太宰治『葉桜と魔笛』の個人的解釈

三文

太宰治『葉桜と魔笛』の個人的解釈

 “桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。――と、その老夫婦は物語る。――”


 そんな書き出しで始まるのが太宰治の『葉桜と魔笛』


 皆さんに「太宰治ってどんな人?」なんて訊いてみると、『人間失格』と自殺野郎という回答だけで8割はいきそうですが、僕は「乙女」と答えます。どうも、はじめまして。三文です。はい。

 普段はプレイヤーとして活動しているわけですが、今回は読み手として、太宰治の『葉桜と魔笛』の個人的解釈を書こうと思います。


 さて、ここでまだ『葉桜と魔笛』なんて作品知らないよー、読んでないよーという方は一度ブラウザバック推奨です。無料で読みたいなら、青空文庫で。紙で読みたい方は角川文庫から出てる『女生徒』という短編集を買ってみてください。そこに載ってますから。物語の長さは文庫本で11ページほど。1p/m(1ページ毎分)という僕が即興で作った速度でも、11分で読める程度の短さですからぜひぜひ。


 〇それでは、いよいよ本編の始まりです。


 『葉桜と魔笛』の登場人物は、語り手の「私」、結核持ちの「妹」、妹の文通相手である「M・T」、恋愛に対しても厳格な「父」の四名です。


 この物語を(僕なりに)起承転結に分けるとすると、主な要素は次の様になります。


 起 

 「妹」は「M・T」と文通をしていたが、「M・T」は「妹」が結核だと知ると“もうお互い忘れましょう”と言って手紙を送らなくなってしまう。


 承

 箪笥を開けてこれらのやり取りを知った「私」がこれでは「妹」が可哀想だと思い「M・T」になりきって手紙――“あなたのお庭の塀のそとで、口笛吹いてお聞かせましょう”――を書く。


 転 

 「妹」は、手紙の書き手が「私」であることを即座に看破したうえで、実はこの文通は自作自演のものであると告白――“あんまり淋しいから、おととしの秋から、ひとりであんな手紙書いて”――。

 

 結

 「私」と「妹」が二人で泣いていると、外から口笛が聞えてきた。

 このことから、「私」は“神さまは、在る”と思うようになったが、後に実は「父」の仕業だったのではないだろうかと疑うようになる。


 ……というわけで、ここからが解釈のお仕事です。


 僕がこの物語を読み解く上で重要な箇所はそれぞれの嘘にあると思いました。一度、語り手である「私」のことと「妹」のことを信用して、登場人物がついた嘘をまとめるとこんな感じ。


「私」・・・「私」が書いた手紙を「M・T」からのものだと言って「妹」に渡す。

「妹」・・・「M・T」との文通

「父」・・・最後の口笛。

「M・T」・・・×(「妹」の証言より架空の人物のため)


 まあ、口笛の吹いたのが「父」であったとして、それを嘘と表現するのは疑問の残るところではありますが、しかし、“厳酷の父としては一世一代の狂言”という表現がある以上、嘘と表現しても良い気がします。


 さて。僕は、この嘘の中に本当が紛れ込んでいると思うのです。さながら探偵の気分ですね。「犯人はこの中にいるッ!!」と叫びたい気分です。

 しかし、僕がそこらの探偵と違うところは結論から始めるところです。

 僕が推しているのは、「M・T」実在説。つまり、「妹」の嘘は、「M・T」との文通ではなく、それを自作自演と言ったところにあると思うわけです。


 —―「M・T」が実在するなら、「M・T」の嘘は何?


 この質問には口籠るところですが、こじつけは出来ないでもないです。証拠はありませんけど、「M・T」は「妹」と別れる理由に結核をあげていないはずです(適当は言葉を吐いたはず……)。でも間違いなく結核が理由です。どうせクズですから。うん、強いて言うなら別れる理由として嘘を吐いたということになりますね。


 それはさておき。

 僕がこのように思ったのは、「私」と「父」がついた嘘の特性にあります。この二人の嘘は、「妹」のための嘘なわけです。それで、「妹」の嘘は自分を慰めるための文通というのは、なんがか違う気がするわけです。「妹」の嘘は気遣ってくれた「私」がこれ以上悩まないで、良いようにするための嘘ではないかと。


 —―では、「M・T」は誰の為に嘘をついたのか。


 正直、この作品において「M・T」の立ち位置はそれほど重要でもない気がします。つまり、「M・T」は考察する必要があまりないキャラクターだと思うわけです。「私」「妹」「父」の嘘には家族愛という理由があって、「M・T」は「妹」に対する愛がなかったわけですから。つまるところ、「M・T」に与えられた属性にクズ以上のものはないと思うわけです。


 という訳で僕の解釈を整理すると、『葉桜と魔笛』ではそれぞれが嘘をついている。「私」の嘘は、「M・T」を偽って手紙を宛てたことであり、「妹」は文通が自作自演のものであると言ったこと。そして「父」が一世一代の狂言。


 それで、僕の結論は「皆はどう思う?」ってなところです。結局、小説は読み手の数だけ面白い解釈がありますから。


 そして、僕も僕の解釈に疑問が残っていたりします。

 それは、「妹」の結核の判明も文通も三年前ということ。わざわざ正確な数字が出ているとなるとやっぱり――うーん。


 さてさて、皆さんはどう解釈しましたか?

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太宰治『葉桜と魔笛』の個人的解釈 三文 @Sanmonmonsan

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