あいつは俺の仇!

あわわ

運命?いい女に出会う

 俺は、加羅翔介29歳の新聞記者だ。


 といっても一流紙、日の出新聞社の傘下とは名ばかりの三流のスポーツ新聞『スポーツモーニング』の芸能欄を担当している。


 週刊誌にスクープされた記事の後追いが専門で、粘りと罵倒に耐えられるだけの図太い神経があれば誰にでもできる仕事だ。


 「おまえも後追いばかりじゃなく、たまにはスクープの一つでも取ってこいよ!」

 俺の仕事ぶりが気に入らない上司、前栄編集長に今朝も言われた台詞だ。


 (スクープと言ってもたかが芸能人のスキャンダルじゃないか)


 俺は、普段からそんな事を思っているせいで、どうも仕事をやる気になれない。


 というのも、俺は元々、系列最上位の「日の出新聞」社会部にいた先を嘱望しょくぼうされた記者で、社会にはびこる悪を記事で暴くのを仕事にしていたからだ。


 優れたスクープ記事に贈られる社主賞をこの歳で二回も受賞した事があり、パパラッチ業務になじめないのはわかってほしい。


 “プライド”


 多分そんなところだろうな。


 そんな他人から見ればどうでもいいもんが、俺を生きにくくしていた。


 「人の不都合を暴くことだって充分に社会貢献なんだぞ」

 俺の顔を見ればいつも前栄編集長はそう言う。


 だが、「社会悪を暴くのと芸能人のプライベートを暴くのでは世間様への貢献度の観点から雲泥の差がある」そこの違いを主張すると、


 「ゴミ回収業者が医療用ゴミの処分に困り土中深くに埋めてしまうのは、環境の観点から悪。人気俳優が結婚生活を顧みず素人女に手を出すのはモラルの観点からの悪」

 なんて言っていかにも芸能記者にも存在価値があるみたいな事を言ってくる。


 俺は芸能人のスキャンダル記事なんて、不倫や浮気が報じられると当事者の家族でもない単なる野次馬のくせに、謝罪を求めてくる一介の民衆達の好奇心を満足させるだけのものでしかなく、無くなってもいい分野のものだと思っている。


 ということで、この左遷先から元いた部署への前例のない返り咲きを狙っている俺の選択肢は、このまま上司の機嫌を取りながら我慢して続けていくか、


 「こんな仕事やってられるか!」

 捨て台詞を残して里に帰り家業を継ぐかの二択しかなくなっていた。


 ◆


 人気俳優の不倫スクープ記事について本人のコメントを取るために、やっと見つけた潜伏場所は、三鷹のビジネスホテルだった。


 出てきたところで、「ちょっといいですか」名刺を差し出したところ、「このゴミが」罵倒ついでに腹を殴られて逃がしてしまい、


 (あ~バカらしい、こんな仕事やってられるか)


 やめる方向に傾きかけた気持ちだったが、転機となる仕事が舞い込んできた。


 「加羅、加羅翔介すぐに編集長のところへ行くんだ」


 キャップが電話片手に遠い席から大声で呼びかけてきた。


 俺は、(何事?)と用件を思いつかぬままに隣室の編集長室に急いで向かった。


 「おお、よくきたな加羅」


 部屋に入るなり初めて愛想のいいデカ顔の前栄編集長に出迎えられ、そこで紹介されたのは系列上位の雑誌社からやってきたファッション雑誌の巻頭ページから抜け出て来たような美女だった。


 (スゲェ~こんな美人見たことないぞ!!)


 彼女は、俺好みの親しみやすい笑顔で名刺を差し出してくる。


 「私はERIERIの編集長をしております木村佐和子と申します」


 そう丁寧に頭を下げる美女は、編集長の肩書にしたらずいぶんと若く、


 「え、あなたがあのERIERIの編集長なんですか?」


 そう問わずにはいられなかった。


 というのもERIERIは女性ファッション誌の草分け的存在でありながら、コンセプトにブレがなく雑誌が売れないこの時代にあっても今なお幅広い年齢層の多くの女性たちのバイブルとして高い購買数を誇っていたからだ。


 そんな彼女が、わざわざ俺を訪ねてきた理由は、


 「宇津伏うつぶせリクに会わせて欲しい」


 というものだった。


 宇津伏うつぶせリクとは、俺の幼馴染だが、今ではパリのハイブランド『シャルドネ』と専属契約する世界を股に活躍する超人気のスーパーモデルだ。


 「加羅さん入社試験の最終面接の時に、宇津伏リクさんと友人だと言っていたそうじゃない?」


 (あっ!そんなこともあったなぁ・・・)


 俺は自己アピールとして、


 「誰か有名人に友人はいますか」

 との問いに、宇津伏うつぶせリクの名前を挙げていたのだ。


 「ええ、たしかに彼女とは同郷で、小・中学校時代クラスメイトで隣の席だったこともあり、家も近所でしたからね」


 「そこを頼ってこうやってお願いに来たの。どうかお願い、宇津伏さんの取材を取り付けてくださらない、お願いするわ」


 どうやら宇津伏リクは、取材嫌いで有名らしくコメント一つ取るのも至難の技らしい。


 「そうですか、でも友人と言っても、もう17年以上も前のことで・・・」


 俺のこの弱気な発言にすぐに横槍がグサリと深くえぐってくる。


 「おい、加羅、おまえが断れるはずないだろう。わかってるよなぁ~」


 今日だけは愛想のいいデカ顔が、ここで昨日の三鷹での失敗を暗に持ち出してきた事で、俺は、殴られた脇腹をさすった。


 「わかってますよ、それぐらい。やればいいんでしょう、やれば、宇津伏リクとのコンタクト」


 「その通りだ。このミッションをうまくクリアしたら、昨日のミスは帳消しにしてやる、いいな加羅!」


 気味悪い笑顔に寒気を感じて俺はめんどくさい上司命令と変わった木村佐和子からの依頼を受け取った。


 (ミッションなんて大げさな)


 俺はこの時、楽勝ムード漂わせそう思ったが、宇津伏リクは本当にガードが堅い面倒な奴であるのにすぐに気がついた。


 翌朝、俺は、神保町にある社を出て青山にあるERIERI編集部に出向く前に、記事追い記者の特権フリーワークを利用してジムに立ち寄り一汗流し、行きつけのゲームショツプにも立ち寄った。


 間もなく発売される四年も待った恋愛ゲームの神髄と評判高い、


 『スィートときめきLOVE(社会人編 リターンズ)』


 の予約を入れるためだ。


 このゲーム通称“スィラブ”は中学生だった主人公、阿部清麻呂が高校、大学そして社会人として成長していく過程をこれまで描いてきた優れもので、ついに五作目にして禁断項目枠として【不倫】が登場すると制作会社から予告もあり楽しみにしていたのだ。


 このゲームの優れているところは、なんといってもリアルで活用できるところにある。


 その証拠に、俺はリアルで女日照りの記憶はない。現在もカノジョはいる。


 予約ができたところで俺は心安んじてERIERI編集部へと向かった。


 なんだか、予約日初日とこの訪問が重なった事に、


 (もしかしていいことあるかも・・・)


 なんて期待までしてしまう。が、そこまで甘くなかった。


 (やっぱり・・・)


 同系列会社とは名ばかりで、俺の所属するスポーツモーニングとはえらく違う衛生的かつ機能的な高級感漂うゴージャスビルの中にERIERI編集部はあった。


 エレベーターからして違う。


 揺れもないし速いし広いし、そしてあの変な臭いもない。


 俺は、最初から劣等感を持ってERIERI編集部エリアに入って、これまたモデル顔負けの美女二人が並ぶ受付に木村佐和子へのアポある面会を求めた。


 丁寧で迅速な対応は見事なものだった。


 向けられる笑顔も作り物であっても、そうは思えない親しみあるもので、すぐに応接室へと案内された。


 今日は、あの美人編集長、木村佐和子が取材対象となる宇津伏リクについていろいろ俺に解説してくれるらしい。


 幼馴染と久々に会うのに少しでも情報があった方がいいとの彼女の配慮だ。


 それだけこのミッションは重要なのだろう。


 香り高いコーヒーが出されるのと同時に木村佐和子は、俺の職場なら似つかわしくない鮮やかなブルーを基調にしたワンピースをなびかせてやってきた。


 「わざわざのおいで痛み入ります」


 そんな丁寧な挨拶に、俺もすぐさま立ち上がり頭を下げてしまった。


 さっそく卓上に積まれた資料の山に俺は圧倒されるも、木村佐和子はそれを、「読め」とは言わず、自身が手に取りながら要領よく宇津伏リクについて説明調に語り始めた。


 「彼女は本当に人見知りが激しくてね、マネージャーがいないと何もできない人なのよ。でもね、一度ステージに上がると別人のような輝きを放つことであの人気を誇っているの。今年もクイーンにこそ選ばれなかったけど“プリンセス10”には三年連続で選ばれたわ」


 毎年2月初旬からニューヨークを皮切りに始まる春夏物プレータポルテのファッションウィーク。ロンドン・ミラノを経てパリコレクションが一週間に渡って開催されるのは2月下旬から3月にかけてだ。


 その最終日、ルーブル美術館中庭に設置されたステージ上で発表されるのが、特に優れた活躍をした10人のスーパーモデル“プリンセス”たちだった。


 宇津伏リクは三年連続でプリンセスに選出されている。


 さらにその中から一人をモデルの最高栄誉として、


 “クイーン”


 の称号が授与されるのだが、宇伏リクはその栄誉をまだ授かっていない。


 「スーパーモデルのベスト10に三年連続選ばれるなんて凄いなぁ・・・」


 俺は、メモを取りながらそう呟いた。


 「そうなの、プリンセスに選ばれるには、ファッション雑誌の表紙や巻頭モデルの数の他にCM契約数も判断材料になるのよ。それに、なんといっても業界では“メジャー契約”と言うのだけど、ファッションウィーク開催中にシャルドネにプラダやバレンシアガのような一流デザイナーを擁するハイブランドと専属契約して最新作を着てランウェイで披露するモデルとなることが重要になってくるわね。あとは、バイヤーやメディア、報道関係者による投票もあるし選ばれるのは凄く栄誉があり大変なのよ」


 「メジャー契約?大リーグみたいですね」


 「プリンセスに選ばれるには、ただのスーパーモデルではダメなの。日本ではスーパーモデルといえば持て囃されるけど、そんなの履いて捨てるほどいるわ」


 「えっ、そうなんですか?」


 「ファッションウィーク開催中はどのブランドでもモデル不足になることから、フリーのモデルはいろんなブランドに呼ばれてステージに立つわ。そんな子たちもスポット契約だけどハイブランドをまとうことからスーパーモデルと呼ばれるのよ」


 「なるほど、ハイブランドのランウェイをスポットで請け負うだけじゃなく、プリセンスに選ばれるには、ハイブランドと専属契約をして広告塔として、そのブランドの服しか着ないモデルになる必要があると言うんですね」


 「そうよ、特定のデザイナーだけのショーに出る為に選ばれたモデルになるのがモデル界では最高のステータスなの」


 「そんなステータスを持った本物のスーパーモデルの中から宇津伏リクは、三年も続けてプリンセスに選ばれるなんて凄いじゃないですか、ゆくゆくはクイーンの座も夢じゃないんですね」


 今度は顔をしっかりあげて俺は、そう問いかけた。


 「それは、どうかしら。今年のクイーンに選ばれたキャサリア・エスポジトはスェーデン系のアメリカ人だけど、彼女は四年連続のクイーンなのよ。年齢だって40に近いし、なんといっても夫子持ちよ。それなのに四年も続けて、いいえ出産で休んだ二年を除くとその前もクイーンだったわ。宇津伏さんは、残念ながらキャサリアほどの存在感は持っていないわね。その辺の打開策があるのかも本人に聞いてみたいのよ」


 木村佐和子は、応接室の壁に大きくあるデジタルサイネージを指さした。


 そこにはERIERI次号となる3月号の表紙上で、なんとも魅惑的な笑みを浮かべた色彩豊かなアーガイル柄の服を着こなしたモデルの姿があり、俺は、見惚れてしまった。どうやらそれが今、話題となったキャサリアらしい。


 「かっこいい・・・子持のスーパーモデルですか、どこかの恋愛禁止が当たり前のアイドルばかりが幅を利かせる国とはずいぶん違うようですね」


 「ええ、スーパーモデルはね、本当の美を求められるのよ。それは見た目だけでなく内面から醸し出されるといえばいいのかしら、そんな内からの美も判断材料にされるの。キャサリアのようにハリウッド女優として培った演技力と出産したこともある豊かな人生経験が、なんともいえない美を生み出していると思ってくださる」


 「なるほど宇津伏リクはまだ30前、若すぎると言った感もあるんですね」


 「たしかに彼女はスーパーモデルの中では若いかもしれないけど、キャサリアの次に人気があるケイト・クランジェットはまだ20歳なのよ。ケイトがモデルデビューしたのは宇津伏さんと同じで14歳の時だけど、その評価の高さは宇津伏さんどころではないわ」


 木村佐和子はそう言うと、マガジンラックから一冊の雑誌を選び出して表紙を指さした。


 俺はその雑誌を手にしてページをめくると巻頭に表紙と同じモデルの姿があった。


 「この娘が、20歳のスーパーモデル」


 「そうよ、その若々しくはじけるような笑顔、魅力的でしょう。そこから彼女が持つ特有の品の高さを感じることができるかしら」


 俺はそう言われ壁にあるモデルと同品質の笑顔に注目してみると、長く美しい脚を露わにした大胆なカットながらもその奥に秘められたなんともいえない、どうとも表現できない何かを感じ取り、


 「これが品位というやつですか」


 そう独白したところ、木村佐和子はそれを拾ってくれた。


 「さすが加羅さんね。それがわかるところは、あの社主賞を二度も受賞しただけのことはあるわね」


 どうやらこの木村佐和子、俺の過去を知っているようだ。


 「どうかしら加羅さん、この宇津伏リクの件を成功させてくれたなら、あなたを元の日の出新聞社の社会部に戻してさしあげるわ」


 とんでもなく唐突ながら、この上ない好条件提示に俺は、


 「本当ですか!」


 そう声を大きくして驚いてみせた。


 「経緯は知っているつもりよ。あなた、渡嘉敷編集局長の勧める縁談を断って左遷されたんですってね」


 「ええ、俺は渡嘉敷さんより木村副編の編集方針を支持していたから、渡嘉敷さんに取り込まれそうになったというわけですよ。えっ、あなたはもしかして木村副編の・・・」


 俺は苗字が同じなのと、左遷理由を知る事から思いつきを口にした。


 「そうよ、私は木村慎太郎の娘よ。ちなみに社主の生方正治は、母方の祖父よ。でも勘違いしないでくださるかしら、私の今の地位は実力で勝ち取ったものですからね、購買数は嘘をつかないわ。でも、あなた渡嘉敷さんに勧められた方とは、それ以前からお付き合いがあったとも聞いたわ」


 「ええ、その通りです。でも彼女は、叔父の渡嘉敷さんの命で僕に近づいてきただけの人でね、交際自体が嘘物だったんですよ --- それより本当ですか、宇津伏リクの取材を取り付けたら元のポジションに戻してくれるというのは」


 俺は苦い話を続ける気はなく、すぐに話題を戻した。


 「ええ、約束するわ。渡嘉敷さんぐらいお爺さまが押さえ込んでくれるもの、そこは確認済みよ、安心して」


 「わかりました。俄然やる気が出てきましたよ。今のようなクズ同然の仕事に飽き飽きしていたところなんです」


 「まぁクズだなんて、そこは私とは見解が違うようね」


 声を出して笑う木村佐和子に思わず、


 「えっ?そうなんですか」


 その見解とやらを聞かせてみろよとばかり疑いの眼差しを向けてやった。


 「だって、芸能人を監視するシステムとして、あなたが今やっている仕事は重要だと思うわよ。加羅さんはそうは思わないの?」


 「思えませんよ、そんなもん」

 

 「そこは男性と女性の違いなのよ。だって、よく考えてごらんなさいよ、人気芸能人の甘い言葉にのって被害を受けるのは、いつも芸能人に甘い幻想を抱く一般女性たちばかりじゃない。そんな気の毒な彼女たちに代わり法で裁けない芸能人に社会的制裁を加えるのが、今のあなたの仕事なのよ」


 俺は、自分が従事している仕事について初めて、(なるほど)と思える意見を聞かされた。それでも、


 「でしたら不向きと言い換えますよ、今の僕の仕事は」


 なんて言って格好をつけてしまったが、ランチまでも一緒にして長々と俺の為に時間を割いてくれた木村佐和子との別れ際に差し出された手だけは固く握って契約を交わした。


 「必ずあなたの前に宇津伏リクを引きずり出してきますよ」


 とまで言ってだ。


 ◆


 木村佐和子からメールに添付して送られてきた宇津伏リクの膨大すぎる資料を俺はすぐさま社に戻ると指定された順番通りに目を通し始めた。


 宇津伏リクはパリ在住で、彼女にアポを取るのに必要な、


 『FAIRY SQUARE』


 ハリウッドや日本にも進出する世界的に名高いプロダクションの本社はパリにある。


 日本に帰国するのは、日本では東京コレクションと呼ばれるがジャパン・ファッション・ウィーク・イン・トウキョウの開催される3月と10月の年二回だけのようだ。


 (ということは、3月には帰国してくるんだな、それでこのタイミングかぁ・・・)


 なぜ、この時期に木村佐和子から、こんな依頼がきたのかも納得したところで、先を読み進めていく。


 身長180センチ 血液型B型のニューヨーク生まれの日本人。年齢は俺と同じ29歳。実家は広島市内で両親と弟がそこにいる。


 13歳の時に世界的カメラマン、エミール・ダルランに送られてきた彼女の写真がきっかけでハイブランド、シャルドネのモデルとしてデビューすることになる。なんとその当時で身長が176センチあったそうだ。


 それからの彼女はすぐに日本を離れパリに移住した事もあり、アジアの若きクールビューテイとして各方面から引っ張りだこになる。


 日本では15歳の時にシャルドネを纏った銀座ジュエリーコサトのCMで鮮烈デビューを飾ることになる。


 当時の宇津伏リクは幼さと高身長からの大人びた感がうまくマッチして日本ではアイドル的な人気を誇ったが、マスメデイアへの登場はほとんどなかった。


 それでもわずかに残るインタビュー記事に目を通すと、幼年期から高身長が原因でイジメにあい極度の人見知りに陥ったそうだ。


 そういえば俺が彼女と出会った小学三年だか四年の時に、学年で一番の高身長だった俺よりすでに高く、全学年でも男子生徒を差し置き彼女が一番高かったのを思い出した。


 俺は、早速、通訳を手配してFAIRY SQUAREに正攻法で宇津伏リクに取材を申し込んだが、検討されるまでもなくすぐに断られた。


 理由は、「日本での取材は全て断っている」だった。


 よほど日本にいい思い出がないようだ。


 それでも俺は、熱意を持って粘り腰で交渉したが、徒労に終わる。


 そこで、


 「彼女が、東京コレクションのために帰国する際に、出向くであろう彼女の広島の実家で取材を直に申し込むことにしたよ」


 木村佐和子への報告を兼ねた淡い間接照明に包まれた行きつけのバーで、そう報告した。


 こうやって仕事のあとに一緒に過ごすのはもう三回目になる。


 「そうね、それしかないかもね。こちらもいろんな伝手を使って日本での接触を試みたけど、どれもこれもダメだったし、期待しているわ」


 俺に向けられる寛ぎある木村佐和子の微笑みの虜になってしまったので、電話で済むような事であっても俺は、「報告」と称して彼女をこうやって呼び出していたのだ。


 「任せてくれなんて台詞さすがに口にはできないけど、最善の努力はしてみせるよ。その結果、」


 「わかっているわ、このミッションをクリアした際の約束は必ず守るし守らせるわ」


 木村佐和子は、ワイングラスに口をつけながら、そっと俺の肩に体を寄せるようにして囁きかけてくる。


 約束とは、もちろん元のポジションへの復帰もさることながら木村佐和子との伊豆への愛車mazda RX7でのドライブ旅行に行く約束も含まれていたのだ。


 その日の別れ際、木村佐和子がタクシーに乗る前に、「うちに来る?」と誘ってくれたが、


 「楽しみは、後にとっておく派なんだ。依頼を終えた後の祝勝会に手料理で招いてくれ」


 そんな台詞を臆面もなく言い放てるのも『スィートときめきLOVE』通称“スィラブ”を長年やり込んだおかげだ。


 ここですぐに誘惑に負けて彼女の誘いに乗るようでは、高ポイントは得られないのだ。


 「わかったわ、必ず宇津伏リクに会わせてね」


 彼女は、俺の頬に軽く唇をあて、そう言ってタクシーへと乗り込んでいった。


 (あ~もったいねぇ~)


 俺は自分のスィラブに支配された行動規範を呪いはしたが、必ず後日、倍以上のご褒美があるのも知っていて無邪気さ満開の笑顔で手を振って木村佐和子を見送った。


 こんな、女心に少しばかりインパクトを残す些細な動作もスィラブ教典の教えだった。


 ◆


 二日後、俺は上司に事情を説明して、久々に広島へ里帰りをする事になった。もちろん公休扱いだ。


 新幹線の中でも俺は、あの膨大な宇津伏リクデータをスマホから目を通していた。そこには木村佐和子による宇津伏リク以外のモデル達の事までも記してある。


 現在の世界最高峰の女性モデル、キャサリア・エスポジト(39)は、天才ではない努力型のモデルである。


 若い時は表現力の貧しさからモデルとしてデビューするも仕事はそれほどなく、スーパーモデルにはほど遠かった。


 キャサリアが変貌を遂げたのは、演技力強化のために17歳になって演劇学校に通い始めた事でだった。

 表現力を徐々に身に付け23歳の時にハリウッドで女優として起用され人気が出てきたところでモデルとしても花が咲き今に至っているらしい。


 多くの自然保護活動に積極的に参加するなど、社会貢献に熱心なところが高く評価され、国連の自然環境保護大使も務めている。


 天才モデル20歳のイギリス人ケイト・クランジェットのデビューは14歳の時で、スカウトされたのは母親と買い物に訪れていたハロッズでの事だった。


 彼女は、天性の品の良さを笑顔で表現できる稀な存在で、その理由に正真正銘の英国貴族の血が大いに貢献しているらしい。


 ケイトのキャットウォークは、どのモデルよりもしなやかで滑らかな動きは幼少期より励むバレエの影響であり、リズム感の良さはバイオリン奏者としての実力のおかげである。


 テート美術館でのチャリテイーイベントでも司会者として成功をおさめ活躍の幅を広げていた。


 宇津伏リクの評価は、シャルドネ専属モデルでありながらヴィクトリアズ・シークレットのショーに初の日本人公式モデルとして登場した事でも高まった。


 その際に、ランウェイでも見せた独特のクールな表情はシャルドネで見せるものものとは違い魅惑的であり他の追従を許さない圧倒的な存在感を放っていた。


 一方で、雑誌等の巻頭ページなどの活躍はあるが、モデル以外の活躍は少なく、より表現力を求められるCMは評判が今一つで積極的に取り組む事はなかった。


 他に、同じ日本人としてスーパーモデルとして活躍する円堂朋美についても記してある。というのも歳も若くポスト宇津伏リク的な存在であるかららしい。


 シアトル育ちで、ニューヨークのハイブンランド『Fool In The Rain』と専属契約するトモミは、紫色の髪と個性的なレザーファッションとマニアチックなヘビーロックの知識で注目を浴び、メタルアワードのプレーゼンターにも起用されている。


 自身のYouTubeでは、メイクの方法やファッションウィークの舞台裏をそのファッションとは裏腹に可愛い笑顔で丁寧に紹介していることで若い世代に人気が高く、ミュージシャンたちとの交流も多くよく記事にされている。


 なぜ木村佐和子が、宇津伏リク以外のモデルについても俺に語るのかは、もう知っていた。


 「宇津伏さんは、モデルとしての資質はあるけどクイーンになるためにはそれだけではダメなのよ。より幅のある活躍が世間に認められないと今以上の評価は難しいわね。このままだとプリンセス止まりということよ。私は彼女と会って今後の方針を相談してもらえるような関係を構築したいの。だからこそ加羅さんには、他のモデルのことも知って宇津伏さんを説得する際の材料にしてほしいのよ。そして秘められたクイーンになるための真の条件に加羅さん自身にも気が付いて欲しいの。その条件をクリアしたものでないとクイーンにはなれないことを・・・」


 俺は木村佐和子の言い分に納得して、彼女からの情報を武器とするために遠慮なく貪欲に知識を取り込んだ。


 (にしてもクイーンになるための秘められた条件ってなんだよ?)


 俺は、(もしかして枕営業pillowか)なんて品の悪い事を思いつてしまう。


 (まさかな・・・)


 そんなのが条件であれば、噂になっていてもおかしくはないが、スーパーモデル業界ではこの手の噂は皆無だった。


 ◆


 二年以上ぶりの広島駅に降り立つと、俺はすぐに赤ばかりが目立つCARP STATIONに目がいった。


 俺が目に入れまくって痛くなるほど可愛がっている小学生の姪っ子二人がカープ女子だからだ。


 幸いな事に美人姉妹で評判だった俺の姉二人は東京にいる。


 三つ上の長女の寛美は俺の住いがある高円寺に近い阿佐ヶ谷に嫁いでいるし、二つ上の次女の博子は、職場の近くの代々木に住んでいて、二人ともいつでも会えるしよく会っていた。


 目的は姉たちに会うためではなく、ジャイアンツファンに成り下がった甥っ子と広島魂を引き継いだ姪っ子に会うためだ。


 二人の姉は共に一女一男に恵まれていて、俺は、おしめ替えもしてよくその子たちの子守をしたものだ。


 そう俺は、子供たちが泣き喚き暴れる声も心地よく思えるほど大の子供好きなのだ。


 まだ幼稚園児の甥っ子とはサッカーもキャッチボールもするしゲームもする。


 小学生になった姪っ子とは、そのコスプレー姿を愛で、そのままの姿でよく遊びに連れて行ったし、俺の通うジムの『親子スイミングスクール』にも親子のふりして通い、「お父さん」なんて先生に呼ばれるのに快感すら覚えていた。


 (俺も早く子供が欲しい)


 そう思うのと同時に、結婚したらスィラブは引退するとも決めていた。


 俺は東京へ戻る時には買うだろう赤い土産の下見を済ませると駅前のバス乗り場へと向かった。


 タクシー代をけちったわけではない。自宅近くまで走る広島交通の路線バスに乗ってノスタルジックな世界に浸るのを楽しむためだ。


 二人の姉も子供がいない時はそうしていたというが、最近の里帰りでは「子供たちが喜ぶ」を理由に、路面電車にあえて乗ってアストラムラインの駅まで行って乗り換えるらしい。


 そして最後は俺が乗る路線バス後半にちょこっと乗ってのお疲れモード倍増の帰宅をするとか。


 広島の俺の実家は、広島市内といっても名物路面電車なんて縁のない、ずいぶん市街地から離れた安佐南区の安古市町にある。


 都心のように鉄道が充実しているわけでなく痒いところに手の届かないアストラムラインが一本あるだけの70年代前半から新興住宅地として栄え、生徒数千人を超えたマンモス校が次から次へと分裂して新しい小中高校が誕生した地域だ。


 特徴的なのは山を削って開発された住宅地が、「団地」と呼ばれいくつも密集してある事だが、俺の実家もそんな団地の中の一つにあった。


 「ただいま」


 実家に戻ると見慣れないヨークシャテリアが俺に向かって吠えながら出迎えてくれた。明らかに不審者扱いだ。


 「おかえり、翔介、その子はライアンよ」


 母親が茶室から出てきて迎えてくれた事で、不審者から客として格上げされたのか吠えるのをやめ、逆に足下で愛敬をふりまいてくる。


 なかなかこの切り替えが見事な賢い犬だと俺は思い、


 「母さん、この子の散歩をしてきてもいい?」


 そう尋ね、宇津伏リクの実家偵察に早々に出かける事にした。


 このライアン君、お誂え向きの俺のミッションの重要アイテムと考えたのだ。


 「あら、珍しいわね、翔介が散歩してくれるだなんて」


 母、美里は、俺の真の里帰りの理由など知るよしもなく、そう言って犬の散歩グッズを用意してくれ送り出してくれた。


 確かに母さんの言うように、我が家には昔“ノッコ”という賢いメスのラブラドールがいたが、俺が散歩させる事はほとんどなかった。


 ノッコは、生後間もなく寛美姉のたっての願いで我が家にやってきた。


 何故か俺に一番懐き、庭で適当に遊んでやってはいたがそれほど可愛がってやった記憶はない。


 だけど、社会人になって一年も経たないうちに死んだ報告を聞いた時だけは、本気で泣いたのを覚えている。


 (もっと相手をしてやればよかった)


 なんでも俺の匂いの染み付いたシャツの中で死んでいったそうで、そんな、どうにもならない思いが込み上げてきたのだ。


 そうなれたのは、当時付き合っていたナース藤村咲子が犬好きで俺に犬との接し方を教えてくれたからだ。


 「ワンちゃんはね、ちゃんと人の言葉やその気持ちがわかっているのよ。だから優しく接して喋りかけてやると、ちゃんと応えてくれるのよ」

 そんな事を言っていつも愛犬のコーギー“ノーラン”♂をデートにも連れてくる子だった。


 俺は、彼女との付き合いでいつしかノーラン君を通して真の犬好きになり、里帰りをしたらこれまでの不義理を詫びてノッコと散歩して毛ブラシをしてやるつもりだったのに、その願いを叶える前に死んでしまった事に、


 「もっと話をしとけばよかった」

 後悔ばかりが襲いかかってきて泣くしかなかった。


 これまで里帰りしても早朝ランニング以外に近所を出歩く事のなかった俺は、夕刻迫る時間帯に懐かしい顔をチラホラ見かけながらライアンとの散歩途中に宇津伏リクの実家前に差し掛かった。


 直線距離なら二分以内の距離だが、ライアン任せのお散歩コースで随分と遠回りさせられたのだ。


 そこには、リフォームされた事で馴染みない眺めがあり、キンモクセイの垣根で覆われていたところが今では防犯カメラ付きの洒落たレンガ調の高い塀に囲まれていて昔のように中を窺い見る事はできなかった。


 それでも明日には東京コレクションは終わり、数日中に宇津伏リクはここへ帰ってくるはず。それをキャッチする手段がどこかないものかと俺はじっくり犬の散歩にかこつけて変わり果てた宇津伏邸を観察した。


 結果、この改装された家は、東京で散々見てきた芸能人仕様の邸宅同様に完全防備体制であることから、張り込みでしか宇津伏リクの動向が把握できない厄介物であることが判明する。


 (やばいなぁ~こんな住宅密集地で路上駐車での張り込みは目立つし、隠れるような格好な物陰もない。どうしたものか・・・)


 俺はここから悩み、あれこれ策を考えたが、どれもこれも現実的でなく、警察に通報されかねないリスク高いものしか思い浮かばなかった。


 (こうなれば、正攻法でインターホンを押して取材を申し込むか・・・)


 そんな事まで考え、最終手段として採用はしたが、そうなる前にこのライアンの散歩回数を増やす事にした。


 というのも平日の日中であれば、ほとんど人通りがないのが昔と変わりなく、そのタイミングで宇津伏リクと接触できれば幸いと思ったからだ。


 「すまんなライアン、俺に付き合ってもらうぞ」


 俺はこの犬を手なずけるために近所のスーパーに寄って高級犬缶とジャーキーを買い込み、帰宅するとすぐにそれを与え毛ブラシもしてやった。


 こうして怪しまれる事なく近所をブラつけるアイテムを武器に宇津伏リクに直接取材を申し込む作戦は始まった。


 なんといっても多大なご褒美付きのこのミッションは成功させないとならない。


 元の職場への復帰、木村和佐子との伊豆ドライブ旅行など俺は彼女から浴びせられる賞賛の声までイメージしてテンションを高めた。


 おまけに、来週に迫ったスィラブの新作発売までが俺への褒美のように燦然と輝いて見えた。


 「翔介は知っているの?宇津伏リクさんを」


 晩食に俺の好物、麻婆豆腐、棒棒鶏を並べてくれた母さんがそんな話を切り出してきたのは、どうやらこの時期になるとこの辺が彼女の帰宅に合わせて人だかりができるからだった。


 「そうなんだ。それで宇津伏さんは、迷惑しているわけだ」


 「そうなのよ、警察が来たこともあったし、可愛いそうに近所を気軽に出歩くともできないのよ。せっかくの里帰りなのに」


 ここで息子とさしで酒が飲める喜びを隠さない父、直輝がいい情報をくれた。


 「宇津伏さんのお嬢さんやったら、犬の散歩の時によー見たで、あそこにも犬がおるけんのう」


 俺の父さんは、地元の名士の一人だ。


 広島近郊で取れる白菜を加工して全国に“広島菜”として出荷している会社の社長で俺にも、(いずれは)と期待をしているようだ。


 この三代目社長の父は、広島北辺の町、吉田町や三次まで出向き、ぶどう作り農家を育てる事に長年精を出し、今では全国の百貨店の高級食材売り場でピオーネの缶詰を販売して大成功を収めていた。


 種のない気軽さと皮を剥かずにすぐに食せるところが人気の要因のようだ。


 ちなみに大学時代の後輩だった母さんは、京都出身で茶道と料理の先生で、花を活ける事もでき出稽古もあって多くのお弟子を抱えている。


 (そうか・・・犬の散歩中に宇津伏リクにわざと遭遇して取材を申し込めばいいじゃないか、となると時間帯はいつなんだ?)


 俺は父さんに、宇津伏リクと出会った散歩の時間帯を聞き出すのに、


 「父さんがこの子の散歩するのってかなり遅い時間だよね」


 膝の上で寛ぐライアンを撫でながらそんな問いかけをしたところ、すぐに知りたい明確な情報が返ってきた。


 「散歩ゆーても寝る前にトイレさせるだけじゃし、たいてい11時過よのぉ」


 (なるほど、深夜に犬の散歩かぁ、これはいいかもしれない)


 俺はその夜から父さんに代わって、ライアンのトイレ御用を23時過ぎから始めたのだった。


 翌朝、俺は、高校時代に買い替えてもらったベッドでライアンの寝返りで顔を蹴られ、昔と何も変わらない木目がどこか愛らしいパンダに見える天井を見ながら目覚めた。


 姉たちの部屋は客間に収納庫になってしまったが、俺の部屋は、いつかはここへ戻ってくるであろうとピアノや机それに俺が全国芸術祭の絵画部門で金賞をもらった高校時代の絵までそのまま飾ってあった。


 懐かしい匂い。

 懐かしい眺め。


 俺は久々の爽快な目覚めからライアンを抱いて飛び起き、二つある窓を全開にした。


 時刻はまだ6時前、昔ここにいた頃には考えられない早起き。俺は、早番記者としての長年の習慣で朝方体質に変わっていたのだ。


 起きてすぐに、顔を洗い母さんの朝支度と父さんの新聞を読む昔と変わらない姿に挨拶してライアンのトイレ御用を兼ねた散歩に出かけた。


 こんな事が普通にできるのも犬好きナース藤村咲子との付き合いが学生時代から新社会人にかけてあったおかげだ。


 彼女は俺が泊まった時は当然で、俺の所に泊まる時も愛犬同伴である事から起きたらまずは散歩なのだ。


 「犬だって人と同じなのよ。目覚めたらトイレに行きたいのよ」

 彼女は、そう言って必ず俺に同行を求めてきたのを思い出す。


 宇津伏リクをここ広島の実家近くで待ち伏せるための待機行動が本格化するのは、帰宅して三日目の朝からとなった。


 俺は、昨日同様に朝早くからライアンの散歩に出ると、彼女の家の前に閑静な住宅街であるにもかかわらず同業者を含むファンたちが集まりだしていたからだ。


 それに木村佐和子からも昨日、東京でのスケジュールを打ち上げパーティーも含めた全てを終えた宇津伏リクがまだ新幹線がある時間帯に突如多くの取材陣の前から消えたと報告があり、昨夜のうちに帰宅した可能性を示唆してきていた。


 「おいおいまだ7時前だぞ」


 俺は帽子を深くかぶり顔を隠して犬を散歩させる地元民風を吹かしながら露骨に迷惑顔を作り宇津伏リク邸前に集う連中を睨みつけた。


 するとやはり近所か、もしくは宇津伏リクの家族なのか迷惑だと感じた誰かが通報したのだろう警察が早朝だというのにサイレンを鳴らして駆けつけて、集まる連中を解散させた。


 こんな事が日に何度も繰り返されるとさすがに五度目となる夕方遅くのライアンの散歩時には誰もいなくなっていた。

 そして俺は宇津伏リクが帰宅している事を敏感に感じ取った。


 昨日まで一定方向にしか向けられていなかった二ヶ所の監視カメラがゆっくりだが首を振るように稼働しているのに気がついたからだ。


 それだけじゃない。


 近くからは見えないが距離を取って坂上から見下ろすと締まり切っていた二階の部屋の窓のカーテンが動いていることもわかり、誰かがいる気配を感じたのだ。


 そして夜の散歩になるとその部屋の明かりが灯り宇津伏リクの存在を明確にした。


 (どうやら今夜が勝負だ)


 そんな昂る気持ちを抑えるために、一日中かまってくれた俺から離れないライアンを膝上にして、自室から交際相手を差し置いて木村佐和子に連絡を入れた。


 「いよいよ、勝負だ。今夜決行するよ」


 そんな伝え方から始まった報告は、


 「さすが敏腕記者ね」


 宇津伏リクが帰宅している推理話をしたところ、そんなおだて台詞まで飛び出してきて楽しいひと時となった。


 木村佐和子は、なんとも交際相手と違い俺のモチベーションのあげ方を心得ているようで、


 「夏にはまだ早いけど、今日買った水着がね紫でね、きっと海辺に映えると思うのよね。伊豆にはこれを持っていくつもりよ。ビキニなのよ・・・」


 なんて言って、目的地となる温泉も熱海や稲取などと協議しながら修善寺温泉に決めてしまうなど、やる気満々にしてくれた事でいよいよ出動する時には、何の恐れも迷いもなく宇津伏リクにダイレクトにぶつかる覚悟ができていた。


 (紫のビキニ紫のビキニ紫のビキニ紫のビキニ紫のビキニ)


 頭の中は、肌寒い海岸に一人浮き立つ紫ビキニ姿と男女混浴の露天風呂での紫ビキニ姿の木村佐和子が交互に占めてしまう。


 予定よりも早めの時刻23時前に、「また散歩なの」母さんに不審がられたが、それでも、「これが最後だよ」なんて気軽に応えて外に出ると天の助けなのか宇津伏邸に差し掛かるとちょうど宇津伏リクと思われる長身の女がグレートピレニーズを連れて外に出てきたところだった。


 (これはラッキーだ!)


 俺はそう思いはしたが、自分で言うのもなんだがさすがは敏腕記者、ここは慌てずあくまでも地元民の犬の散歩を装いわざと彼女から距離をとった。


 (ここは慎重に、家に逃げ込まれたら厄介だ)


 との思いが、検証済みの彼女の限られた散歩コースを割り出していた事から待ち伏せ作戦へと舵を切ったのだ。


 もちろん遭遇時の作戦もあったし、追撃策と色々と考えていた。


 待ち伏せる事わずか十分足らずで、思惑どおり宇津伏リクは、公園の草が覆う外灯下の俺の方にやってきた。


 「こんばんわ」


 気軽な宇津伏リクを直接見ない挨拶に彼女も、犬同士が戯れあっている事もあり気軽に返事をくれたところで、俺は演技始めた。


 「あれぇ、懐かしいなぁ〜宇津伏さんじゃないか、里帰りなんだね」


 だが、予想外にも外灯下での俺の顔をチラッと見るや否や、


 「あなた誰!」


 急に態度を硬化させ、不審者を見るような目を俺に向けてきた。

 

 「怪しいものじゃないよ、俺は近所の加羅翔介だよ。君と同じクラスだった」


 「加羅、加羅翔介・・・」


 彼女はそう呟くと、急に方向転換してもと来た方へと足早に逃げ出していったのだ。


 俺は、迷った。


 ここで事前策にもあるように追撃戦を仕掛け、取材依頼をしてしまうのか、それともここは放置して改めて仕切り直すのか・・・


 俺は決断して、ここは諦めて帰宅した。


 そして深夜にもかかわらずかかってきた木村佐和子からの電話に嘘をついた。


 「宇津伏リクは出てこなかった」


 と。


 ◆


 翌日の目覚めは随分と遅く、気分良好なものではなかった。宇津伏リクが昨夜、外灯の下で俺に見せたあの顔が睡眠障害の原因だった。


 (あれは俺の顔、もしくは俺の声に反応した露骨なまでの拒否反応じゃなかったのか?)


 特に親しかった記憶のない宇津伏リクへの声がけが、早計だったのかもと俺は考えを改めて、正攻法で今日は攻める事にした。


 早速、この予定変更を木村佐和子に電話連絡しようとしたが、眠れない事からYouTubeを見過ぎたせいでスマホのバッテリーが充電忘れもありなくなっている事に気がつく。


 (よほど昨夜の事は俺にとってショックだったんだな)


 俺は携帯充電器を取り出しセットして、朝9時過ぎに誰も屯ろしていないのを確認すると身嗜みを整え、彼女の家の玄関前に立った。


 そしてインターホン越に、


 「近所の加羅と申します」


 名乗り、


 「ERIERI編集部から派遣されて参りました。少しばかりリクさんにお時間をいただけないでしょうか」


 用件を明確にはっきり伝えた。


 ここで、最後の手段の手札を早くも切ったのだ。


 だが、しばらく待つも母親だろうか、事務的な女の声で、


 「お断りします。二度と近寄らないで下さい」


 と冷たく言われてしまい俺は愕然としてしまう。


 「どうしてですか?」


 の問い返しには、もうインターホンは切られていた。


 ここでくじけるのは一般人。


 俺はここから木村佐和子の顔を思い出し、エネルギーを素早く充電するとプロ魂を出して再び宇津伏リクとの接触を試みた。


 そして成功する。


 「宇津伏さん、頼むからこの俺に一分だけ時間をくれ。君にどうしても会いたいという女性がいるんだ。彼女は、間違いなく君のよき友ともなり得る可能性を秘めた若いが日本を代表するファッションコーデイネーターで、雑誌ERIERIの編集長なんだ。頼むから取材としてではなく、君の今後を左右する指針を得る可能性を持って彼女に会ってくれないか、頼む」


 俺は、宇津伏リクの弟が運転するmazda車の助手席に彼女がいるのを確認するとガレージから出てきたところをその前に立ち塞がり大声で言ってのけた。


 「おまえバカなのか、そこをどけよ」


 窓を開けての見覚えのある弟の顔にも俺は怯まず、さらに、


 「必ず彼女は、君を導く人になる。頼むからERIERIの編集長、木村佐和子に会ってほしい。これは取材要請じゃない。彼女もプロの編集者だ、彼女なりに君に伝えたいことがあるらしいんだ。是非、話を聞いてやってくれ」


 俺は、正攻法な取材要請では頷かないとの考えからこんな言い回しを考えていたのだ。


 要は木村佐和子の前に宇津伏リクを引きずり出せば、あとは彼女に任せる作戦で一応俺の顔が立つ策だった。


 だが、ここでも俺は、昨夜見せられたあの冷たい目を車から降りてきた宇津伏リクに見せられて、


 「トオル、すぐに警察を呼んで」


 なんとも酷い台詞を吐かれる事になる。


 俺は、宇津伏リクの前で項垂れてしまい、「僕は加羅翔介だ。覚えてないか」改めて名乗りはしたが反応に変わりなく、騒ぎを聞きつけた近所の人に囲まれて肝心な宇津伏リクが家の中に消えてしまっても解放されることなく警察に突き出されそうになる。


 おまけにその様子をスマホで撮影される始末ですぐに拡散される事が予想され、俺は失意の中で、サイレンが近づく中なんとかからみつく手を振りほどき逃げ出す事に成功した。


 それでも執拗に俺を追いかけてくるのはリクの弟のトオルで、走りながら父に助けを求めて家に電話するため充電器を装着したままのスマホを取り出したところで、運の悪い事に高速で角を曲がってきたパトカーと出くわして跳ね飛ばされてしまった。


 グッシャ!


 鈍い音がしたと同時に俺は宙を舞った。


 (これは死んだな)


 俺はそう思った。そしてなんとなく気軽に願った。


 (どうせ、死ぬんだったらハーレムワールドに転生させてくれないかなぁ・・・)


 なんてだ。


 目覚めたのは、パンダ顔の木目天井が一段と鮮やかな俺の部屋だった。


 手には、充電器がセットされたままのスマホを握っている。


 (なんだ、俺は生きていたのか)


 まずはそう思いホッとした。


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あいつは俺の仇! あわわ @dukestravels

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