第2話「参加」

 そして、私にとって運命の日が、やって来た。


 ひと月前に参加を決めた私が、とんでもなく手痛い大失恋をしたのは、二年前の十六歳の時……今はもうすぐ十八歳。


 結婚したいという気持ちはちゃんとあるのに、足かけ二年の日々を、無為に過ごしてしまった。


 自分でも思う。せっかくの大事な時間が、もったいない。


 なので、こうして私が『仮面婚』に参加しようと思ったのは、上手くいかない自らの恋愛事情に疲れ、もう条件に合うのなら誰でも良いと思ったからだった。


 顔や仕事や家庭の事情、それが複数人分同時に見えてしまえば、たった一度しかない人生なのだから、どうしようこうしようと延々と迷い続けてしまうだろう。


 けれど、そういった迷う要素が全く見えずに、ただ自分に合う人柄のみで判断し、自分で結婚すると決め、始める結婚生活ならば、その人とどうやってこれから先上手くやって行こうということしか考えなくて良い。


 人が選ぶことの出来る選択肢は多過ぎると、あまり良くないのかもしれない。迷って迷って時間を消費し、結局のところ、何かを選ぶことに億劫になってしまう。


 大事な決断を下す前には、迷うこと自体は当たり前のこと。けれど、思い切った決断の出来る人の割合は、多分少ない。


 条件が合い、それなりに育った環境が同じ人を、簡単には逆らえない存在から「この人と結婚して愛しなさい」と言い渡された方が、人生で間違えない選択しなければならないという重みから解放され、ある意味では楽なのかも知れない。


 結局のところは、夫婦として安定した生活に辿り着くまでに、幾度も迷い数え切れない失敗して、それでもこの選択肢に間違いなかったかと迷いは誰しも生まれてしまうだろう。


 それは、政略結婚でも恋愛結婚だとしても、変わりなく、きっと同じ結果になってしまうはずだ。


 『仮面婚』の基本的なルールとして、これに参加することは、誰にも言わないことになっている。


 だから、私がこの場に居ることは、両親も誰も知らない。なんでも話せる存在、仲良しのメイドのサマンサにも。


 誰の許しも必要なく、本人のみが結婚相手を選ぶ恋愛結婚至上主義が奨励されているので、それでも構わないのだ。


 明日、私がここで出会った誰かと結婚したと聞いても、きっと喜んでくれるだろう。けど、今日決まらなくても、また別日に良い人に出会えるかもしれない。


 どちらにしても、私本人の同意なしには結婚は成立しない。そういう意味では、どこか安心感があった。


 これから参加する『仮面婚』の流れは、とてもシンプルだ。


 男女別の出入り口から入った参加者は、受付で仮面を渡されて、それを身に着ける。収入や両親の身分などいくつかに大きく区分けされてから、それまでの自分の生活水準に見合った部屋へと案内される。


 そして、部屋の中で自分が特定されないという条件の会話のみで交流を深め、お互いに気に入った男女は、別室に移り、なんと早速婚姻書類にサインしてから、ここで仮面を外し合う。


 そして、『仮面婚』での結婚式については、成立してから二人の生活が落ち着いてから準備するのが通常らしい。


 つまり、鉄は熱い内に打てとばかりに、ここで結婚したい二人が相手を自らの意志で決めたんだから、あれこれと考える時間などなく、さっさと実質的な夫婦になれと意味らしい。


 まあ……確かに、そうだわ。


 だって、昔、この国でも良くあったように、親が決めて婚約してから結婚する人たちだって、結婚生活の始まりは、ほぼこんな始まりだったはずだ。


 相手を選べずに婚約者だからと若い時から多くの時を過ごすか、結婚適齢期に親から紹介されるか……なんにせよ、相手は選べない。


 それが、上手くいかないケースだってあっただろうけど、上手くいくケースだってとても多かったはず。


 そういう始まりの方が楽な人だって、絶対に存在する。


 係の人に案内され、私が緊張しながら扉を開ければ、同世代の身なりの良い人たちが緊張しつつお互いを窺っていた。


 顔を覆い隠れてしまうくらいの仮面は着けてはいるものの、身体などは隠せない。体型はその人の生活習慣なども覿面に見えてしまうから、そういう判断ならば先んじて出来そうだ。


 壁際に立ち緊張して複数の異性の様子を窺いつつ、まだ誰とも話せない。受付の人から、今日の参加者が全員揃ってから開始になると説明されていたからだ。


 それに、同性ともまだ話せない。グループで話すことになり、もし、同じテーブルに居る彼女が知り合いだと思っても知らない振りをするルールだ。


 だって、結婚したいと集まった訳だから、同性の友人を作りに来ている訳でもないもの。


 誰とも話せずに緊張した空気の中、こういった時は自然と隅の方へと寄ってしまうのか、私と同じように壁際に寄って居る人は多かった。


 係の開始の合図を待っている時に、なんだか視線を感じて、そちらの方向へと何気なく目を向けた。


 背の高い男性が身につけた狼を模した仮面は、全顔を覆い、彼の目の色を窺い見ることも出来ない。


 けれど、不思議と彼がこちらを見ていることが、わかってしまうのだ。


 ……何かしら……けど、なんだか嫌な感じはしなかった。


 私も彼をまじまじと見てみると、堂々として余裕があり、姿勢が良くとても背が高い人だ。髪の毛は黒いようだけど、後ろに丁寧に撫で付けられていて、正面から見れば前髪がない。


 身に着けている服も遠目で見てわかるくらいに、質が良い高級品だ……誰かしら。もしかしたら、名のある紳士なのかもしれないけど、私には彼が誰わからない。


 時間ギリギリに最後の一人が会場へと駆け込んで、それから係の人が現れて、飲み物や軽食などは、専門の給仕が居るから注文するようにと何個か注意事項などの説明があった。


 そして、時間になり『仮面婚』の開始を告げた。


 これを待っていた部屋に集まった参加者は、各々仮面を着けたままで気になっていた異性へと近づき、話し始めるようだ。


 私はここで、周囲を見回した。さっき視線を感じた狼の仮面の紳士は……どこに、行ってしまったかしら?


 とりあえず、彼と話したいと思ったのだけど。


 顔も見えずに何か惹かれるものを感じていた彼を探していると、他でもない探していた男性に手を引かれて、私は驚いたけど文句も言わずにそのまま従った。


 私は……結婚するのなら、もう誰でも良いと思ってしまっていたし、彼だってきっとそうだろう。


 それに、急に強く握られて強引に引かれた彼の手からは、嫌なものを感じなかった。


 話の纏まった男女の使う婚姻書類を書くための小部屋は、何部屋か用意されているようだった。けど、本当に数秒とかからずに相手選びを終わらせた私たちは、当たり前のように一番近くにある部屋を使うようだった。


 「もう結婚するのなら、誰でも良い」という私の投げやりな思いは、これからの一生を決めると言っても過言ではない婚姻書を書いている時も隠せなかった。


 先に書かれた結婚相手の名前だってろくろく見ず確認することなく、自分の名前をその隣へとサインした。


 正式な婚姻書を力なく渡した私に、国に雇われている初老の夫人が微笑んだ。


「ご成婚おめでとうございます。どうぞ、お幸せに。開始早々成立で、何年か仮面婚を担当している私も、とても驚きました。私も開始から担当しておりますが、こんなにも成立が早かったカップルは、お二人が初めてですよ」


「……ありがとうございます」


 私は蝶を模した仮面を外して、感じの良い応対をする彼女へ微笑んだ。


 それは、確かにそうだろうと思う。


 だって、私たちは開始早々に手を繋いで、この部屋へとやって来たのだから。


「まさに、電撃結婚ですわね。ふふっ」


 私の隣に座る男性も軽く会釈をして、また成婚したカップルが出たと嬉しそうな彼女は、婚姻書類を持ち去って行った。


 名前も知らない彼は、まだ仮面を外さない……これから、この人がどんな顔をしていたとしても、私は今日から彼と生活を開始するんだ。


 ……何故かしら。彼は私の顔を見ても、何も言わない。


 無理に褒めて欲しいとまでは言わないけど、なんかしらは言って欲しい。


 私の顔は、期待はずれだったかしら……仕方ないわ。今までのどの恋愛だって、上手くいかなかったものね。


 彼もこうして開始早々に私の手を掴み、ここまでやって来た。


 一言も話していないし、結婚できるなら誰だって良いと思っていたのは伝わって来たから、私だってそれは同じことだ。


 この結婚は二人とも、誰でも良かったんだわ。


 そう思うと、いけないとはわかっていても、長いため息をついてしまった。


 いけない。


 恋愛のような甘い結びつきなんて、この制度には必要ないというのに、相手に失礼だわ。


「……どうしたの。ため息なんか、ついてさ」


 私は彼の言葉を耳にして、ぱっと俯いていた顔を上げ驚いた。


 別に言葉の意味が、問題なのではなくて……その聞き覚えのある声に!

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