おねがい、おてんとさま。

見咲影弥

 おてんとさまが眩しかった。白いレースのカーテンから日が差し込み、ダークオークのフローリングで設えられた床が明るくなる。物の陰影がくっきりと映し出され、カーテン横の換気口が閉じていることも一目で分かった。そういえば、あのカーテンを洗ったのはいつだったかしら。私が自由に動くことのできる身だった頃なので、少なくとも数年は経っているだろう。ここからでも黄ばみが分かり汚れも目立った。直ぐ側で何やら考え事をしている息子に洗濯を頼もうかと思ったけれど、大掛かりなことになりそうだし、洗っている最中私がこんな状態でいることが隣人に見られてしまうのは避けたかったので黙っておくことにした。隣家にはあまり良い感情を持っていない。彼女らが私の弱った様子を見たら、また井戸端会議の格好の餌食になるに決まっている。それだけは避けたかった。もしかするともう既に噂は広まっているのかもしれないけれど。用心するに越したことはない。


 長い時間寝たきりでいると身体の感覚がなくなる。このベッドと一体化しているのではないかという錯覚に陥るのだ。ゆっくりと上体を起こすと、途端に胸がきゅうっと痛くなった。じっとりと汗が滲み出す。まるで締め付けられるような、心臓を鷲掴みにされて絞られているような、そんな感覚。いつものことだ。いつになっても慣れはしないけれど。身を屈め前傾姿勢を取ると幾らかは落ち着く。私が苦しそうにしているのに気づいたのか、息子が近寄ってきた。


「大丈夫かい、母さん」


と心配そうに言って、額の汗をハンケチで拭ってくれた。彼の黒ずんだ手の平を見て事情を察する。


「ありがとう、幸二」


「痛み、随分酷くなっているんじゃないかい」


「うぅん、そんな……たいしたことないのよ」


「それならいいんだ」


彼は子供の頃からずっと変わらない穏やかな笑顔を見せた。でも、溌剌とした青年の姿はもうどこにもない。青い無精髭と伸び切った髪、着古したスウェット。描いたようにくっきりとした眼下の隈。ああどうして――。こんな風になってしまったのだろう。どれだけ思考を巡らせてみても分からなかった。やるせない気持ちだけが増幅していき頭が重くなる。いけない、また深みに嵌ってしまう。分かっていても、止められなかった。沸き起こった感情を曖昧にしたまま、彼に微笑み返した。

 何をするわけでもなく私はただ灰色の壁を見つめながらまた物思いに耽る。つい先刻のことだ、うつらうつらしていた時に沈んでいた記憶が唐突に浮き上がってきたのだ。古い、懐かしい、思い出話だった。どうして今日そんなことを思い出したのかは分からない。偶然私は記憶の糸を手繰り寄せてしまったのだろう。


 鮮明に思い出したのは、父の顔だった。その中でも一段と解像度の高かった口元。


「おてんとさまは、見ているよ」


それが父の口癖だった。


「誰も見ていなくとも、おてんとさまだけは多恵を見ているよ。おてんとさまは善い行いも、悪い行いも上から見ている。善いことには善いことが、悪いことには悪いことが返ってくるんだよ」


多恵は、人の見ていないところでもしっかり徳を積みなさい――。父は事あるごとに、叱るときも褒めるときも、その言葉を用いた。因果応報、報いは必ずある。そう信じて疑わなかった。おてんとさまが総てを見ていてくれるのだから、行いに見合った報いを与えて下さるのだから。おてんとさまに恥じないように精一杯努めてきたのだ。


 父は私が幼いときに心臓の病で亡くなったが、彼の温かい教えはずっと私の心に残っている。私も二人の息子、慶一と幸二を授かり、彼らを躾ける時に父の言葉を借りさせてもらった。その御蔭で二人はこれといって大逸れた捻くれ方をすることなく、善良な青年に成長してくれた。


 おてんとさまは、見ているよ――。いつからだろう。こんなことになってしまったのは。私は神に誓って、いや、おてんとさまに誓って真っ当な道を歩んできたと言える。それなのに。どうして――。


「どうした?何かあったの」


気がつくと涙が頬を伝っていた。ううん、何でもないの、と誤魔化して袖で拭う。


「やっぱり変だよ、母さん。急に泣き出したりして」


幸二は薬の準備をしながら言った。


「ほんとに、痛むとかじゃないの。ただ、昔のことを思い出しただけ」


すると彼はふっと自虐的な笑みを浮かべた。


「母さんも僕も、あの頃で時が止まったままみたいだ。僕ら、いつだって心が今にない。抜け殻だね」


「そうね……いっそ全部終わってしまえば、よかったのかもしれない」


息子には言わないと夫と約束した筈の弱音。最近はよく口を衝いて出る。幸二には申し訳ないと思うけれど、こうして弱い自分を彼に曝け出すことでしか自分を保てない。


「はい、母さんの」


と彼は私に錠剤を渡した。幸二も私と一緒の時間に薬を飲む。忘れず服用するための取り決めだ。彼の薬は私と違って精神のものだけれど。私も彼もずっと処方された同じ薬を飲み続けている。それ以上の効果を持つものはないのだろう。もう良くなりはしないのだと突きつけられる気分である。私は覚悟を決めて、いつもより小さい錠剤を口に含んだ。

 願ってきたのは、ささやかな幸せ、ただそれだけだった。それ以上のことは何も要らなかった。夫と慶一と幸二、そして私。4人の温かな家庭、私にとっては他の何にも代え難い幸福だった。使わなくなった食卓を見遣る。机の上に今は無造作に介護用品やら食材やらが置かれているけれど、あそこには私の作った料理が並んでいた。仲睦まじく、家族で食卓を囲んだ。4人がけの席。誰も座らなくなった空席。私も、もうあそこに座ることはない。


 きっかけなんてなかった。不幸は何の予兆もなく我が家を襲った。


 *

 長男の慶一は、産んだ私が言うのはおかしい気がするけれど本当によくできた子だった。元気で溌剌とした子で、だが手に負えない子だったかというとそうではなかった。私の言いつけはきちんと聞いてくれたし、次男の幸二が産まれたときも素直に喜んでくれて、面倒をよく見てくれた。素直で心優しい子だった。反抗期はあるにはあったが、「ふざけるな、ばばぁ」と暴言を吐いた後少しして「さっきは言い過ぎてごめん」ともじもじしながら謝ってきた。他所では食器を投げたり暴力を振るわれたりして大変だと聞いていたので、それならこっちも反抗してやろうと構えていた私は拍子抜けしてしまったのを覚えている。


 そんな反抗期と言えるか怪しい程の小さな波を乗り越えると、彼は立派な青年になった。ついさっきまで見下ろして話していたのに、いつの間にかとっくに抜かされていて背丈も夫と同じくらいになっていたので驚いた。あっという間の18年だった。高校生になっても温厚な性格で、幸二とは取っ組み合いながら笑うような仲の良い兄弟だった。彼は高校を卒業して地元の工場に就職した。学力はそこまで振るわなかったので進学は諦めることになったのだが、彼自身そこまで気にしていなかった。


 卒業祝いでバイクを買ってやろうと言い出したのは、意外にも夫だった。慶一は高校生になってからずっと欲しい欲しいと漏らしていたものの、我が家は家のローンで手一杯で彼の娯楽にお金を渡せるほどの余裕はなかった。自分で稼いだ金で買って頂戴という話に纏まり、彼もそれで渋々納得した。しかし夫は、彼のいないところで私に告げた。何とか工面してやることはできんか、と。


「卒業祝い兼就職祝いだ。ご褒美としては良いだろう。バイクなら通勤にも役立つじゃないか」


夢を叶えてやりたいんだ、夫はそう言った。あらゆる面において厳格で、昔の男という観念をそのまま表したような人だったから、彼の発言には驚いた。てっきり私は夫も駄目だと言うものだろうと思っていたのだ。いいだろ、多恵、と彼は少し照れながら言ったので、私は彼の優しさで胸が一杯になった。改めて彼に心惹かれたと言っても過言ではない。何とかやりくりして費用を捻出しようと夫と計画を立てた。


 バイクを買ってやる旨を慶一に伝えると彼は飛び跳ねるように喜んだ。家計も苦しいのだから自分ばかりが贅沢を言ってはいけないとすっぱり諦めようとしていたところだったという。彼はありがとうありがとうと何度も私達に言うので、悪い気はしなかった。夫も気恥ずかしそうに顔を赤らめていたが、わざとらしく咳払いをして、その代わり仕事に精を出すんだぞ、と照れ隠しかぶっきらぼうに言った。私達はとっても幸せな気分になった。心の底から、彼にバイクを買い与えて良かったと思ったのだ。


 一年後、彼は事故で死んだ。交差点で右折しようとしたトラックと彼の乗っていたバイクが正面衝突したのだ。トラックに撥ねられ、彼は勢いよく地面に叩きつけられた。病院に運ばれた時には手遅れだった。原型を留めていない半身が痛ましく、顔半分が包帯で隠された状態での面会となった。私は遺体安置室で泣き崩れた。彼の痛ましい身体に覆い被さって涙が枯れるまで泣いた。無理してバイクを買うんじゃなかった、悔やんでも悔やみ切れない、帰れやしないあの頃を何度も思い返しては咽び泣いた。夫も同じことを悔やんでいた。幸二も仲の良かった兄の突然の死にすっかり憔悴していた。


 夫と幸二に両脇を抱えられるようにして参加した葬儀で、私は心無い声を耳にした。


「あの子のバイクの音、近所の皆迷惑していたみたいよ。こうして事故に遭ったのも、天罰よねぇ」


違う。そんなことはない。私だってバイクの音は好きじゃなかった。だから家の前で噴かすのは止めて頂戴と彼に口酸っぱく言っていたのだ。彼も、私があんまりしつこく言うので分かった分かったと軽く受け流していたが、実際見守っていると彼は静かにバイクを過度に噴かすことなく走らせていた。彼が近所に騒音で迷惑をかけていたとは考えにくい。もし仮に近隣の人がそこまで音に敏感だったとして、それが死に値するほどの罰なのか。あまりに報いが大きすぎるじゃないか。第一、非があったのは余所見をしていたトラック運転手なのだ。慶一はトラックが停まってくれると信じたから進んだわけであって、彼が悪く言われる筋合いはないのだ。


それに――あの子は贔屓目なしに良い子だった。純粋で親切で、温厚で……溢れる思いが止まらず、私は危うく我を忘れて、その声の主に飛びかかりそうになった。幸い両隣の彼らが私を制してくれて、私はその場で慟哭した。どうして、どうして慶一が――。私の心にはぽっかりと穴が空いてしまった。


 慶一の死以降、幸二は塞ぎ気味になった。会社も欠勤することが増えるようになり、翌年にはクビが言い渡された。幸二は一層家に引きこもりがちになった。慕っていた兄の死から立ち直ることはなかなか容易ではなかったのだ。洗いに出された彼が着たセーターの袖が血塗れになっていることに気づき、彼の腕を見ると自傷の痕がくっきりと残っていた。


 私は慌てて沢山の調べ物をして、中でも評判の高い精神病院に彼を連れて行った。得られた診断結果はうつ病。彼の口からは直接聞かなかったが、主治医伝えに聞いた話によると、彼は職場でパワーハラスメントなるものを受けていたという。雑務の量を自分だけ倍にされたり、嫌味をわざと聞こえるように本人の前で言われたり、その内容は多岐に渡った。取引先との交渉が上手くいかなかった時には熱いお茶を頭の上からかけられたこともあったという。凄惨な実態を聞いて、そういえばと思い出した。随分前のことだが、洗いに出されたスーツが酷く汚れていたのだ。彼は何も言わなかったが、あれはもしや何かをかけられた跡だったのではないか。私は彼のエスオーエスを見逃していたのではないか、冷たい汗が流れた。


しかし――と医者は続けた。彼には心の支えがあった。それが年の近い兄だったのだ。彼になら自分の弱みを曝け出せた。頻繁に兄に相談して慰めてもらっていた。自分のつらい話を誰かに聞いてもらうというだけで幾らか心が安らいだという。だがその宛てがなくなり、イビリも酷くなった。そうして彼は遂に自傷を図るようになったのだそうだ。私は知らなかった事実に唖然としたが、すぐにどうして私に教えてくれなかったのかという疑問が押し寄せた。主治医はそんな私をぴしゃりと一喝した。


「あなたに気を遣わせたくなかったんです、ただでさえもう1人の息子さんの死に参っている貴方に。子とはそんなものですよ。特に優しい子は自己犠牲の精神が強いのです」


私は何も言えなかった。


 彼はその主治医の元に月毎に通院するようになり、処方された薬を飲み症状を和らげることになった。社会復帰のために隣町の作業所に通い始めると、次第に彼の活き活きした顔が戻ってきた。ほっと一安心した頃、一難去ってまた一難。私の病気が発覚した。


【続】





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