九織瀬 絢莉はこの世界に向いていない

かみひとえ

Case.1:九織瀬 絢莉、という呪いについて

第1話:俺は彼女に呪われている

 これは呪いかもしれない。


 どこかで読んだことがある。幼少期から見慣れたものは無意識に好意的に捉えてしまう、と。


 だから、俺が幼なじみの九織瀬 絢莉(くおりせ あやり)のことをついつい目で追ってしまうのはどうしようもないことだった。


 なにせコイツとは、生まれたときから家が隣同士の同い年で、そのうえ、家族同士も仲がいい、とかいう安っぽいWEB漫画みたいな関係だったのだ。ほとんど兄妹みたいなモンだったんだから仕方ないじゃないか。


 どんな状況でもそこに絢莉がいれば振り向いてしまう。


 そう、それがたとえ、俺がいわゆる、不良、と呼ばれる上級生どもに薄暗い路地の奥で思いっきりボコボコにされているにも関わらず、だ。


 だから、きっとこれはもはや呪いにも近いものなのかもしれない。彼女から目が離せなくなる呪い。ああ、なんておぞましい呪縛なのだろう。


 絢莉はただ近くを通りがかっただけに過ぎない。本当にたまたまそこにいただけで、だから、俺のこの状況は彼女には全く関係ないことだ。俺がただ単にこいつらにムカついただけだ。


 そして、胸倉を掴まれ今にも殴られそうな俺と目が合うや否や、彼女は男同士の神聖なる戦いにづかづかと踏み入ると――


「またイジメられてんの?」


「その、イジメ、って言葉で暴行と恐喝とその他もろもろの凶悪な犯罪行為を矮小化するのをやめろ」


 ……それは絢莉がこの路地に来てほんの数刻の後のことだった。


 悪戯っぽくにししと笑う彼女の後ろには、さっきまで殴られていたこっちが憐れになるほどに、喧嘩と恐喝くらいしか取り柄がなさそうな上級生全員を容赦なく叩きのめした後のあまりにも無残な地獄絵図が広がっていた。……これ、ヘタしたら俺のケガよりもひどくないか?


「せっかく助けてあげたのに何をねちねち言っているのかしら」


 俺にその小さな手を差し出す絢莉。あれだけの大立ち回りをしておいて、傷一つない綺麗な白い手だ。どうしたらああなるんだ。これだけの白さがあって病的ではないきめ細やかな肌の色なんてはたしてあり得るのだろうか。


 さらり、少し屈んだ拍子にうっすらと桃色がかった金髪が揺れる。どう考えても普通じゃない地毛の色が薄暗い路地でもなおキラキラときらめく。まるで髪の毛から光が放たれているんじゃないかと思うほどに眩しい。


「助けてくれなんて頼んでねえよ……」苦しまぎれの悪態が精いっぱいだった。


 日本人離れしていると言えば、俺の顔をまじまじと見つめるこのサファイアブルーの大きな瞳もそうだろう。本当に同じ種族なのかと思ってしまうほどの透明な色の中に、俺の陰鬱な顔が映り込んでいるのに虫唾が走って、思わず彼女から目を背ける。


「で、どうして平和主義者のキミがこんなことになってんの?」


 その誰が見てもたわわなものは、ふんわりとした柔らかさを感じさせる大きさで、夏服の白いブラウスだけじゃその存在感を隠しきれない。なんだったらサイズが合わないブラウスは胸元を押し上げて強調すらしている。華奢なウエストとの対比でその膨らみはより際立ってしまっている。


 そんな思春期の男子高校生が目の前で対峙するにはあまりにも凶悪な胸を強調するように無防備に前屈みになって、絢莉は俺の顔を覗き込む。ドキッとして視線を下に向けた。


 そして、一番の問題は彼女自身がそれらの尋常ならざる魅力を全く気にしていないことだ。無自覚での全方位無差別爆撃ほど危険で物騒なものはない。これで同い年はどう考えても遺伝子レベルで種族が違うだろ。


「……お前には関係ねえだろ」


 俺は彼女の手を取らず、自分で立ち上が……ろうとして、全身の痛みに襲われて、小さく呻くことしかできなかった。小さく舌打ちをして、俺は立ち上がるのを諦めることにした。


 そんな俺の無様な姿を見て、絢莉は小さくため息を吐いた。


「知ってるよ。どうせ、またワタシのことでもバカにされたんでしょ?」


 俺を覗き込む小悪魔的笑みを浮かべるその顔は、まだ少女のようなあどけなさと気まぐれな無邪気さと、大人のような優雅さと魅力を完璧な比率で持ち合わせていた。まったくもって意味がわからない。


「もういいってば、ワタシ、そういうの気にしてないからさ」


 その無邪気な表情には憂いも翳りもない。そこにあるのはただ、宝石のようなきらめきだけだ。


 実際、絢莉はその言葉通り、自身がどう思われていようが全く気にしていないようだった。今までもそうだったし、きっとこれからもそうだろう。


「……俺が気に入らないんだよ」


 ぼそりと呟いた言葉は幸運にも彼女には届かなかったようだ。

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