第5話 破滅のオト

 仕事中に連絡が入ると、だいたい嫌なことがあるのが俺のジンクスだ。

 けれど人生最悪の一日になるとは、さすがに思ってもみなかった。


「はぁ? 菫さんが流産して救急車で運び中!? なんでそんなことに、なってんだよ!」


「わからないわよ! 私だって混乱してるんだから! 綾香と私は付き添いで病院向かってる。剛も友也君を連れて追っかけ来るから、中央総合病院!」


「わかった。俺も抜けられそうならすぐ行くから。サンキューな、あかり」 


「うん。慌てないでね響一! それじゃ」


 通話をきって、頭をガシガシ掻きむしる。なんでそうなるんだよ…。


 確か産婦人科で検査した時、何の問題もないって言ってたって。

そりゃ中絶して結局〇すんだから同じだろ? 逆に手間が省けてよかったじゃん…なんて言ってる奴がいたら、ぶっ〇してやる。


 俺はすぐに上司に事情を説明し、早退することができた。常日頃から真面目に働くことは、こういう時に活きてくる。慌てる内心を押さえつつ、あかりに言われた病院へと急いだ。



 *



 病院に着いた俺は総合案内所で、緊急搬送された患者が運ばれる救急外来の待合室を教えてもらい、速足でそこへと向かう。待合室には綾香一人だけで、室内に設置してある長椅子に肩を落として座っていた。


「わりぃ綾香、遅くなった。菫さんの容体は?」


「響一…命に別状はないって、でも赤ちゃんは…」


 震えた声で綾香が呟く。


「…そうか…友也は?」


「菫のそばにいる。緊急性はなくなったから一般病棟へ移れるって………二人を見てるだけで、私つらくて…」


 泣いて震える綾香を、抱きしめて落ち着かせる。

 剛とあかりはどこ行ったのかと考えていると、二人が歩いて待合室に入ってきた。


「響一、来れたか。お疲れな」


「仕事中悪かったわね、何かあったらと思って…剛にも連絡しちゃったけど」


「いや、いいさ。菫さんが無事なら…赤ちゃんは…。でも急だったろ? なにがあったんだ?」


「わかんない。私と綾香がいつものように菫さんに会いに行ったら、菫が蹲ってて、友也君が119番してたところだったから」


「病院での検査では、手術するのに問題もないって」


「それも今はわかんないって。胎児(胎芽)染色体異常とか色々原因あるけど、平均6人に1人の女性が流産するから…」


 喜べるわけもないが、悲しむのも…結局中絶することに変わりはなかった事を考えると、何も言えなかった。モヤっとする思いを抱えていると、剛が俺だけ手招きして「響一、ちょっといいか」と待合室から連れ出された。

 

 綾香をあかりに任せ、剛と二人でその場から離れる。

 病院外の喫煙所まで来てこのへんでいいかと、剛は煙草に火をつけ一服してから口を開いた。剛がお前は?っと煙草を勧めようとして思い出したのか、


「救急車には綾香さんとあかりが付き添いで乗ってくれて、友也は家の戸締りとか保険証とか色々やって、俺が後から車で連れてきた」


「お疲れ。こういう時、そく動けるのは助かるよな」


「企業勤めよりも個人事業主の強みだわ。それで、…気になることがあってなぁ」


「気になること?」


 剛は煙草の灰を、備え付けの灰皿に落としながら話を続ける。


「あぁ。菫さんが病院に運ばれる前に家にいたわけなんだが、そのとき友也と菫さんの二人でなんか見てたらしいんだわ」


「テレビかなんかだろ?」


「俺もそんなもんだと思ってたんだが、病院来る途中…友也のやつがなぁ、車の中で吐きやがった」


「!? …あいつも調子崩してたのか?」


「ゲーゲー吐いた後は落ち着いてたから、違うだろ。…その後の雰囲気がなぁ…キレてやがった」


「あいつが? ありえねぇよ。怒ったとこなんて見たことないぞ」


 長い付き合いだが、俺達に友也が怒りの感情を見せることは、一度もなかった気がする。逆に俺や剛のほうが、揉め事で怒った姿を見せてたことが多いくらいだ。

 菫さんに怒りをぶつけたか…遅いくらいだが、わかんねぇ。


「だからその原因を確かめに、友也の家に行かないか?」


「鍵ねーだろ。それにいくら友人の家とはいえ、勝手に入るのはマズいわ…」


「菫さんの着替えだなんだと必要なものを取りにって言って、あかりか綾香さん連れて行けばいい」


 俺は少しの逡巡のあと、剛を見る。


「分かった、行くか。綾香を一人にするのも心配だけど…連れまわすよりは病院にいた方がいい。あかりに頼むか」


「決まりだな。車まわしてくるから、正面入り口」


「O.K」


 この時、俺は剛の提案を止めて病院に居続けるべきだった。

 せめて友也から目を離さず、一緒に行動していれば…。

 決して面白半分で、行こうと思ったわけじゃない。

 友也夫婦の心配をしてたのは、本心だったしな。


 でも浅はかな行動の結果が、その後に繋がっていったのは、紛れもない事実だった。



 *



 俺達は友也と綾香に、着替えや必要になりそうなものを取って来るからと説明し、家の鍵を借りた。友也の顔色は悪かったが、受け答えはしっかりしていたので軽く肩を叩き、思いつめんなと声をかけたが…返事はなかった。


 気がかりではあったが早めに帰ってくると綾香に伝え、今現在、俺、剛、あかりの3人は友也の家に来て荷物を纏めている。

 まぁ、あかりにほとんど任せっきりだったけれど。


「とりあえず菫の着替えとか必要なものは、全部鞄に詰めたから」


「サンキューあかり…勝手知ったるなんとやらだな」


「毎日来てたしね。菫も元気になってきてたのに…」


「菫さん本人は大丈夫だって言ってたし、前向きに考えるしかないさ」


「そうね…」


 俺とあかりが話していると、単独行動していた剛の呼ぶ声が聞こえてきた。


「響一、あかり、ちょっとこっち来い」 


「ん? どうした剛?」


「あんたさっきから、一人で何してんのよ?」


「慌ててただろうしな、勝手に見て悪いと思うが、ほらこれ…」


 剛から渡された手紙は、あの間男野郎からのものだった。

もう関わることはないはずだったのに、足元に這い寄ってくるような気味の悪さと、胸糞悪いもんが交じり合っていく。


「不破木って、菫の浮気相手でしょ? 今さら何の用があるのかしら」


「形式上は謝罪の体裁はなしてるけど、しつこくねぇか?」


「自分のやったことに対しての重大性に気づいて…いやないな。謝罪して慰謝料払ってさらに謝罪? …そんなことあるか?」


「真面目な人が気の迷いで不倫したら、罪悪感で…とかね」


 この不破木ってやつがクズなのは間違いないが、もし本当に真面目な学生であり菫さんに対する気持ちも、尊敬と恩義から恋慕になり道ならぬ恋の末に至ってしまったなら。

 

 それが白日の下に晒され、好いた相手を不幸にすることになり、悔い改め責任も取ったが、それでも気が済まず手紙を出した…。


「じゃあ、なんで最後の最後で笑ったんだ…友也の見間違いか?」


「何がしたいんだこいつ…その答えが、もしかしたらそのUSBってか」


 俺と剛は揃って、電源のついてない真っ暗な画面を見る。以前した俺の不安が、鎌首をもたげてくる。


「なによ、二人だけ分かってますみたいなの」


「あとであかりにも説明するわ。とりあえず、見てみようや」


「勝手に見るのは………後で平謝り決定だな」


 友也と菫さんに心の中で詫びつつ三人で見たその動画は、別にそこまでおかしいと思えるものではなかった。顔は分からなかったが、不破木?ってやつが反省し謝罪してるだけで…。


 そして画面が切り替わったところで、俺の不安は的中した。


 こいつ、わざとだ。

わざと友也と菫さんが関係を修復して立て直そうとしてるところに、ひびんだ。友也にも菫さんにも、ハッキリと分かるように…。


 確かに映像の人物が菫さんと、この糞野郎かどうかは判別しずらい。

 でもこの動画を見て菫さんが平静を保てたのか? …


 浮気相手との生々しい動画を見せられるのもエグイが、菫さんの、妻の動揺した態度を見て、察した友也の心の傷は半端なかったはずだ。想像することで、現実よりも遥かに酷い光景が目に浮かぶこともある。


 こいつは反省なんかしてない。普通に考えれば、こんなことをすれば、相手が傷つくことくらい小学生でもわかる。赤ちゃんを死なせるのが悲しいだと…どの口でほざく。菫さんに恋慕だと…馬鹿か俺は。友也と菫さんを、弄びやがったんだ。


 こいつはクズだ。本当にろくでもない、クズだ。


 頭に血が上る。剛も何も言わないが、だいたい同じことを考えているだろう。

 あかりだけは把握してない様で、動画を見て驚いてるだけだったが。


 Prrrr....、Prrrr....


 俺のスマフォに、綾香からだった。数コールですぐに通話に出る。


「綾香か、どした?」


「響一、友也君がいないの! 」


 切羽詰まった綾香の声に、驚いてこっちの声も強くなってしまう。


「菫さんのそばについてんだろ?」


「いたけど、いないの。私が病室を抜けて戻ってきたらいなくて…」


「病院内は探したのか? それと電話!」


「いそうなところは全部探したし、電話もしたけど…。早く戻って、お願い響一」


 涙声の綾香にハッとなり、心持ち優しげに答える。


「わかった。綾香は菫さんのそばにいてやってくれ。大丈夫だから落ち着いてな」


「うん…」


 このタイミングで友也がいなくなるなんて、最悪な事しか思いつかないんだが…。

 通話をきり愚痴がこぼれる。


「ヤバいな。友也のやつキレたことないから、加減が分かんないまま暴走してんじゃ…」


「報復? あの友也がか!? ありえねぇ…こともねーな」


「ちょっとなんなのさっきから! 説明してよもう!」


「あとで剛に説明してもらってくれ。剛、あかりに車の鍵渡してやって!そんであかりは先に乗っとけ」


「ちゃんと説明してよね!」


 鍵を受け取ったあかりは、渋々ながら荷物を持って部屋から出て行った。


「どうする響一、友也は不破木ってやつのとこ一直線か?」


「自分の女を取られて、孕まされたうえに傷つけられて、治りかけのところにだぞ。ここまで虚仮にされて黙ってられるか? 少なくとも俺かお前だったら行ってるだろ」


 剛は、確かになぁ…と顔に手をやり、苦笑いする。


「いつもなら友也は止める側だからな。キレてる今のあいつは俺ら側…つまり」


「糞野郎をぶっ〇しに行ってんだろ。しかも友也、初めてキレたんじゃないか? 加減なんかできないだろ…洒落にならん、絶対に止めねえと…」


 本気で、マズいと思った。


「でもどこへだよ!」


「さっきの一人で映ってた動画って、病室っぽいとこだったよな?」


「あぁ…ご丁寧に、こいつの自宅と入院してる病院の住所…病室の部屋番まで手紙にのってるわ。…こいつなんなん」


「ふざけんな…ここで二択かよ」


 一手まちがえたら…。


だよなぁ…でも、こいつが退院してて自宅の方だったら」

 

 もしくは、こいつが自宅に戻っていなくても、友也が向かっていてそこを押さえられれば。

 病院なら警備員もいるし、迷惑かけるが非常ボタン押して騒ぎ起こすのも手ではあるか。


 自宅で、間に合わなくて殺人現場にご対面、なんてたまんねぇぞ。

 二つの住所は、友也のいた中央病院を真ん中に正反対。


 俺達のいる場所からだと…。


「剛はあかりを連れて、手紙に書かれてる病院向かってくれ。最悪、非常手段使ってでもな?」


「マジかよ~、しゃーない緊急時だしな。お前は?」


「ないと思いたいが糞野郎の自宅の方だ。こっからなら走った方が早い」


「分かった。気をつけろよ、キレてるときの人間はヤべーからなぁ」


「友也でもな。そっちも気をつけろよ、何も無ければすぐ連絡する」


 10年来の仲ってのは、こういう時は話が速くて助かる。


 

 早まんなよ、友也。








どんなに手をつくしても

間に合わない…。


間に合わない…運命だから。

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