第9話 邂逅
話は少し
剛の手術が無事終わり、それでも3日近く意識を取り戻さなかったときは、足が震え出したものだ。綾香のお母さん、俺にとってみれば、お義母さんが亡くなったときよりも『恐怖』を間近に感じたと思う。
そんな俺よりも、あかりの方がもっとつらかっただろう。
なんやかんや言っても、二人がそれとなくつき合っていたのを、知っていたから。
「よかったよ、剛に万一がなくて」
「あったり前だろーが、友也に刺されたくらいで死んでたまるか」
「バカ剛。あんた、ほんとに死ぬとこだったんだからね」
叱るような口ぶりながら、あかりは涙ぐんでいた。
それを見た剛は、ベットから手を伸ばし椅子に座っている、あかりの手を握る。
「…お前をおいて、死ねるかバーカ。泣くな」
「泣いてないわよ…」
剛の意識が回復してから、あかりは面会日には必ずお見舞いという名目で、世話をしに行ってるらしい。
「ほんとによかったよ、こっちわな…」
「友也と菫さんは?」
「友也は警察で取り調べ。どうなるかは、これからだけど…お前のおかげで最悪だけは避けれんじゃないかって」
「そうか…」
何を持って、最悪を免れたと言えるのか。
「菫さんは、全ての事情を聞いたらしい」
「マジかよぉ…大丈夫だったのか?」
「ショックが大きかったんだろうな。…入院、伸びるらしい」
「片耳が音に全く反応しなくて、たぶん駄目だろうって。もう片方は聞こえるから、普通に暮らすには問題ないけど。私も綾香も、できる限り手助けしなきゃ」
あかりは、剛と菫さんの両方の病院を行ったり来たりと、一番、精力的に動いている。
剛の方に比重を置いてるが、綾香がその分、菫さんの方を担当しているようだ。
「つれぇわな…。メンタルまいってんじゃねぇか」
「なんとかなると、信じるしかないな」
重苦しい雰囲気のなか、あかりは立ち上がり、男二人の顔を見る。
「ちょっと私、席外すね」
「あかり、新聞よろしく~」
「ハイハイ、いい子で待ってなさい」
苦あれば楽あり。
これだけ苦しむことがあって、まだ苦しみがあるとは思いたくない。
菫さんがしたこと対してのに怒りもあるが、それでもこれ以上追い詰められ、苦しまなきゃいけないものなのか…。
「あかりにも言ったんだがな、響一。お前にも言っとくわ」
「なんだ?」
「あの不破木ってやつのことは、忘れろ」
その名前を聞いただけで、怒りが込み上げてくる。
「お前…そいつがなにやったか。これだけやられて見過ごすのか」
「あいつを、チラッとだけ見た。嫌な感じがしたわ…」
「んなもんわかって…」
「いいから聞け。 昔、俺らでダム見に行ったの覚えてんだろ?」
「んなの関係ねーだろっ」
「響一」
剛が静かに俺を見て『聞け』と目で訴えてくる。
俺は軽く息を吐き、頷く。
「あの時のダムの
「あぁ…高さだけでもビビったけどな。吸い込まれそうなあの感じ…」
「
「相手は人間で、ダムじゃねぇ」
「…わかってんだろ」
俺が不貞腐れて言ったことに、普段の軽さを微塵もみせず、剛は真剣に話してくる。
「得体が知れない怖さ、って意味では同じだ。もう、関わんな」
この時の俺は、…いや、今もか。…バカのまんまだ。
友也も剛も、菫さんも、俺の友人を酷い目に合わせ、綾香やあかりだって心を痛めてる。誰のせいだ。不破木の糞野郎のせいだろう。本気で、そう思っていたんだから。なんど、あの糞野郎の病室に…。だから剛に忠告されたことも、話半分だった。
もしこの時に、不破木の顔を知っていてツラを合わせてたら、俺が半殺しにしてたかもしれない。
でも幸か不幸か、俺は不破木の顔を知らなかった。
そりゃそうだ、会ったことなかったからな。
あの動画も、顔がハッキリと映ってたわけでもなく、音声も聞き取りにくかった。
*
剛の顔を見て安心した俺は、戻って来たあかりに剛のことを任せ、今度は菫さんの病院へ向かう。先に見舞に行ってる、綾香と合流するつもりでいたしな。
胸糞悪いものが消えないまま、普段よりも少しだけ雑に車を走らせてしまう。
剛に言われたことを思い返し、理解できるのに…感情が納得しない。
そんなイラつきを抑えながら運転していると、目の端に映るものに注意を引かれ車を止めてしまう。今どき風呂敷で包んだ袋を背負って、両手にデカい鞄まで持った婆ちゃんに、青年が声をかけているようだった。
すげぇな昭和かよ、と内心でツッコミを入れつつ、車のウインドウを開き声をかけた。
「どうかしました? 何かお困りごとでも」
「ええっと、すみません。このおばあちゃんを、駅まで連れて行ってあげたいんですけど…。意外と荷物が
「ごめんなさいねぇ。道だけ教えてくれれば、一人で行けますから」
「無理だよ、おばあちゃん。と言うか、どうやってこの荷物持って、ここまで来たのさ…」
青年が呆れながらも、どうしようかと頭を悩ましていた。
性分と言うかなんというか、見ちまったらほっとけない。
止まって声をかけた以上、タクシー呼べばなんて無粋なこと言うのも、だせぇしな。
「良かったらだけど、乗ってきます? 県を
「いいのかい? 高園寺駅なんだけど」
「通り道だし大丈夫ですよ。あ、でも怪しく見えます?」
「わざわざ車止めて、こんなお婆ちゃんに何かするようなら、この国もおしまいさね」
大笑いするお婆ちゃんに、気分を良くした俺の対応は、一つだけだった。
「豪気な婆ちゃんだなぁ…気に入った、乗ってきなよ。それと隣の兄ちゃんも、荷物が重そうじゃねえか」
「いや、僕は…」
「せっかくだし、乗せてもらいなさい。私が言うのもなんだけどね。あなたも退院したばかりだって、言ってたじゃない」
「でも、ご迷惑に…」
「一人も二人も変わんねえよ。乗ってけ乗ってけ」
「…すみません、ではお言葉に、甘えさせていただきます」
そう言って、青年は頭を下げた。
二人を乗せると、吸い殻一つ入ってない綺麗な引き出しの灰皿を、元に戻してから車を発進させる。禁煙してても、つい灰皿引き出す癖って直んねーな。
目的の駅まで着くと、お婆ちゃんは何度も俺に感謝をしながら、駅へと歩いて行った。小柄なのに、あの荷物を器用に持って背負って、昭和の女性行商人ってあんなだったのかもしれないなと、その
いっしょに乗った青年も駅で降りようとしたが、目的地では無かったらしい。どこまで行くか聞いてみたら、つい最近、俺が通って知った道の近くだった。
そこらへん知ってるから、連れてってやるよと言うと、そこまでお世話になるのは…なんて言ってたが、青年も退院したばかりで体力が落ちてたんだろう、スミマセンお願いします、と恥ずかしそうにしていた。どんだけお人好しなんだか、この兄ちゃんは…。
個人情報とかあるから手前らへんで降ろせばいいかと聞くと、もう自宅までお願いしますと、はにかみながら答える。かまいたくなる、愛嬌がある。
人間良い奴もいれば、悪い奴もいる。捨てたもんじゃねぇよな…。
さらに気分が良くなったせいか、ハンドルも軽く感じる。
自分のチョロさが笑えるが、悪くない。
すぐに笑えなくなったがな…。
不破木と同じアパートに住んでいる…こんな偶然なんてあるのか。
さっきまでの気分の良さなど、とうに過ぎ去り、ハンドルを握る手の平に汗が滲む。
「ありがとうございました。ここで大丈夫です。遠回りさせてしまったみたいで」
(早く)
「いや、そんなでもないから、気にすんな」
(早く…)
「本当なら、お茶でもとお誘いしたほうが良いんでしょうけど、恥ずかしながらボロアパートで」
(ここから立ち去れ)
「いいって、気ぃ使い過ぎだ。………名前、聞いてもいいか?」
(余計なことなどせずに)
「あっ、すみません名乗りもしないで、自己紹介が遅れました。僕の名前は、
不破木結生って言います」
(立ち去るんだ)
望もうと 望むまいと
一度でも関われば
廻り巡る運命に逆らうことはできない。
絶対に。
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