第4話 初戦闘の相手はただの犬でした



「これが、異世界か……」



 ゆがみを抜けた先に広がる光景を見て、俺は感慨深くそう呟いた。


 まず、目に飛び込んできたのは巨大な木々と周囲一帯を満たす草花。

 頭上を見上げると美しい青色の空が広がり、太陽が燦々と輝きを放っていた。


 つまるところ、どうやら俺は森の中に転移させられたらしい。


「この展開はちょっと予想外だったな。アリスティアのことだから、どこか初心者向けの町にでも転移させてもらえると思ってたんだが」


 残念ながら、その期待は裏切られてしまったらしい。


「まあいい、1000年間修業したことに比べたら、この程度ただの些事だ。さっさと切り替えていこう」


 俺はさっそく今後の方針を立てることにした。


「ひとまずの目標としては人が暮らす街を見つけることだが……その前にまず、この森から抜け出さなくちゃな」


 とはいえ、ここは異世界の森。

 恐らくモンスターも生息しているだろうし、俺の実力で無事に抜け出せるかは不明だ。


 アリスティアの奴め。

 せめて転移させる時に、最低限の情報くらい教えてくれても良かったのに……


 内心でそんな恨み節を呟いている最中、ふと俺は閃いた。


「待てよ。何もそんな馬鹿正直に、歩いて森を出る必要はないんじゃ――」


『ガルゥゥゥウウウウウ!!!』


「――ッ、何だ!?」

 

 その時、突如として獣のうめき声が響き渡った。

 まさかいきなりモンスターと遭遇する羽目になるとは。

 俺は警戒しつつ、柄を握りながら声がした方を向く。


 するとそこには予想通り、一匹の獣が存在していた。

 高さは俺の腰より少し低いくらいで、艶のある白色の毛並みが特徴的。

 爛々と輝く金色の瞳からは確かな力強さを感じる。


「これが、異世界の魔物モンスター……!?」


 見た目的には、ただの犬と言われても納得できる。

 だが、決して油断するわけにはいかない。

 今の俺は低級剣士程度の実力しかないのだ。

 もしこの獣が上位の魔物だった場合、油断したその一瞬で殺されてしまうかもしれない。


 そんな風に警戒する俺に対し、獣は鋭い牙を剝き出しにしながら飛び込んできた。


『ガウッ!』


「……あ、あれ?」


 しかしそこで、ふと違和感を覚えた。

 魔物の動きがやけに遅いのだ。

 これなら俺に攻撃が届く前に、反撃を100回は叩きこめるだろう。


 低級剣士の俺にすら、遠く及ばない実力しか持たない動物。

 それが指し示す事実などたった一つしかない。



「なんだ、魔物モンスターじゃなくてただの犬だったか」


『グルゥゥゥ!?!?!?』



 これならわざわざ剣を使うまでもない。

 俺は柄から手を離すと、【時空の狭間】で獲得した足捌きで犬の背後を取った。


『グ、グルゥ?』


 犬はその動きが見えなかったのだろう。

 突然俺が目の前から消えた事実に困惑し、その場に立ち尽くしていた。


 さて、ここからどうするか。

 こいつが魔物ではない以上、このまま何もせず立ち去ってもいいんだが――


「なんだか、懐かしい感覚だな」


 ――こんな状況にもかかわらず、不思議と俺の目頭は熱くなっていた。


 だってしょうがないだろう?

 俺が【時空の狭間】にいた期間は1000年以上。

 その間、命あるものと交流する機会などなかった。

 だからこそ今この瞬間、相手が人間ではないただの犬とはいえ、こうして心を通わせられることが何よりも嬉しかったのだ。


 ゆえに、


「お~い、こっちだぞ~」


『ッ!? ガルゥ!』


 その呼びかけによって俺の位置に気付いた犬が、再び襲い掛かってきた。

 俺はそれを軽々と躱す。


 俺たちはそんなやり取りを一時間以上、ひたすらに繰り返した。


『ク、クゥゥゥ~ン』


 すると犬にも限界が来たのか、疲れ切った様子でその場に横たわってしまった。

 どうやらこの辺りが潮時らしい。

 残念だ、もう三か月ぐらいじゃれ合いたかったのに。


『ク、クゥン!』


「ん、何だ?」


 落ち込んでいる俺を見て何を思ったのか。

 犬は遠慮がちな様子で俺に近づき、そのまま裾を掴んできた。

 そしてグイグイッと引っ張ってくる。

 恐らく、俺をどこかに連れて行きたがっているみたいだ。


 その案内に従い移動すると、そこにはひと際大きな巨樹が聳え立っていた。

 大樹の麓にはうろが存在し、犬はその中から金色に輝く石を持ってくる。

 そしてそれを俺に押し付けてきた。


「なんだ、くれるのか?」


『クゥゥゥ~ン』


 そう尋ねてみると、犬はその場で仰向けになり腹をこちらに向けた。

 前世で犬を飼った経験がないためその意図までは分からないが、きっと俺と遊べたことが嬉しく、友好の証に宝物をくれようとしているのだろう。


 なんて優しい犬なんだ。

 この好意を無下にするわけにはいかない。


「ありがとう、じゃあこれは貰ってくよ」


『バウッ!』


 俺が金色の石を受け取ると、犬は力強い声を上げながらどこかに去っていった。

 その途中でなぜか何度もこちらを振り返ってきたので、俺は感謝の笑顔を浮かべながら見送り続けた。


 不思議なことに、俺が笑顔を向けるたびに犬がピタッと立ち止まっていた気がしたが……うん、ただの気のせいだろう。



「色々と落ち着いたら、また遊びに来ようかな」



 再会した暁には、きっと犬も喜んでくれるだろう。

 そんな確信を抱きつつ、俺は今度こそ森を抜ける方法について考えることにした。

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