第6話 踊らされるのは、常に善良な人々

 自分が、こんなに頭に血が上るタイプだとは、思わなかった。

 いや…心の中では、ずっとくすぶっていたんだ。

 火傷のようにジュクジュクと、忘れないように、長く...長く...苦しめるように。


 それでも時間と周りの助けと共に、傷も痛みも和らぎ…治りかけていたんだ。

 心の中では菫を怒りもしたし叱りもした、だけど…愛しているんだ。

 

 だから気分の気持ちに蓋をした。…した上でしこりのような痛みも抱えて、また二人で歩んでいくんだって。


 それが、こんな…動画の一本で、理性が決壊するなんて。


 菫の狼狽えた姿が、動揺が、画面に映し出されているものは、紛れもない事実だと証明していた。

 考えないようにしていた。

 気にしていないと、やったことは許すからと。


 …すべて口からの出任せだ。

 


 菫と二人だけで話し合いをしたあの日から、菫と口づけを交わすことはなかった。

性行為もしてない。菫は望んでいたかもしれないが、僕にはできなかった。

 

 菫の身体に新しい命が宿ったことを聞いた時も、純粋に喜べていたかどうか…。

 もしかしてと思った最悪な想像も、現実に起こってしまった。


 と…何度、口に出かけたか。

 今まで僕と菫の子供ができなくても、子宝は授かりものだからと。


 その授かった命が、菫の赤ちゃんだとしても。

 …僕は愛することができるのか…。


 僕の両親も菫のご両親も、口には出さなかったが初孫ができたら嬉しいという期待を、僕も菫も感じていた。

 女性である菫に、その期待の重さが偏っていたことも、分かっていた。


 だからパートに出るのが少しでも、菫の心の負担を減らす一助になれば。

 その結果が…。


 泣いて落ち込んでいるけれど、無意識にお腹を擦ってる姿、初子であり今後、僕と菫では赤ちゃんができにくいんではないか、…数え上げればキリがないくらい様々な事が頭をよぎっていく。



 それでも

 ………僕は、



 菫の流産を…喜んでいなかったとは言えない。喜んでいたのかもしれない…。

 裏切った菫に罰が堕ちたんだと、自分の手も汚さずに。

でもベットの上で眠っている菫を見て………。……。…。

 

 こんなに僕は、醜くかったのか。そして人を憎む心を、持っていたのか。


 引き返せ。

 今すぐ、菫の元に戻れ。

 菫が不安がってる。寂しがってる。

 お前の一番大切なものを、手放すなと…訴えてくる。


 頭の中で何度も、何度も。

 その訴えに反するように、思考の全てが黒く、黒く塗りつぶされて。


 自分が、これから何をしようとするのか。

 ただ、どうにかするためだけに、歩いている。




―――振り返ってみるとよくわかる、バカだよね。考えていることが支離滅裂で、誰かに止めてもらえていれば…あんなことには、ならなかったのかな。


 ほんと、バカだ。


 バカだ。



 *



「あぁ…そういうわけでそっちに行くのは後回しだ、すまん。大丈夫、気を付ける。ん、また後で」


 綾香に連絡を入れてから、不破木の自宅に向かい走り出す。

 細い路地が多いから車で行くよりも、走った方がはるかに速い。


「くそったれ…」毒づいてもしょうがないとは言え、吐き出したくもなる。


 何をどうすれば、こんなことになってんだか。

ついこの前までは、不満やらなんやらあっても、友人と喚ける場所もあり、綾香とも幸せにすごせて、笑ってたのが嘘のようだ。


 友也の災難も、友也本人の気質もあり俺達もサポートすれば、きっとうまくいくはずだと。実際、上手くいきかけていたのに…。

 全部あの糞野郎のせいだと言えたら…、後だ後…今は一刻も早く友也を見つけて止めねぇと。


 都合よくトイレ行ってただけってオチなのを願うくらいには、俺もテンパってやがる。道を確認しながら辿り着いたんだが、…ここだよな。

 裕福そうな家庭じゃねぇのかよ、一人暮らしでもこんな…。


 そこは質素な2階建てのアパートだった。学生が住んでいると言われればそうだろうなとは思うが、富裕層の息子をこんなボロアパートに住まわせるか?


 1階の一番奥105号室…灯りは、ついてない。


 ハズレか…気が緩んだのか、息が漏れる。

 ほんとわけわかんねぇ…。あかりに連絡しようとしたところで、隣の部屋のドアがガチャリと開くと、30代くらいの女性が出てきた。


「…こんにちは? 不破木さんに用事の方、ですか?」


「あ、いや…そうです。不破木さんは、ご不在にしていらっしゃるようで。どこに行かれたか、ご存じですか?」


「…お名前伺っても?」


「波川と申します。不破木さんに緊急の用事がありまして、すぐに連絡を取りたいのですが…。これ名刺です」


 少し訝しんでいたけれど、名刺を見て少しだけ警戒が緩んだようだ。


「不破木さんなら、怪我をされたとかで病院に入院されてたはずです。どこの病院かはちょっと…。長期にはならないとか」


「そうですか…わかりました、ありがとうございます。…不破木さんってどんな方か、お聞きしても?」


「気のいい学生さんですよ。品が良くて紳士ですし。でも、何回か女性の方が来て揉めてたような」


「彼女さん…ですかね?」


「そこまでは…でも意外とプレイボーイなのかも。身体に凄い傷跡があって聞いてみたら、昔刺されちゃってなんて、冗談だろうけど…」


「傷…それって…」


 Prrrr....、Prrrr.... 女性にお礼を言い、その場を離れながらスマフォを取り出すと、あかりからだった。


「響一! どうしよう!剛が! 剛が!」


「落ち着け! 剛がどうした!?」


「剛が友也君を止めようとして、でも駄目で、警備員呼んだけど間に合わなくって」


「要点だけ答えろ、剛がどうしたって!」


「刺されちゃって血がいっぱい出てて、死んじゃう、死んじゃうよぉ…っ…」




 本当に………くそったれの一日だ。








絶望なんて、そうそうありはしない。

でも、もし垣間見るとしたら。


見た人間も…。

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