無自覚

 生まれたままの姿で、ボクは浴槽に浸かる。

 風呂場に連れて行かれたボクは、氷室先輩に脱がされた。


「恋人なら、セックスをするのは当たり前でしょう。だったら、ワタシの前で山川君が脱ぐのは、おかしなことではないわ」


 一方的に言い包められ、先輩はボクのシャツを脱がし、パンツごとズボンを脱がす。先輩はボクの裸を見ても、表情一つ変えなかった。


 ボクの裸には、興味がないのだ。

 手と足の親指は、結束バンドで固定。

 風呂の縁に腰を下ろすと、乱暴に浴槽へ突き落された。


 溜まっていたのは、ぬるま湯だった。

 ボクからすれば、何とも奇妙な入浴だ。


「ぶはっ。……はぁ、はぁ」

「良い顔。でも、まだ耐えられるでしょう」

「ご、ぼっ」


 後頭部に湯が当たった途端、ボクは目を瞑る。

 耳や鼻は湯に沈められ、口からは大量の空気が漏れているのが分かった。


 首を横に振ると、先輩は髪の毛を引っ張り、ボクの顔を引きずり出した。


「ぶっは、はぁ、げっほっ」

「……苦しい?」

「はぁ、ハァ、はい」

「もっと、見せてほしいわ」


 ぐいっ。


 再び、ボクはぬるま湯の中に戻っていく。

 正気ではなかった。

 先輩が今、どんな顔をしているのか分からない。

 でも、人が溺れる所を見て、性的な興奮を覚えるというのは、にわかに信じ難かった。


「ぶふっ。げっほ、こほっ、ハァ、は――ん、むっ」


 呼吸の途中で、何かに口を塞がれる。

 目元が濡れたまま瞼を持ち上げると、水滴が目に入る。

 濁った視界には、氷室先輩の顔が映った。


「はぁ、あ、けほっ。せんぱ……っ」

「ん、……もう、ちょっと。待って。今……、ぁ……」


 唇を離された間際、ボクは先輩の体に目がいく。

 水飛沫を浴びて、先輩の着ているシャツは濡れていた。

 黒いブラが透けており、潤んだ先輩の目がボクの視界半分を覆う。


 そして、先輩はスカートの中に手を入れていた。

 小さな水音を鳴らし、熱に浮かされた表情を浮かべる。


「足りない……」


 ボソリと呟いた。

 その直後、ボクの目には泡立つ湯の中が映った。


「もがっ、ごぶっ」


 鼻から湯が入ってくる。


「ぶぶっ」


 ジッとして耐えると、ボクの唇を細い指がなぞってきた。

 耳の輪郭をなぞり、鼻や額をなぞり、首筋を押さえてくる。

 本気で殺される。


 恐怖心が込み上げてきた。

 一生懸命体を持ち上げようと力むが、首を押さえつけられていて、上半身を持ち上げられない。


「ごばっ」


 さらに空気が漏れて、少しだけ湯を飲んでしまった。

 体の芯が冷たくなってきて、いよいよ限界を迎えてしまう。

 そう思った矢先、体が引っ張り出された。


「げっっほ、ごほっこほっ! っはぁ、はぁ、……先輩……もうやめて……」


 空気を取り込むのに必死だったが、またしても口を塞がれた。

 熱い舌が口の中に入り、呼吸を邪魔する。

 風呂場には、妙な水音が大きく響いていた。


「ふぁ、……っ……山川……君」


 ボクの下唇を噛み、氷室先輩は言った。


「う、……っく、……っはぁ」


 全身が大きく震え、氷室先輩がもたれ掛かってくる。

 先輩は溺れかけたボクと同じくらいに呼吸が荒い。

 白い頬は赤く上気し、上目で見つめてくる。


「見て……」


 先輩がスカートの下を指した。

 そこには、浴槽からこぼれた水溜りがあるだけで、何もない。


「ワタシ、……人間なの」

「……先輩」

「あなたの苦しむ顔が、すっごい気持ち良かったわ。苦しんで、水の中でもがく姿を見てると、心臓が苦しくなった」


 濡れた手で顔を撫でられる。

 不思議な事に、先輩の手はぬめりがあった。

 湿った吐息を間近で浴びて、唇を重ねながら、氷室先輩が息を漏らす。


「山川君は、溺れてる時が一番可愛いわ」

「……怖いよ」

「大丈夫。きちんと愛してあげるから。ほら」


 両腕を引っ張られ、ボクは前のめりになった。

 先輩は手首の上に跨り、股に挟んでくる。


「……ワタシが人間でいられるのは、……あなたが溺れてるときだけ。でも、よかった。ワタシ、やっぱり人間だ。機械じゃない」


 腰を前後に動かすと、ぬめりが手首に塗られていく。

 初めて、女の人の体を触った興奮は、ほんの僅かだけど込み上げてくる。

 それ以上に、ボクは先輩が怖かった。


 先輩が、ボクに興奮している。

 ボクが、お湯の中で溺れて、死ぬ一歩手前の姿を見て、耳まで赤らむほどに興奮している。


「う……ふふふ……ははは……。んぁ、……気持ち、いい」


 異常だ。

 氷室先輩は狂ってる。

 ボクは息を整えるのに必死で、立ち上がる気力がなかった。


「山川君。写真撮りたいわ。会っていない間、自慰をしたい」

「……先輩。おかしいよ。こんなの」

「おかしくないわ。人間なら、誰だって自慰をするもの。股を使うか。頭を使うかの違いで。人は誰だって快楽のために生きてる」


 普段の無表情が、頬に赤みが差しているせいで、妖しい笑みに見えた。


「ワタシがおかしいなら。……みんなは狂ってることに無自覚なだけでしょう」


 先輩に口を塞がれた。

 顔中の水滴を舐めとられ、首筋が鎖骨を舐められ、先輩の息が荒くなった。


 ボクは再び、湯の中に全身を浸かった。

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