第8話 解決と怪しい男
叫び声が聞こえた方向に視線を向けると、そこには慌てた様子の人たちが何人も集まっていた。中心には一本の木が見えるので、あの木で何かが起きたのかもしれない。
「クロ! ダメだよ動いちゃ!」
「おいっ、早く布を持って来い! クッションになるやつな!」
「あの木に登れるやつはいないか!?」
「登ったらクロが驚いて落ちるかもしれねぇだろ!」
わたしたちが動く前に、たくさんの声が耳に届く。叫んでる内容的に、木に登って降りれなくなった人がいるのかな。
「ヴァン、わたしたちも行こう」
そう伝えると、ヴァンはすぐに頷いて人だかりに向かって駆け出した。私もその隣を走り、騒ぎが起きてる場所に向かう。
「いた、クロだ。あの高さは危ないな……」
ヴァンが指差した先にいたのは――高い位置にある枝で蹲っている大きな黒猫だった。小刻みに震えている様子が下からでも分かる。
クロって猫のことだったんだ。
「あの子って飼い猫?」
「ああ、クロは肉屋のおばちゃんが飼ってる猫なんだ。あいつ好奇心旺盛でちょっと抜けてるから」
「さすがに猫でも、あの高さは落ちたら怪我するよね」
「そうだな。特にクロはまん丸だから、普通の猫みたいに着地できないと思う」
確かに結構なまん丸具合だ。皆に愛されてるんだろうなってことが一目で分かる。
「早く助けてあげよう」
「それはもちろんだけど、どうやって……」
「わたしが魔法で助けられるよ」
ヴァンにそう伝えると、ヴァンは瞳を見開きながらわたしに勢いよく視線を向けた。
「それ本当か!」
「うん。土魔法で階段を作って、風魔法でクロが逆側に落ちないように誘導するのが一番かな」
重力魔法を使うのもありだけど、あれは操られる方はかなり怖いと聞いたことがある。だからクロがこれ以上怯えないために、重力魔法は最後の手段だ。
「フィオレ、やっぱり凄いな! それやって欲しい。おばちゃーん!」
ヴァンが木の下で心配そうにクロを見上げる女性に声をかけると、女性はすぐにこちらを振り返った。四十代後半ぐらいに見える、恰幅のいいおばさんだ。
「ヴァン! クロが木から降りられなくなって……」
「分かってる。それでフィオレが魔法で助けられるらしいんだけど、どうする?」
「フィオレです。先日村に移住してきたばかりなんですが……」
簡単に挨拶をすると、おばさんはわたしのことを知っていたのか、すぐに手をガシッと掴んできた。
「あんたのことは聞いてるよ! 魔法で助けられるんならぜひ頼む!」
「わ、分かりました。じゃあすぐやりますね。皆さんに少し下がってもらえますか?」
わたしのその言葉におばさんが集まってきていた人たちを誘導してくれて、木の周りには誰もいなくなった。
そこでわたしは万が一にもコントロールに失敗しないよう、異空間収納から杖を取り出して構える。
空間魔法を使うと深淵の魔女って自己紹介をすることになるかもしれないけど、クロを救うためには必要なことだから仕方がない。
杖を使わずコントロールに失敗したら、後悔してもしきれないからね。
「おおっ!」
「なんだ今の! 杖が急に現れたぞ!?」
こっそりと取り出したけど、近くにいた人たちには突然現れた杖が見えたみたいだ。
しかし今は魔法に集中しようと、深呼吸をする。
まずはクロが驚いて落ちるのを避けるため、風魔法で動けないよう固定した。それから土魔法で、クロがいる場所までの階段を作り出す。
木の周りの地面は綺麗に整えられていたから、土は魔力で生み出した。普通はこの量の土を作り出すのは無理らしいけど、わたしにはありがたいことに潤沢な魔力があるから大丈夫だ。
わたしは魔力の器がかなり大きく自然回復する速度が速いから、大規模魔法を何度も連続で放ったり、空間魔法や重力魔法みたいな大量の魔力が必要な魔法を使わない限り、魔力が尽きることはない。
「クロ、この階段を降りてね」
安心してもらおうと声を掛けてから、ゆっくりと風魔法を弱めて、特に階段方向の風を完全に消した。するとクロは恐る恐るながら立ち上がり、ぴょんっと階段に飛び降りる。
それからは意外にも身軽に階段を駆け降りて、おばさんの下に向かった。
「クロ! もうあんた、無茶しすぎなんだよ! 自分の重さを考えな!」
おばさんはクロを抱き上げてそう叱っているが、その表情は泣き笑いだ。集まっていた村人たちも、良かったと笑顔で言い合っている。
そんな皆の表情を見て、わたしも安心しながら魔法を完全に解除し、杖を仕舞った。
「フィオレ、魔法って凄いんだな!」
ヴァンがわたしの手を取ってキラキラと瞳を輝かせながら褒めてくれて、わたしは思わず照れてしまう。こんなふうに純粋な賞賛を向けられるのには、あまり慣れてない。
「ありがとう……」
「フィオレ、本当にありがとうね! フィオレがいてくれて助かったよ!」
ヴァンの次は肉屋のおばさんがわたしの下にやってきて、カラッとした笑顔で感謝を伝えてくれた。そしてそれからは、順番に村人たちがわたしに声をかけてくれる。
凄い、頼りになる、ありがとう、それらの言葉は王宮で貴族たちにも掛けられたけど、全く受け取った時の感情が違う。
やっぱり同じ言葉でも、乗せる感情によって変わるんだね。
この村に来て良かったと改めて思いながら皆と交流していると、一人の男性が躊躇いながらこそっと問いかけてくれた。
「なあ、杖を突然取り出したり? あんな階段を土で作ったり、それって普通はできないよな……?」
その質問は周囲にいる人たちにも聞こえていたようで、皆が口を閉じてわたしに視線を向ける。
やっぱりさすがに気になるよね……仕方ないか。わたしのことを話そう。
深淵の魔女がこの村にいるって事実が広まる恐れよりも、嘘をつく方が嫌だ。嘘で塗り固めるなんて、わたしが嫌いな人たちと同じになってしまう。
「ちょっと近づいてもらえますか?」
そう声をかけると、皆がわたしに顔を寄せてくれた。そこでわたしはそっと小さな声で、自分のことを伝える。
「……実はわたし、深淵の魔女なんです。なのでさっきの魔法は、普通はできないです」
「「「えぇ〜!!」」」
わたしの言葉から一拍あけて、村人たちの驚愕の叫び声が重なった。
「あっ、あの! できれば広めない方向で……」
慌ててそう伝えると、皆が自分の口を手で塞いで何度も頷いてくれた。わたしの意向を素直に受け入れてくれるなんて、本当に優しい人たちだ。
「まさかフィオレが、そんなに凄い人だったなんて」
ヴァンがそう呟いたのを皮切りに、村人たちが次々と驚きを口にする。
「さすがにこの村にも知らない人はいないな」
「相当な有名人だものね……」
「なんでこんな辺境に来たんだ?」
もっともな疑問を投げかけられ、わたしは苦笑しつつ答えた。
「王宮での暮らしは、わたしの肌に合わなくて」
その言葉を聞いた皆は何かを感じてくれたのか、神妙な面持ちで頷くと、それ以上は深掘りしてこなかった。
「まあとにかく、フィオレは凄い魔術師ってことだな」
ヴァンがそうまとめてくれたところで、その場の雰囲気が緩んだ。皆がそれぞれの生活に戻るために動き始めたので、わたしとヴァンも買い物の続きをしようと店通りを少し戻る。
「フィオレ、まだまだ村は広いからな」
「うん。残りも案内をよろしくね」
♢
フィオレとヴァンが二人並んで調味料屋の方へ戻っていく中。先ほどの騒動の渦中にはいなかったが、フィオレの魔法を遠くから眺めていた兵士姿の男が、去っていく二人の後ろ姿にじっと視線を向けていた。
その者の視線はヴァンではなく、まっすぐとフィオレだけに向かっている。
「先ほどの魔法、あれはかなりの才能だ。子爵様にあの娘の存在をお伝えすれば、俺はその功績でさらに昇進できるかもしれない」
小さな声でそう呟いた男は、ニヤッと怪しげな笑みを浮かべた。
その男が、フィオレが深淵の魔女であるという重大情報を知ることになるのは、もう少し先の話だ。
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