第16話 フィオレが去った王宮では

 フィオレが魔術師団を退団してから少し経った頃。ニコレーテス王国の王宮では、フィオレの同僚であった魔術師の男が眉間に皺を寄せて王宮の廊下を足早に歩いていた。


 赤髪の短髪が特徴的で、目つきが悪くガラの悪そうな、二十歳前後に見える男だ。


「フィオレのやつ……突然消えやがってっ」


(俺が王宮にしばらく帰らない時に退団するとか、絶対狙ってやっただろ!)


 男はイライラをぶつけるように大きな足音を響かせて廊下を歩き、あるドアをバタンっと乱暴に開けた。すると部屋の中には、一人の騎士服姿の男がいる。

 黒の短髪には清潔感があり、四十代中頃ほどに見えるガタイの良い男だ。


「……あぁん? なんで第一騎士団の団長様がここにいるんだ。ここは俺の研究部屋だ」


 魔術師の男が喧嘩腰に問いかけると、第一騎士団の団長は人好きのする笑みを浮かべて口を開いた。


「すまないな。用事があったのだが、鍵が開いていたので中を覗かせてもらっていた。君はたまに部屋の奥で寝ているからな」

「ちっ……それで要件は? また遠征に同行しろってんなら無理だ。こっちはフィオレがいなくなったことで、仕事が溜まってんだよ」

「それは分かっている。そして今回の要件はそのフィオレについてなんだが……居場所を知らないか? 同僚の君ならば知っているかと」


 団長が問いかけた言葉を聞いて、魔術師の男は機嫌を急降下させた。


「そんなの知ってたらな、もう俺がフィオレを連れ戻してんだよ!」


 その答えに、団長は厳しい表情を浮かべる。


「やはりそうか……」

「というか、なんでもっとフィオレを守れなかったんだよ! あんた侯爵家の生まれなんだろ? 男爵家の俺なんかより貴族たちを押さえられるだろ!」


 そう非難された団長は、眉を下げて視線も床に落とした。


「それは本当に、後悔している。しかし貴族主義の筆頭は公爵家であり、陛下でも強くは出られないのだ。……いや、こんなのはただの言い訳だな」

「ちっ」


 魔術師の男もフィオレを守ることが難しかったのは分かっていて、小さく舌打ちすると団長から視線を外す。


「とにかく、俺はフィオレの居場所は知らねぇ」

「……分かった。突然押しかけてすまないな」


 団長がそう言って部屋から出ようとドアに手を伸ばすと――手が届く前にドアが廊下側から開いた。そして姿を見せたのは、長いローブを身に纏った男だ。


 男は紫色の長髪を一つにまとめて左の肩に流し、丸い眼鏡をかけている。長身だが細身で、三十代中頃に見える男だ。


「ラウル、失礼しますね。そしてオスカル団長は、フィオレを探しているのですか?」

「ジェレミア団長。話が聞こえていたか?」


 オスカルと呼ばれた第一騎士団の団長が問いかけると、部屋に入ってきたばかりのジェレミアは、にっこりと感情の読めない笑みを浮かべた。


「いえいえ、話の内容がしっかりと分かる程度です」

「ちっ、完全に聞こえてるじゃねぇか! いつもいつも回りくどい嫌味、うぜぇんだよ!」

「ラウル、魔術師団の団長である私にその態度、よろしいのですか? あなたの仕事をさらに増やして差し上げても良いのですが……」

「お前、ずるいぞっ!」


 ラウルが悔しげに叫ぶと、ジェレミアはにっこりと楽しげな笑みを浮かべる。


「やはり好きな人が突然消えてしまったら、それは荒れますよね〜」

「好きな人……って、君はフィオレが好きだったのか?」


 ジェレミアの言葉に反応したのはオスカルだ。そして肝心のラウルはというと、顔を真っ赤に染め上げてプルプルと震えていた。


「べ、べ、別に俺は、あんなやつ好きじゃねぇし!」

「そうですか〜」

「そうなんだなぁ」


 二人からの揶揄いと微笑ましい眼差しに、ラウルは「あぁあっ!」と大きく叫び、話を変えた。


「というか、団長はなんで俺のとこに来たんだよ! 何かあるなら早く要件を言え」

「それが先ほどの話にも関わることなのですが、実はフィオレさんの居場所が分かりまして、あなたには教えて差し上げようかと思って来たのです」


 その言葉を聞いた瞬間、ラウルが瞳をこれでもかと見開き、オスカルも驚いたようにジェレミアに視線を向けた。


「それどういうことだよ! どこに行ったのかは陛下も分からないって言ってただろ!」


 ラウルのその言葉に、ジェレミアは恐怖を感じる笑みで言う。


「そこは調べればすぐに分かりますから」

「調べればって……怖ぇよ! ストーカーかよ! そういえば昔っからお前、フィオレのことをジロジロと見てたよな……」


 ラウルが完全に引いたように、軽蔑の眼差しをジェレミアに向けると、ジェレミアは恍惚とした表情で宙を見つめた。


「だってあの才能ですよ? 見ずにはいられないではないですか。フィオレさんは本当に美しく稀有な才能の持ち主です。魔法は震えるほどに素晴らしかった……!」


 そう言ったジェレミアは自身を掻き抱くようにして、それから突然視線を鋭いものに変えた。誰かを射殺さんばかりの表情に、オスカルも思わず体を引いてしまう。


「その才能を平民だからという理由だけで貶すどころか、この王宮から追い出すなど……貴族主義の貴族たちを皆殺しにしたい気分です。ええ、いつかは皆殺しにしましょう。私がこの手で、絶対に」

「いやお前……やっぱり怖ぇよ!」


 ラウルがそう叫ぶと、オスカルもジェレミアに声をかける。


「ジェレミア団長、貴族主義を掲げる貴族の皆殺しは、さすがに容認できないのだが……」


 ジェレミアはその言葉を無視して、「そういえば」とオスカルに視線を向けた。


「オスカル団長はなぜフィオレを探しているのですか?」


 オスカルはジェレミアに対する警戒の眼差しを残しつつも、その問いかけに答える。


「実はここだけの話なんだが……アースドラゴンが移動したことによるスタンピードが発生してるんだ。報告を聞いた限りだと、フィオレがいなければ甚大な被害が出る。そこで俺がなんとか頭を下げて、フィオレに協力してもらおうと……」

「ふんっ、フィオレさんを大切に扱わなかった貴族たちの自業自得ですね」

「それは分かってるんだが、犠牲になるのは貴族ではなく多くの民だ」


 真剣な表情でそう言ったオスカルに、ジェレミアは一つ息を吐くと口を開いた。


「分かりました。ではフィオレさんの居場所をお教えしましょう。しかし私も共に向かいます。フィオレさんの魔法を、もうしばらく見ていません。禁断症状が出そうなのです……!」


 そう言ってまた自身を抱くようにしたジェレミアに、ラウルが心底軽蔑の眼差しを向けつつ、右手をやる気なさげに上げた。


「俺も一緒に行く。あいつに直接文句を言ってやらねぇと気が済まないからな。フィオレのやつ……退団するなら一言ぐらい言っとけってんだ」


 ラウルの言葉にオスカルが微笑ましげな表情を浮かべ、それを受け入れた。


「分かった。ではジェレミア団長とラウル、俺と一緒にフィオレを探しに行ってほしい」

「ええ、オスカル団長に言われなくとも、私はフィオレさんのところに行きますので」

「俺もだ」


 そうして三人が、フィオレの住む村に向かって王都を発った。

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