62.勇者は生かしておくべき

 鞘から抜く前に、目前に白い鳥が舞い降りた。気を取られて集中が削がれたのを確かめ、鳥はひらりと移動する。少し先で人の形をとった。両手は肩まで翼のまま、尾羽に似た長い髪は後ろで編まれている。


 翼手族の若者だ。何度か変化する場面を見ていたので、変な声をあげる失態は免れた。ブレンダの手が口を覆い、飛び出しかけた声を呑み込む。


 話し声が聞こえない位置まで、促されるまま歩いた。足音や気配を殺したブレンダと、やや浮いて滑るように移動する若者。小川の近くで、ようやく足を止める。ここなら会話も平気だろう。


「なぜ止めたんだ?」


「あの勇者は魔王様の獲物ですから。それに……勇者は当代一人という決まりがあります」


「……そうなのか」


 初めて聞いた話だ。ゼルクもそんな話はしなかった。興味津々のブレンダに、若者は目を見開く。意外だった。邪魔をされたと食ってかかるはず、そう決めつけていたのだ。だから騒いでも平気な場所まで移動を優先したんだが……。


 ぱちりと何回か瞬きし、口元を緩めた。ブレンダへの偏見が薄まった証拠だ。魔族から見た人族は、ひ弱なくせに強気で攻撃的、自分勝手で仲間を大事にしない種族だった。そのイメージが変わる。


 魔族の話をきちんと聞いて、会話になる人族自体が珍しいのだ。その上、素直に尋ねる姿勢をみせた。


「人族は寿命が短いので、次の世代にきちんと伝えなければ情報が途絶えます。勇者を殺せば、次の勇者が生まれてしまう。これは魔神様から得た神託なので間違いありません」


「つまり、生かしたまま時間稼ぎをするんだな?」


「ええ」


 同族に対する残酷な仕打ちに、彼女は憤るだろうか。青年は翼の手入れをしながら様子を窺った。うーんと考えたブレンダは、思わぬ反応を見せる。


「人道的にどうかと思うが、作戦としては正しい。私が魔王陛下の立場なら、同じ方法を選ぶ」


 まさかの肯定だ。否定されると思っていた若者は固まった後、ぎこちなく「そうですね」と相槌を打った。獣人族が彼女を受け入れた理由に思い至り、若者は納得する。なるほど、人族より魔族に近い。


「今の勇者は先代魔王様の仇、倒すのは魔王であるガブリエル様のお仕事ですから」


「わかった。横から手を出す前に止めてくれて助かった。感謝する」


「いえ」


 首を振る翼手族の若者は、ぴくりと何かに反応した。振り返る彼の視線が一箇所に固定される。少し遅れて、ブレンダも近づく誰かに気づいた。


「誰だ?」


「しぃ」


 口を噤んだ若者に頷き、ブレンダはゆっくりと姿勢を低くした。剣の柄をしっかり握る。緊張する二人の前の茂みが、不自然に揺れた。


「っ!」


 歩み寄る人影を探るため、ブレンダは慎重に距離を詰めた。

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