第15話  神はお困りです

   お土産の風呂敷を開けると、餡入りの餅を押しつぶしたように平たく焼いた菓子が恐ろしいほど入っていた。

 包みを解くとほんのりウメの香りが鼻腔を擽る。

 朝食を食べた後にも関わらず、ゴクッと喉がなった。


 大きなヤカンになみなみとお茶を淹れ、いただいた土産を大皿に山にように盛った。

 ウメさんと自分の分として10個ほど別皿に盛った。

 縁側ぎりぎりのところにそれらを置き、板の間まで戻る。

 ふと振り返ると、すでに無かった。


「おいしいです。なんと言うか……素朴なのに上品で。懐かしいような気持ちになります」


「まあ! そう言っていただけると嬉しゅうございます。これは私が暮らしております社の近くで茶屋を営むババが、その昔一言主神様にはひとかたならぬ御恩をいただいたそうで、私が呼ばれたことを聞きつけて持たせたものでございます」


「そうですか。おじいちゃんのお知り合いからですか。ありがたいです」


「梅枝餅と申しますの。梅の枝に突き刺して餅を焼いたのが起源だそうです」


「だからほんのりと梅の香りがするのですね」


「そうかもしれませんわね。ババは儲かり、人々は喜び、痛い目を見るのは私だけ。ホホホ、難儀なことでございます」


 ちょっと意味が解らないハナは、聞き流すことにした。

 ゴクッとお茶を飲み干し、立ち上がる。

 書台を運び出して、墨をすり始めたハナ。

 その間に、ウメはテキパキと湯吞と皿を片づけている。


「では始めましょうか」


 どこからともなく古い書物が現れ、自動的にパラパラと頁が捲れていった。


「そうです。読めるようになると、今の言語との共通項がわかりますでしょう? 変わっているようでさほど変わってはおりませんから」


 ウメは妖艶な微笑みでハナを励まし続ける。


「だんだん掴めてきたかも……」


「読めるようになれば古文書も祝詞も読めるようになります。あとは独特な言い回しだけですわね。それも理解できるようになれば、この国の本当の成り立ちや、ハナ様のおじい様達や私たちのように下々の神についても理解できるようになりますわ。頑張って下さいまし」


 ハナは大きく頷いて、書台を抱え込むようにして集中した。

 ウメは全く気配をさせず、何やら厨房でやっていたが、ハナは目線の端でそれを認識しているだけで、全く気にはならなかった。


「ウメさん。ここはどう解釈すれば……」


 質問をするために顔を上げたハナの鼻腔を、鶏肉特有の甘い香りが擽った。


「はい? どこですか?」


 ウメは纏っている着物の袖をたすきで括り、白地に赤い梅の花が染め抜かれている手拭いで姉さん被りをしている。

 まるで博多人形のようなウメの美しさに、同性のハナでさえ息を吞んだ。

 菜箸を握り込んだまま、ハナの疑問に応えていくウメだったが、ハナは暫し呆然自失状態だった。


「あらあら、集中力が切れてしまいましたわね。鍋も頃合いですから食事にしましょうか」


 振り返ると三人の神たちはすでに酒を酌み交わしていた。


「おわったか? ハナ。食おう、お前も来い」


 すでに板の間に準備されていた食器や香のものを座敷に運び込む。

 大き目の置き炉には、すでに赤々と炭がおきていた。


「重たいですから気を付けてくださいね」


 ウメの言葉に頷きがら、慎重に鉄鍋を運ぶ。


「待ちかねたわい」


 置き炉を4人で囲み、夕食が始まった。

 今日のメニューは若鶏の水炊きだ。

 生のまま一番上に乗せられているにらの端の色が濃くなったら食べごろだ。


「そろそろだな。ハナ、薬研をとってくれ」


 竹筒に入った七味を渡す。

 これは京都の狐神からシマさんに送られてきたものらしい。

 どうやらシマさんの実家だとか……

 つい最近の出来事のように聖徳太子の話をする三人の横で、黙々とハナは端を動かした。

 厨房から声がかかり、昨日と同じようにてんこ盛りの稲荷ずしを運んだ。

 鍋を下げ食器を片づける。

 置き炉はそのままにして炭を注ぎ足し、焼き網を置いた。


「ウメさん、私は湯あみに行ってきます」


「はい、お湯の準備はできていますからね。どうぞごゆっくり」


 神というのは風呂に入らないのだろうかなどと考えながら、今日習ったことを頭の中で復習していた。

 小窓の外からウメの声がかかる。


「お湯加減はどうですか? 少し熱くしましょうね」


「ありがとうございます」


「どうぞごゆっくり」


 久しぶりに髪をすすぎ、ぬか袋で肌をこすると、なぜか泣きそうな気持になった。


「ハナさん、私はあなたの先代にもお会いしているんですよ」


「え? 先代って百年前の?」


「ええ、あの方もお勉強には苦労なさったけれど、代が移ろうごとに大変さが増しているように思います。それに、私の霊力も年々減ってきていますしね」


「そうですよ? 減るのです」


「やはりお供えとか信仰心とかの関係ですか?」


「それもありますが、困ったときの神頼みという人間が増えた事が大きいですわね。信仰というのは日常の中に根付くべきものですから、普段は素知らぬ顔で素通りしている者たちが、困ったときだけ押し寄せてくるのです」


「ああ……神側としては無視もできずという感じですか」


「いえいえ、神といっても好き嫌いはありますよ。でも中には本当に拾わないといけない祈りもありますから、選別に疲れると言いう方が近いですね」


「ふぅ~ん……」


「最近のことですが、我が主のところに変わった願いをする娘が来ましてねぇ。嫁ぎたくないから助けてくれと言うのです」


「嫁ぎたくない?」


「ええ、女の幸せというものも時代と共に変わるのでしょうね。我が主は学問の神ですから、なんとも手に余ってしまって。お困りのご様子でしたわ」


「それは大変ですね」


 返事をしながらハナは考え込んでしまった。

 今の私は言われるがまま、決まっていた定めをただ全うしようとしているが、そこに自分の意志は存在しているのだろうか……

 今の私は、本来の私なのだろうか……

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