64.生きるための理由として

 シュトリの我が侭ぶりは驚くほどで、こんなに育児は手がかかるのかとガブリエルは肩を落とす。自分は聞き分けがよい子だったと思うが、父や魔王ナベルスにも同様の苦労をかけたかもしれない。はしゃいで駆け回った記憶が、苦く蘇った。


 楽しんだ幼子を追い回す彼らの表情が思い出せず、少し悲しい気持ちになる。察したように、シュトリは駆け寄った。鼻をすり寄せ、くーんと甘えた声を洩らす。自分を見ろ、外に気を逸らすな。そう告げる幼子の貪欲さと優しさに、ガブリエルは救われながら頬をすり寄せた。


「魔王様、勇者の動きが止まりました」


 報告に訪れた白い翼をもつ青年に頷く。労って休むよう伝えた。作戦は順調に進んでいる。勇者の心を折って二度と立ち向かえなくしたうえで、可能な限り長く生きさせる。いや、逆だ。傷つけられて嘆いて死を望んでも、叶えないのが復讐だった。


 方針は固まっている。人族をすべて滅ぼす必要はないが、現在は数が多過ぎた。個々の能力は低くとも、数の多さは脅威だ。魔族が管理できるところまで減らす。神々の権限に関与する傲慢な考えだが、これしか思いつかなかった。


 憎いし恨みは尽きない。だが全員死ねとまで思えなかった。種族をひとつ滅ぼす――その代償が怖い。魔族の誰かが対価として奪われるのではないか。そんな恐怖がガブリエルを襲った。自分が死ぬのは仕方ないが、罪のない誰かが犠牲になるのは嫌だ。


 ゆらりと尻尾を振るガブリエルは、空を見上げた。晴れと呼ぶには雲が多いが、灰色の雲に覆われているわけでもない。中途半端な空模様は、彼の心の葛藤のようだった。


「きゅー! ふん、ふん」


 興奮したシュトリが声を上げ、突進してガブリエルに抱き着く。鼻息荒く何かを訴える姿に表情が和らいだ。強張った顔をほぐすように手を伸ばし、ぺたぺたと触れた。ピンクの小さな手が触れやすいよう伏せながら、ガブリエルはぐるると喉を鳴らす。


 人族との最終決戦が迫っている。犠牲者を出さないよう注意するが、戦いである以上傷付く可能性はゼロではなかった。それでも……この子が待っているなら頑張ろう。生きて帰って成長を見届ける義務がある。ガブリエルは自然にそう考えた。


 あの日の自分が悲しんだように、シュトリを泣かせたくない。物の道理も生死も理解しない幼子を一人残すことがないように。


「お前は……」


 オレの重石なのか。ふと、ひらめくようにそう感じた。同族もなく、強大な魔力を恐れず懐き、こうして慰めようとする。魔王ナベルスの重石になり損ねたが、この子はその役割を果たすだろう。すりりと鼻先で愛情を示し、嬉しそうなシュトリの表情に口元を緩めた。


 魔神様の加護や祝福はこんなところにも及んでいる。オレは簡単に死んではならない。そう定められたのなら、魔神様へのお礼として全力を尽くそう。生きて恩返しができるように。まだ幼いと呼べる黒竜の魔王は、シュトリを養い子として引き取ると決めた。


 生きる理由をひとつ、手に入れた魔神の愛し子――ガブリエルの決意を祝福するように、訪れた夜の空は星が輝いていた。

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