空が晴れたら

卯月なのか

第1話

 あー、退屈。ほんっと退屈。

私_ナツミは、ベッドにだらんと足を投げ出して、木の暖かい匂いのする天井を、ぼんやりと見つめていた。私は、この夏休みの間だけ、田舎の祖父母の家に預けられている。父さんも母さんも、心配しすぎだ。もう小学6年生なんだから、別に二人が仕事で居なくたって、家のことは1人でできるのに。しかも、ここに友達がいるわけでもないから、退屈ったらありゃしない。はぁ、もうゲームも飽きたなぁ……。

 ふわりと風が吹いて、部屋のカーテンが揺れる。白いカーテンは、優しく可憐に踊り、どこからか涼しい香りを運んできた。海の、潮の香りだ。祖父母の家は、海からとても近い。私は、慌ててベッドから起き上がり、窓から少しだけ身を乗り出した。               

「すごい……綺麗!」

窓の外には、8月の陽射しに煌めく、大きな大きな海が広がっていた。蒼いダイアモンドを散りばめたかのようなそれに、私は思わず声を漏らした。何度も見たことがあるはずなのに、ひどく惹きつけられる。行ってみたい、そう思った時には、もう私は部屋着を着替えていた。お気に入りの白いノースリーブのワンピース。持ってきておいてよかった。

「おばあちゃーん!ちょっと出掛けてくるねーっ!」      

「ナツミちゃーん!どこいくのー!?」

「外ー!大丈夫!すぐ戻るからぁー!」        「そうかい!気をつけなよー!」

「はーいっ!」

履き慣れた水色のスニーカーを履き、そばにあった少し大きな麦わら帽子をかぶって、私は家を飛び出した。

 外は、身体が干からびてしまいそうになるほど暑い。普段なら、こんな日は絶対に外に出たくないと思うのに。でも、今日は違う。潮風に背中を押されるように、私は海を目指す。背の高い南国風の木々が、私の心を躍らせる。

 堤防沿いに来ると、さっき見たよりも、海がより雄大に、そして美しく感じられた。水面の輝きは、空の星を海にそのまましまってあるかのように眩しい。     

「うわぁ。海、だ。」

私はただただ、その蒼に圧倒されていた。すると、潮風にのって、どこからか、微かに音が聞こえてきた。ギターの音だ。爽やかな、アコースティックギターの音。私は、音のする方へと駆け出した。どこか懐かしい感じのするメロディーが、私を呼ぶ。

 風に木々の揺らめく音が終わると、一人の女の子と目があった。堤防に腰掛けて、海と同じ色のアコースティックギターを持った、肩までの黒髪が大人っぽい女の子。歳は、中学生くらいだろうか。チョコレート色のビーチサンダルがおしゃれなのに、真ん中にオレンジ色の星がプリントされたTシャツが、何だか残念だった。女の子は、驚いたように私をみつめている。しまった、なんて声をかけたらいいんだろう。

「あっ。あのー。えっと。その……すみません、素敵な音がしたので、つい」

女の子は、一瞬目をパチクリと丸くした。大人っぽい顔立ちが、少し幼さを生み出す。

「……聴いてたの?」                「はいっ。」

「良かったら、一緒に歌わない?」

「え……っ?」

あまりに急な誘いに、頭が真っ白になった。これは、熱中症ではないはず。今度は私の方が目を丸くしている。

「いやあー、聞いてよ。最近もう暇で暇で!友達はみんな習い事や塾で忙しいから遊べないし。あっ、アタシ、ハルヒ。小6。あなたは?」

「ナツミ。私も、小6。」

「ナツミ!同い年じゃん!よろしく!」 

「よろしくっ。」

大人っぽい印象とは裏腹に、女の子__ハルヒは、年相応の、はつらつとした子だ。しかも、よく喋る。聞いてもいないのに!私はつい、退屈していた夏休みのこと、海を見たくてここに来たことなどを話してしまった。

「へえー。だからこんな暑い中、一人で海にいるんだね。」                      「うん。」

「アタシは、海を見ながら歌うのが好きなんだ。それに、家だと、兄貴にうるさいって怒られるし。」

「ハルヒちゃん、兄弟いるの?いいなー。」

「良くないよ!あ、でも、このギター、兄貴のお下がりなんだ。」

「そうなんだ!かっこいいね、そのギター。」 

「アハハハ、ありがと!そうだナツミ、何か弾いてほしい曲ある?一緒に歌おうよ!」

「え!いいの?」

「もちろん!」

私は、最近友達にすすめられて好きになったアニメの主題歌をリクエストした。ハルヒもそれが好きらしく、私達は、まるでずっと前からの親友のように、肩を並べて歌った。潮風が心地よい。煌めく海が、私達を優しく見守っていた。

「あ、もう夕陽が出てきた。」

「うっそー!アタシさっきお昼ご飯食べたばっかだよ?」

「私、もう帰るよ。ハルヒちゃん、今日はありがとう!」

「ナツミと話すの、超楽しかった!ねぇ、明日もここで遊ぼうよ!」

「もちろん!じゃあ、また明日!」         「ナツミー、じゃあねーっ!」

大きく手を振る二人の小さな背中を、夕陽が柔らかく包み込んでいた。

 その後も、私は毎日海で会い、日が暮れるまで遊んだ。浜で拾った白い綺麗な貝殻、かくれんぼしたヒマワリ満開の丘、駄菓子屋さんで買ったラムネ、雨の日にハルヒの家でしたゲーム。ハルヒと会うたびに、大切な思い出が、また一つ増えていく。退屈な日々は、海の波に乗って、どこかへ流された。

 そして、夏休みもまた、同じ様に過ぎていく。 

「ナツミー、おはよーっ!」

「ハルヒちゃん、おはよう!」 

「今日も歌おう?あの歌。」 

「うんっ!」

波の音はどこまでも静かで、私をいっそう寂しくさせる。明日私は、この街を去らなければならない。それをまだ、私はハルヒに言えずにいた。

「ナツミ、どうしたの?なんか今日、元気ないじゃん。」

「実はね……。」

私は、ハルヒに全てを伝えた。楽しかった夏休みが、もう終わってしまう。楽しい時間は、いつだってあっという間だ。嫌だ。ハルヒと、お別れなんてしたくない。

「そうだったんだ。」               「うん。」

ハルヒの顔が、木の影でよく見えない。でも、私もハルヒも、きっと悲しい顔をしているのだろう。砂浜のヤドカリは、今日は殻に入ったまま、なかなか姿を見せない。潮風が、涼しすぎるように感じた。       

「来年も会おうよ、ここで。」

ハルヒが、独り言のように零した。

「来年もまた、二人で遊ぼう?」

ハルヒは、少し不安そうな笑顔で、私に訊いた。見えない何かを、必死に探すような顔。お陽さまみたいないつものハルヒが、滅多にみせない表情をしていた。

「ハルヒっ。」

私も、見えない何かを必死に探す。でも、きっと、私達は同じ気持ちだろう。

「もちろん、また一緒に遊ぼう!」

ハルヒの顔が、水面に反射する太陽に照らされて、ぱあっと輝いた。

「ナツミ、約束だよ!」

「うん。約束するよ!」

再会の約束をして、私は日が暮れるまで笑いあった。何が面白いわけでもないのに、ただただ、笑っていた。それは、寂しさの裏返しだったのかもしれないけれど、それでも、何だか楽しくて。

「じゃあね、ハルヒ。また来年。」

「バイバイ、ナツミ。元気でね。」

大きく手を振るハルヒに、小さく頷いて、私は海をあとにした。海は、一層輝きを増し、波の音は、とても温かかった。



*************************************************




9月も終わりなのに、なんでこんなに暑いんだろう。しかもなんでこんな日に限って雨なんだろう。秋でしょう、もう。そんな風に思ってしまう程、まだ夏の暑さの残る、湿気の煩い日だった。でもあと少しで家に着く。頑張れナツミ。アイスはもうすぐそこだ。

「あらナツミ。おかえりなさい。ご飯もうすぐだらかね。」

家に帰ると、とても聞き慣れた声が、キッチンからきこえた。母の声だ。

「お母さん!ただいま。今日は早いね。」

いつもより少し早い母の帰宅に、少しの喜びと安堵を覚える。私は、冷凍庫から、待ちに待ったアイスを取り出した。近所のスーパーでセールになっていた、普段なら少し高めのアイスだ。待っててねバニラアイスくん。今私が食べて……

「ナツミ!もうすぐご飯だって言ったでしょ。後にしなさい。」

ちぇっ、バレたか。

「はーい。」

私は、仕方なくアイスを冷凍庫に戻した。まぁ、後で食べられるんだから、いいか。

「あ、そういえばナツミ。ナツミ宛てにお手紙が届いてるわよ。」

「手紙?」

「ええ。ほら、これ。」

母は、私に深い青色の封筒を差し出した。真夏の海を彷彿とさせるような、落ち着いているが爽やかな色だ。「知らない名前だけど、お友達?」

封筒の裏に、差出人の名前があった。これは__ハルヒからの手紙だ!

「お母さん、ありがとう!ちょっと読ませて!」

「あぁ、ちょっと!もうご飯になるわよ!」 

母からひったくるように封筒を受け取ると、私は自分の部屋に駆け込んだ。

 封筒を開くと、白い便箋に、癖のある右上がりの字が目についた。一緒に宿題をした時に見たハルヒの字と、全く同じだ。

『ナツミへ。

お元気ですか?わたしはあいかわらず元気です。あれから1ヶ月たつけど、わたしのこと忘れてないよね?もしナツミがわたしのことを忘れてても、わたしはナツミのこと、おぼえてるよ。新学期が始まったね。ナツミの学校はどうですか。わたしは、あいかわらず算数が苦手です。ナツミは英語できるようになった?まだあの歌は好き?ナツミのこと、また教えてほしいです。今はまだ会えないと思うけど、また夏にあの海で遊ぼうね。秋も冬も春も、ずうっと友達だよ!             ハルヒ』

外の雨の音が、徐々に和らいでいく。ハルヒからの優しい言葉が、あの日の潮風の匂いを呼び起こす。嬉しくて嬉しくて、私はハルヒからの手紙を、抱きしめるようにして、そっと胸にあてた。

「ナツミー!ご飯よー!」

「はーい!今行くからーっ!」

私は、ハルヒからの手紙を勉強机に置いて、階段を降りた。

 晩ごはんを食べて、空が晴れたら、ハルヒに返事を書こう。ハルヒへの、優しい気持ちをこめた、温かい文章を綴ろう。

「さっきのお手紙は誰からだったの?もしかして、ボーイフレンド!?」

「違うよぉ!」

「じゃあ、お友達?」

「……うん!親友、だよ!」

 雨はすっかり止み、星たちが、あの夏の日々のように、明るく煌めいていた。

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空が晴れたら 卯月なのか @uzukinanoka

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