさないようにと連絡は続けているが、距離が離れると心の繋がりも薄くなるようで…物寂しく感じる。


 それでも、日々の生活は続いて行くし、生きていかなければならない。




 季節はめぐり、俺と綾香に新しい命を授けてくれる、嬉しい出来事が舞い込んできた。


「はい、妊娠されてますね。おめでとうございます」


「先生、本当ですか?」

「響一、先生が嘘を言うわけないでしょう」

「いや、そうだけどさ…嬉しくて現実感なくて」


「パパさん落ち着いて。こういう時、奥さんの方が不安になりやすいんですから」


「はい! 綾香、大丈夫だからな! 俺がついてる」

「はいはい、頼りにしてるわよ…パパさん」


 綾香の肩に置いた俺の手の上に、綾香の手のひらが重なる…。

 このぬくもりを、俺が守るんだ。


 友也夫妻が去ってから、長く鬱屈としていた気分も忘れてしまうくらいに、俺も綾香も…この時は幸せに浸っていたと思う。


 そんな時ほど、禍福かふくあざなえる縄の如し。

昔の人間が残した言葉が現代まで残っているのは、時代に拘わらず戒めとしての注意喚起に、役立つからなんだろう。


 そして言葉を知識として持っていても、本当の意味を理解するのは自分がバカだったと…が殆どなんだと、思い知ることになる。




 綾香の妊娠をきっかけに、少しづつ周りも慌ただしくなってきた。

 綾香の身内はお義母さんだけで、もう亡くなっている。

 

 娘が天涯孤独になることを気にかけていらっしゃったが、俺と結婚することを知っ     たときの喜びようは忘れられない。 


 俺の両親は健在で、綾香のことも実の娘のように溺愛している。

もし俺が綾香を泣かせるようなことがあれば、母親が木刀でしばいとくから安心してと、お義母さんと話していたっけ。

 

 その母親は暇を持て余していたのか、綾香の出産まで甲斐甲斐しく世話する気満々で…綾香も苦笑してたが素直に助かります、とお願いしていた。

 

 俺の父親は感慨深く、『お前が親か…まぁなるようになる。男は正直こういう時は、全く役に立たないからな。どっしり構えて、綾香さんの不安もつらさも、全てを受け止めてやれ…経験談だ』と笑っていたな。


 妊娠を知らされた日から2ヵ月くらいは、綾香も普通に生活していたけれど、3ヵ月目くらいから、つわりが酷くなっていった。いつも元気だった綾香の具合の悪さを見ていて、俺の方が不安に駆られてしまうほどに。

 自分の方がつらいはずなのに、俺の方が綾香にいたわれていて…男は情けないなと。


 つわりがおさまり食欲も出始めた頃、少しづつ、本当に少しづつ綾香の身体に変化が起こり始める。乳房が大きくなり、おなかのふくらみも目立ち始めていった。

 あかりや剛も時間を作って、綾香の様子を見に来てくれた。剛が綾香のお腹をビビりながら触ってたのを、みんなで笑って見てたっけ。

 

 8か月目、28週前後になると、いよいよ出産準備が目の前にくる。


 産婦人科に一緒に行く時に、綾香の準備を待ってる間、マタニティマーク入りのキーホルダーをつけたバックを持ち、母子手帳を見てニマニマしていた俺を、綾香と母さんが見つけ、何回手帳を見直してんだかと呆れられもした。




 そんな、誰にでも、当たり前にあるはずの、幸せが―――――




 毎朝の朝刊を取りに行くのは、綾香が妊娠してからは俺の役目になっていた。

 ある日、速達で見知らぬ封筒が入っていて、仕事先から? とも思ったが、差出人を見ると―――――と書かれていた。


 





蛮勇ですらない

お前の向こう見ずな行いが

この結果に繋がっているだけ

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