マネキン

ミハネショウジ

本編

 それは、彼にとって初めての"行為"であった。

 街灯の明かりが煌めく中、冷えた鼻を擦り、ぎゅっ、ぎゅっ、と白い地面を踏みながら、いつものように食材の買い出しへ行っていた。

 家の近くにある、田舎の建物にしては少し大きいショッピングモールが見えてきた。安いし色々なものが揃うので、お気に入りの店であった。


 米、牛乳、足りない野菜、肉、お菓子、あとは何だっけ。

 いつも適当に品物を決めて作っているので、何を買うのか全く決めていない。足りないと感じたものだけが、浮かび上がるだけ。それだけだ。

 結局面倒になって、適当なパンとカップ麺だけを買って、終わりにした。


 筆記用具や下着は買わなきゃいけなかったっけ。

 一人暮らしだというのに適当に生きているので、何も管理できていない。


 あと足りないもの…………

 自分に足りないもの……

 今の自分に足りないのは……


 ふと、衣料品コーナーの女性型のマネキンが目に入った。

 真紅色のベレー帽を被り、あたたかそうな茶色のダッフルコートと、シックな色合いのセーターとロングスカートを着て、気取ったポーズなど取らされていなかった。

 ナチュラルな出で立ちで、ただ、そこに「魅させられて」いた。


 俺は、そのマネキンが来ていた服を1式揃えて購入した。

 家に帰ってからすぐ湯を沸かし、カップ麺に入れた。

 ネットで、店で見たマネキンと同じ物を必死に探していた。


 マネキンを見つけて注文し終わった時には、麺が見たことないくらいふやけてしまっていた。


 少し日にちが経つと、家にマネキンが届いた。

 まっさらなマネキンを見ていると、なんだか、見てはいけないようなものを見てしまった気分になる。

 仕事から帰ったばかりだと言うことも忘れ、夢中になって、この前買った服を着せた。

 ポーズも、店にあったものと同じポーズを取らせた。


 目の前に「足りなかったもの」がある、と感じた。

 スカートを少しめくり、店のものと違い、汚れや傷がひとつも無い、強化プラスチック製の脚を、心臓をバクバクと言わせながら見つめ、ほんの少し触っていた。

 冬だと言うのに部屋のストーブもつけ忘れるほど夢中になっていたので、恐ろしいほどにひんやりとしていた。


 冷たい脚にはぁっと吐息を掛け、付いた水滴をきゅっ、と拭った。

 これ以上は、なんだか、踏み込んでは行けないのでは無いだろうか、この先へ進んだら、誰かに殺されてしまうのではないか。不必要な不安が押し寄せてきた。


 今はそんなことは考えなくても良いと不安を振り払い、立ち上がってマネキンの手を軽く握ってみた。

 恐ろしいほど冷たかったが、こんな俺にも恋人が出来たら、こんな風に可愛らしく手を握ってくれるものなのだろうか。

 ポーズを変えて、胸の近くのマネキンの両手を優しく握り、軽く見下ろしてみた。

 きっと、別れ際はこんな感じに、まだ一緒にいたいと声をかけてくれるようなものなのか。

 自分でも何をしてるのだろうと疑問に思うくらい、思いにふけっていた。


 ふと、着せていた服を全部脱がせ、興味本位で自分が普段着ているスーツを着せてみた。

 女性型のマネキンに男性用スーツを着せたため、サイズが合わず、袖と裾がとても長く不格好になってしまった。


 なんだか、自分を見ているようで気味が悪くなってきてしまった。スーツは自分にはピッタリのサイズで、マネキンのように不格好ではないが、その不格好ささえ、他人から見た「自分らしい」ように見えて…


 慌ててスーツを脱がした。


 翌日、服もマネキンも近くのリサイクルショップに売り払ってしまった。

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