48.価値観の壊れる音
毒気を抜かれた、とはこのことか。尻尾をだらりと垂らした親狼は、我が子をじっと見つめた。それから器用に人の言葉を操る。
「何をもらった?」
「硬いお肉」
間違っていないのだが、表現が悪い。粗悪品を渡したように聞こえてしまい、ブレンダは肩を落とした。ゆっくりした動きで警戒させないよう、干し肉を取り出す。
「これを与えた。親の許可なく悪かったな」
人族は敵と見做すであろう魔族に、勝手に食べ物を与える。幼いブエルが叱られないよう、自分が勝手に食べさせたと告げた。言葉が通じない相手ならともかく、いきなり喉を噛み切られる心配はしない。
干し肉を置いて二歩下がった。くんくんと匂う姿は、ブエルそっくりだ。狼の姿なのだから当然だが、親子だなと頬が緩む。親狼は食べず、干し肉を鼻先でぐいと押しやった。
「口に合わないか?」
尋ねるブレンダの質問を無視し、狼は唸るように返した。
「名を告げたようだが、我が子の名は?」
「魔王様より賜ったという立派な名を聞いた」
鼻に皺を寄せ、親狼は不満そうな顔をした。威嚇するのとは違い、ただ気に入らない様子だ。黙したブレンダは、相手の出方を待った。
すっと人化した親狼は、振り返ると我が子の頭にゴツンと拳を落とす。ブレンダを振り返り、じろじろと眺めた。人族の中では大きいブレンダより、頭ひとつ背が高い。久しぶりに見下ろされたブレンダは、上目遣いに狼だった男性を観察した。
鎧を着たようにがっちりした体は鍛えられているが、無駄な筋肉はない。生活する間に必要な場所に、必要なだけ付いた美しい筋肉だった。体を覆う衣服は兵士の服に似ている。鎧の下に着込む綿の服を思い出させた。色も薄茶で似ている。
髪色や瞳はブエルにそっくりで、顔立ちはややキツい。
「お父さん、痛い」
「痛いように罰を与えた。勝手に名乗るなと教えただろ」
人族は相手を知るために名乗るが、魔族は違うようだ。軽く聞いたブレンダは、申し訳ない気持ちになった。
「聞かなかったことにしようか」
「いや、気遣いは無用。お前は人族にしては、まともなようだ」
何とも同意も否定もしづらい。ブレンダ自身、規格外の自覚があるので苦笑いした。
「なるほど、ブエルの嗅覚もバカにできん」
ブレンダにはわからない部分で納得した様子で、親狼はあっさりと名乗った。
「ブエルの父、バラムだ。何かあれば一度だけ助けよう」
何かが起きると確定した言い方をされ、ブレンダはごくりと喉を鳴らした。そうだ、幼い狼に絆されたが、人族と魔族は戦っている。魔王を殺した勇者、勇者の村を襲った魔族……幼い頃にあたしを助けた森の住人。全員が手を取り合って暮らすことはない。
「教えてくれないか? 森に住む魔族に、こんな人はいないだろうか」
幼い頃の体験を丁寧に語る。腕を組んでじっと聞いた後、バラムは断言した。
「それは森人族だ」
ブレンダの頬に涙が伝う。誰も信じてくれなかった恩人は、やはり魔族だった。幼い狼であるブエルをブレンダが攻撃しなかったように、あの頃の無害なブレンダを助けた森人族がいる。価値観の壊れる音がした。
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