如月 ユイ

邪気の無さに救われて

 氷室先輩と交際した。

 交際を受け入れられ、初日で女の部分に触れてしまった。

 でも、ボクの心はずっと冷え込んだままだ。


「……あぁ、どうしよう」


 昨日は、どうやって家に帰ったのか覚えていない。

 意識が朦朧もうろうとする中、叔母さんから着信があって目を覚ました。


 氷室先輩には、家に連絡を入れておけと言われたけど、言えるわけがない。というか、ボクは現在の保護者と気軽に口を利けるほど、打ち解けていなかった。


 親戚の家で面倒を見てもらうなんて、こんなものだった。


 そして、今ボクは学校の中庭で昼食をとっている。

 パンを食べて、スマホを弄り、調べ物をするだけ。

 ベンチの端は、ちょうど木陰に隠れている位置だった。


 日光から隠れて、スマホを弄っていると、ボクは自然と深いため息が漏れてしまった。


「やっぱり、ない」


 昨日の先輩は、異常だった。

 先輩自身も、どこか自覚はしているみたいだし、断片的な言葉から推測をした。

 ネットで検索をして、『溺れる』や『濡れる顔』などで、性的な興奮を覚える人を探してみた。


 これが、本当にいない。


 性的倒錯は、英語で『パラフィリア』というらしい。

 調べれば、調べるほど、人によってはゾッとする話だ。


 死体性愛ネクロフィリア

 小児性愛ペドフィリア

 獣愛ズーフィリア


 特定の性癖に関しては、こんなのが出てくる。

 人によっては、「これは病気じゃない」と怒る人だっているようだ。


 しかし、溺れる人に興奮する性癖は、やはり常軌を逸している。

 どうやら、特定不能の性癖を持つ人はいるようで、先輩はその特定不能に類するのだろう。


 パンをかじり、ボクは思った。


 ――殺されるんじゃないか。


 言葉が頭に浮かんだ途端、パンを飲み込めなくなった。

 じゃあ、先輩と別れようか、と考えるが無理だ。

 ボクは人を突き飛ばし、証拠を先輩が持ってる。


 別れる事は、ボクの人生がメチャクチャになる事を意味していた。


「うーい!」


 どんっ。

 いきなり、背中を叩かれ、パンを握りつぶしてしまう。


「び、びっくりした」

「ごめ~ん」


 ユイさんだった。

 相変わらず、無邪気な笑顔で笑い、自然と隣に腰を下ろしてくる。


「一緒にご飯食べよ」

「う、うん」


 ユイさんは手に持っていた袋から、メロンパンを取り出した。

 見れば、袋の中には栄養食品やお菓子などが入っている。


「んむ? なに?」

「あ、いや……」


 食べる人だな、と思った。

 女子は小食、というのは勝手なイメージだった。


「あ、そうだ。これね。エサ買ってきたの」

「エサ?」

「違った。ご飯。えへへ」


 ユイさんが取り出したのは、スティックバーだ。

 封を切り、中身を半分出すと、ボクの方に向けてきた。


「あーん」

「ボク、これ食べてるから」

「焼きそばパンだけじゃ栄養足りないよぉ? はい。食べて~」


 モグモグしながら、頬に押し付けてくるのだ。

 正直、これ以上食べれないけど。

 せっかく買ってきてくれた物を無下にするのは、気が引けた。


「じゃあ、……いただきます」


 先端を口に含み、歯で折る。

 栄養調整食品だから、美味いとも、不味いとも言えない味。


「美味し?」

「う、うん」

「良かったぁ」


 ボクがバーを飲み込む頃には、メロンパンが半分まで減っていた。

 ユイさんの邪気の無さのおかげで、冷えていた心が少しだけ温かくなってくる。


「よしよーし」


 後頭部を揉みながら、撫でてくる。

 ユイさんはニコニコとして言うのだ。


「ころりは、お利口りこうさんだねぇ」

「ころり?」


 そういえば、チャットの名前を変えていない事を思い出す。

 どうして、ころりなんて名前を付けたのか気になった。


「ころりって、なに?」

「んー、名前?」

「え、いや、それは分かるけど……」

「何でもいいじゃん。よしよし」


 耳や顎の下を揉まれ、何だか照れ臭くなった。

 ユイさんの頬は、なぜか緩みきっていた。

 誰かに見られたらいやだな、という気持ちはあったけど。

 楽しそうに撫でてくるユイさんに水を差すのは、やはり気が引けた。


 頭を撫でられながら、ボクは手に持ったパンを食べ終える。

 同時に、ユイさんが大きく目を見開いた。


「あ!」

「え、なに?」


 ユイさんがいきなり大きな声を上げる。


「そういえば、……あちゃー。忘れてた。ころりに伝言頼まれてたんだぁ」


 伝言、と聞いて首を傾げてしまう。


「誰から?」

「堀田くん」

「……え」


 いじめっ子の名前を聞いて、ボクは嫌な予感がした。


「体育館に来いって」

「そう、なんだ」

「ユイも行くから。へーき」

「い、いいよ。……ボク一人で行くから」


 ユイさんが行ったら、何をされるか分からない。

 不信感から、ボクは絶対に彼女を連れて行きたくなかった。


「今行けばいいのかな」

「うん。でも、まだいるかなぁ」

「行ってくるよ」


 ユイさんに背中を向けて、ボクは渡り廊下の方に歩き出した。

 後ろを見ると、しょぼんとした顔のユイさんが、寂しくパンを食べていた。


 ちなみに、ボクの食いかけは、さりげなくユイさんが食べたようだった。

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